日本基督教団 富士吉田教会

ようこそいらっしゃいませ。日本基督(キリスト)教団富士吉田教会は、山梨県富士吉田市にあるプロテスタントの教会です。

礼拝説教

説教本文・(時に要約)を掲載しています。音声配信もあります。

2017年3月12日 「あがないの道」 掘池正弘牧師(静岡草深教会)
マタイによる福音書3:13~17
2017年3月5日 「蛇のように、鳩のように」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書10:16~25

「わたしはあなた方を遣わす。それは、狼の群れに羊を送りこむようなものだ。」
「見よ、わたしが、あなた方を遣わす。まるで、羊を狼たちの真ん中に(遣わすように)。」狼の群れに送り込まれる羊は、生きながらえるのはほとんど奇跡的な事柄です。「だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい。」あなた方を愛するわたしが、あなた方を遣わすのだ。たとえ、かよわい羊を狼の群れの中に引き出すようなものであっても。だから、あなた方が滅びて良いだろうか。私の愛するあなた方が。
だから、「蛇のように賢くなりなさい。」と言います。この言葉は、難問です。これこそ、教養が邪魔をするという話だと思うのですが、「蛇のように賢く」と言うと、わたしたちは創世記3章1節の蛇を思い出すからです。主なる神が作られた野の生き物の内で、蛇はもっとも賢かった。しかしその蛇は、エバを騙して原罪と言う罪を犯させてしまうのです。だとするなら、「蛇のように賢く」というのは、「ずる賢く」あれ、と言う意味ではないか、私たちに、世間的なずる賢さを求めているのだろうか、しかも、創世記の蛇は、悪魔の化身のような存在です。悪魔を荒れ野で退けたイエス様が、なぜ、その蛇をご自分のたとえに使うのだろう、と考え込んでしまうのです。
ここで、なぜ蛇は「賢い」と言われているのでしょうか。23節までの間で、「蛇のように賢い」のは何のことなのか、考えなくてはなりません。イエス様の命令は17節「人々を警戒しなさい。」と19節「引き渡された時は、何をどう言おうかと心配してはならない。」と23節「一つの町で迫害された時は、他の町へ逃げて行きなさい。」の三つです。このうちのどれが、蛇のように賢いということになるのでしょうか。これは難問なので、まずはより簡単そうな「鳩のように素直に」の方を考えてみましょう。
「素直になる」と言う言葉は、マタイによる福音書で使っているのはここだけです。鳩は、3章16節で、イエス様が洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた時に、ご自分の方に「霊が鳩のように」降って来るのをご覧になった、と言うところがあります。でも、この鳩が「素直」だったかどうか、ちょっとわかりません。
旧約聖書の「雅歌」というのは、「ソロモンの歌」とも呼ばれますが、内容は恋の歌です。男女のいちゃいちゃにしか読めないこの雅歌が、なぜ聖書に入っているかと言いますと、恋人の関係が、神と人間との理想的な関係として読まれたからです。その中で、男性は最愛の女性を「わたしの愛する鳩」と呼びます。つまり、神様を愛し、信じ続ける心を持ちなさい、と言うことになるでしょう。
17節から、迫害の描写が出てきます。「地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる」というのは、マタイによる福音書が書かれた時代に、キリスト教が次第に異端として、ユダヤ教社会から排除される状況を描写していると考えられます。使徒パウロも鞭打たれたと、手紙の中で書いています。
このような恐ろしい状況で、「鳩のように素直になれ」とイエス様は命じています。つまり、恐ろしい迫害にあっても、神様との関係は、神様の最愛のものとして、保ちなさいと言うことです。ここまで読んで来ると、「鳩のように素直になる」というのは、19節の「引き渡された時は、何をどう言おうかと心配してはならない。」の箇所だと言うことになります。神様との関係が、そのように素直に神様に従っていれば、自分の言うべきことは、神様が教えてくださると言うことなのです。
それでは、「蛇のように賢く」とは、どこが残るのか、というと、イエス様の命令は、先ほど言ったように、17節、19節、23節の3箇所です。19節が「鳩のように」に対応しているとすれば、「蛇のように」というのは「人々を警戒し」、「一つの町で迫害された時は、他の町に逃げていきなさい。」の二つだと言うことになります。人々を警戒し、迫害されたら、さっさと逃げろ、とイエス様は教えていることになります。つまりイエス様は、「蛇は賢い、なぜなら人々を警戒し、さっさと逃げるから」と考えていたことになります。
「蛇のように賢く」の本当の意味は何なのだろう?先週は、実は散々、考えました。いろいろ本も調べました。「賢い」と言う言葉がマタイによる福音書でどのように使われているのかも調べ、蛇が聖書の中でどのように考えられているかも調べました。でも、良く分からなかった。
一つ、これかな、と思ったのは、ネットで調べた蛇の性質です。それは、まず蛇はこちらが急に近づかない限り、逃げ去ると言うのです。毒のある蛇は、急に近づくと、牙をむきます。しかし、毒のない蛇はどうするか。とにかく、逃げるしかない。そのために、とても警戒心が強いと言うのです。
そこで、ここでは「蛇」ですが、イエス様は「蝮」と言う言葉も使うことがあります。「蝮の子」というのは、洗礼者ヨハネが最初に使っている言葉ですが、イエス様も使います。裁かれる側の人々のことです。今日の箇所の蛇は、蝮ではない。ここで蛇と言うのは、独のある蛇もない蛇も含まれる蛇全般のことを言っているのではなくて、毒を持たない蛇だけを言っているのではないでしょうか。これに対して、蝮と言うのは、毒を持っている蛇を代表させているのです。
さらに、イエス様は、旧約聖書の釈義の中で言葉を選ぶよりも、ずっと自由に、ご自分の生活実感で選ぶ方でした。たとえば、6章の「空の鳥を良く見なさい。」と言う言葉。律法では、鳥について書いてあるのは、食べてもいいのか悪いのか、と言った食物規定だけでした。けれども、ここでは、空の鳥が食べられるかどうか、と言う話しではありませんでした。そんな律法とは関係なく、説教を聞いている人々の群れの周りの空を飛び交っている鳥たちを、神様に造られたいとしい被造物の一つとして、指し示されたのです。だから、イエス様が、日ごろ生活の中で蛇の習性を知っていて、蛇は警戒心が強いし、危なくなると直ぐに逃げて行くよ、だから、蛇は賢いな、と考えていた。だから蛇のように、いつも警戒していて、危なくなったらすぐに逃げなさい、逃げるところが亡くなる前に、自分が助けに行くよ、と言う意味で「蛇のように賢く」と言ったというのは、ありそうな話ではないかと思います。さらにこのたとえは、弟子たちイエス様のお話を聞いていた当時のガリラヤで生活していた人たちにとっても、常識的なことだったのでしょう。
しかし、生活実感として、蛇は賢いものだ、と考えていたとすると、鳩についても、旧約聖書の雅歌から引っ張っていると言うよりは、こちらも生活実感かもしれません。鳩と言うと、宮清めでイエス様は神殿への供え物の鳩の屋台をひっくり返しています。ルカによる福音書の2章によると、イエス様が誕生された時、両親は鳩を生け贄に捧げたと書いてあります。生け贄となるのは、聖別された傷のない動物でなければなりません。また、イエス様が洗礼を受けた時、聖霊が「鳩のように」折りて来たのをご覧になったそうです。イエス様にとって、鳩は聖なる動物だったと言うことなのではないでしょうか。
ところで、イエス様が「蛇は賢い」その蛇のように、あなたたちは危なくなったらさっさと逃げろ、と教えていたとしても、古代の神学者たちの多くは、この教えをそのまま受け入れることはできなかったようです。迫害を前にして、逃亡することは絶対に赦されないと、強く主張する人々がたくさんいました。教会の役職者のみが迫害されているのであれば、逃亡は赦されるが、彼が逃亡すると教会が見捨てられたり、教会の人間がすべて、迫害されているのであれば、牧師は留まるべきであるというのが、古代教会の結論でした。殉教の時代が過ぎると、教会は異端論争を繰り広げることとなり、迫害の時代はむしろ古き良き時代となってしまったので、美化されたと言うこともあると思います。
一方、近代になりますと、再洗礼派やピューリタン、ユグノーと言った、ローマ・カトリック教会によって迫害を受けていた教会は、逃亡する方を選びます。ピューリタンは、イギリスでの迫害をのがれて、アメリカへ渡りました。ユグノーは、フランスの迫害をのがれて、スイスやオランダで自分たちの教会を作りました。彼らは、逃亡を福音を守り、さらに伝道の機会と考えたのです。

さて、この教会で長年牧会をしてくださり、15年ほど前に亡くなった小池章三牧師は、富士吉田教会に赴任する前は、台湾の花蓮港教会にいらっしゃいました。第二次大戦が終了して、日本が台湾の領有権を放棄し、帰国されたのです。花蓮港教会は、今では台湾の教会になっています。
ホーリネスの教会は、現地の台湾の人たちへの伝道を行い、台湾の人たちを牧師として立てていましたが、それは日本人が台湾に設立した教会としては、大変珍しいことでした。ほとんどの教会は、台湾に滞在している日本人のための教会だったからです。
花蓮と言う場所は、台湾の東側の港町です。台湾の地形は、真ん中より東側よりに山脈が通っています。17世紀以降に本格的に行われた中華系の人々は、大陸から渡って来たので、島の西側に入植します。そうすると、原住民の人たちは(原住民と言う言い方は、台湾では差別用語ではなくて、先住民と言う言葉よりもいい言葉だと考えられています)、中華系の人々に圧迫されて、次第に山地に追いやられるようになりました。そこで、台湾島の東側の花蓮港や台東というと、原住民の人たちがたくさん暮らしている地域と言うことになります。
小池先生の赴任した花蓮港教会は、この原住民の人たちへの伝道を行っていたのです。原住民の人たちへ、聖書がひそかに渡されました。当時の日本の植民地政府の警察は、原住民の人々に対しては、徹底的に武力で鎮圧しようとしていましたから、この行動は時に、命がけでした。聖書を読み、説教を聞くだけで、警察に引っ張られ、暴力を受けて大変なけがを負うと言うことが、しばしば行われたのです。
けれども、この伝道は、無駄ではありませんでした。現在、台湾のクリスチャンは、全人口の4.5%くらいだと言うことですが、原住民の人々に限ってみれば、70%に達しているそうです。
5年前に、神学校の授業の一環で、台湾の教会を訪ねました。その中には、二つの原住民の教会もありました。大変大きく、立派な会堂でした。洗礼盤や聖餐卓は、流木を拾って来て加工するなど、自分たちの手作りの教会です。その教会で、早朝祈祷会が、毎朝行われていました。朝5時からだったような気がします。夜には子どもたちに中国語の塾が開かれていました。就職の機会を拡げるためでした。信徒の人々は、明るく規律正しく、裕福では必ずしもないようですが、平安の中に暮しているように思いました。教会に聖霊の働きを感じたのです。

私が、あなた方を遣わす。どんなに私があなた方を愛し、遣わすあなた方のことを心配していることか。だから、危なくなったら逃げなさい、けれども、まっすぐな信仰を持ち続けなさい。神は、いつもあなた方と共にいる。
お祈りいたします。天の父なる神様、あなたの素晴らしいお名前を賛美します。伝道に派遣されるわたしたちは、一人ではありません。イエス様が派遣してくださるのであり、共に苦しんでくださるイエス様が共にいてくださるのです。神様の尊いご計画の中に、わたしたちを生かし、用いてください。主イエス・キリストのお名前によって、お祈りします。アーメン

2017年2月26日 「十二人の派遣」 今村あづさ伝道師
マタイによる福音書10:1~15

これまで主イエスは故郷のガリラヤで宣教活動をして来ました。教えて癒して、寝る暇もないほど働かれました。それによって、弟子になった人々ももちろんたくさんいたのです。しかし、それでも、イエス様の前に見える人々は、羊飼いのいない羊の群れのようでした。弱り果て、打ちひしがれている人々が、まだまだたくさんいたと言うことです。と言うよりも、ガリラヤ伝道をしていくと、ガリラヤ以外にも、ガリラヤ同様に、福音を待つ人々がいたと言うことでしょう。
そこでもっともっと、たくさんの人々に福音を伝えるために、イエス様は弟子たちを十二人選び、伝道のために派遣されました。一人が十二人になります。少なくとも、口は一つから十二に増える。だから、場所はこれまでのガリラヤから、イスラエル全体へ拡がるのです。ガリラヤは4章でゼブルンとナフタリの地、と書いてあって、イスラエルの内、二つの部族の領土だったということになっていますが、実際のところ、これら二部族の領土は比較的狭いですし、聖書の巻末の地図を見ると、ゼブルンとナフタリの領土がそのままガリラヤ地方になるわけでもない。しかし、イスラエルは十二部族ですから、十二人と言う訳でしょう。
5節では、異邦人のところへ行くな、サマリア人のところへ行くな、とあります。まずは、イスラエル人のところ限定と言う訳です。十二人ですから、限界があります。神様の選びはまずユダヤ人であった、と言うパウロなどの主張も、感じられます。
サマリア人というのは、もとの北王国、イスラエル王国に住み、旧約聖書の最初の5つの書物、モーセ五書のみを自分たちの正典として、主なる神を信仰していた人々でした。南のユダ王国の人々は、彼らは異端で自分たちは正当だと考えていました。そこで、伝道先から外されているのです。
けれども、イエス様がサマリア人をそのような差別の目で見てはいなかったことを、わたしたちは「よきサマリア人のたとえ」で知っています。また、今年度の聖句はヨハネによる福音書4章14節から取られていますが、この箇所は、イエス様がサマリアへ行って伝道をする話でした。
マタイによる福音書のここだけ読むと、イエス様は異邦人伝道に対して反対しているのではないか、と考えてしまいます。とすると、ほかの福音書とは違うではないか、と主張する人もいます。けれども、この箇所は伝道の第二段階であって、最後は全人類に伝道しなさいと言う、28章19節になります。マタイによる福音書では、ガリラヤ、イスラエル、そして全世界へと、伝道の働きは拡がっていくのです。
『天の国は近づいた』という、主イエスの福音の言葉は、イスラエル全体へ拡がっていきます。けれども、闇もまた、それを止めようとするかのように、拡がっていきます。イエス様が福音伝道を始められたのは、洗礼者ヨハネが捕らえられたことがきっかけでした。ここで、伝道の地はガリラヤからイスラエル全土に拡がっていきますが、洗礼者ヨハネは14章で殺されてしまいます。そして、主イエスが十字架で殺されて復活して初めて、福音は全世界へ拡がることとなるのです。神様のご計画が拡がっていくことに、闇の勢力は必死で抵抗しているようにも読むことができるでしょう。けれども、既に勝負はついており、闇はそれを阻むことはできません。
さて、ここで弟子たちは、「汚れた霊に対する権能を授け」られて、派遣されました。イエスという師匠の持つ力を与えられたのです。そこで、イエス様が弟子に権能をお与えになったということは、弟子が自由にその権能を使うことができると言うことです。それでは、弟子が勝手に自分の思うようにふるまってよいということかと言うと、もちろん違います。1ページめくってもらって18ページの上の段最後の段落では、「弟子は師のようになれば、それで十分である。」と、イエス様は言っています。
7節にあるように、イエス様は、弟子たちに、「行って、『天の国は近づいた』と述べ伝えなさい。病人を癒し、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。」と命じています。これらは、イエス様が言っていたこと、やってきたことと、変わりません。4章17章で、イエス様は宣教の初めに、「悔い改めよ、減の国は近づいた。」とおっしゃり、23節でガリラヤ中を回って教え、宣べ伝え、癒されたのです。弟子たちも、イエス様と同じことをやるのです。
「弟子は師に勝るものではない」と書いてあります。弟子が力を持ったからと言って、師匠以上に出来るものではないのです。中世のある神学者は、キリストに似た者となることを、弟子たちの究極的な目標としました。近代の敬虔主義の人たちもまた、新生、新しく生まれること、それも完全に生まれることを強調します。
こう言った方向性は、たとえばもう、自分は師匠に追いついたから、教会に来る必要はなくなった、といった極端に走る可能性もあるので、注意しなければなりません。教会に通っていても、牧師を品定めするような人もあります。こう言う人は、自分もまた、イエス様の弟子であることを忘れていないでしょうか。逆に、教会の牧師を、イエス様と同一視してしまう人もいます。牧師も弟子として、イエス様に勝るものではなく、イエス様に命じられたことを行う者なのです。お互いが、イエス様の弟子として、呼びかけられていることを考えつつ、読んで行きたいのです。
さて、弟子たちは、汚れた霊に対する権能を授けられ、病気を癒すように命じられています。この時代の人々にとって、奇跡を起こすことは、神の力の働いていることを証しするものでした。つまり、人々を癒すことは、イエス様の働きが神様によるものであることを証明するものだったのです。
このような考え方は、古代の神学者でも反対する人がいました。奇跡など、インチキだ、奇跡についての話があるだけで信じられない、と言う訳です。この神学者は、奇跡物語の価値を認めず、イエス様の教えの方にこそ、価値があるのだと考えました。
現代でも、この古代のギリシアの神学者と同じように考える人は多いと思います。イエス様が、奇跡を行ったかどうかはともかく、前回の聖書の箇所で読んだ、人々に対するはらわたの引きちぎられるような憐れみの思いというのは、まぎれもなく主イエスのものです。造り主なる神様と同じ思いです。人々の苦しみに対して、さまざまな病や弱さに対して、健やかであるように、というのは、神様ご自身から来ているものです。
ここで主イエスは、弟子たちに人々の癒しを命じています。キリスト教の、医療や介護と言った行為は、イエス様の命令です。ここで命令されているから、最初から行われていました。そして、それは、人間の弱さに対して、健やかであるように、との神様の思いから発していると言えましょう。
9節~11節を読むと、厳しい言葉が並んでいます。貧しく着替えもない、不自由な生活で伝道活動をするように、と言っているようです。けれども、10節の最後は「働く者が食べ物を受け取るのは当然である。」とありますし、11節では伝道する時は、誰からの家に滞在をして、そこで伝道活動をしなさいと言う意味のことが書いてあります。
伝道活動は、何かお金を持って、伝道する地に自力で教会を建てなさい、と言うことではなくて、受け入れる側が、住む所、着る物、食べる物を用意しなさいと言う意味でしょうか。
この箇所を読んで、山梨県に伝道したイビー宣教師のことを思い出しました。皆さんの中にはご存じの人もいると思いますが、今日は、イビー宣教師の山梨県へのキリスト教伝道が、どのように行われたかを見ていきたいと思います。
日本キリスト教団に属する教会というと、山梨県には16教会1伝道所があります。このうち、韮崎、甲府、市川、巨摩、峡南、日下部、勝沼、谷村の各教会は、メソジストの伝統を持つ教会です。これらは、たった一人の宣教師、イビーの宣教活動をもとにして、設立されました。
カナダ・メソジストのイビー宣教師は、明治十年1877年に、山梨県に入って宣教活動を始めました。甲府に居を構え、甲府盆地中を馬に乗って宣教して回ったそうです。静岡にキリスト教の宣教師が入ったのが1871年です。県境を越えるのに6年かかったことになります。
イビーが最初に入った土地は、南部町、今の峡南教会です。今は、森容子牧師が赴任しておられます。ここに地元の人がやっている学習塾がありました。学習塾と言っても、西欧の政治学の講義をしていたというのですから、大人向けです。ここに私塾を開いた人は、西洋医学を学んだ医師を招いて、医院も開いたそうです。
イビー先生は、1877年の夏に、この地で英語の講師を勤めました。これは、学習塾側が、キリスト教に関する英語の先生に来てほしいと考え、静岡教会の信徒から紹介されたのです。南部町で講義を受け持ち、午後には伝道、そして日曜日には説教をしたのでした。
このことがきっかけで、イビーは翌年、甲府を訪ねました。翌々年から甲府の英語塾の教師として恒久的に雇われ、家族で住むようになります。甲府教会の始まりです。当時は政府によって、外国人が、土地や家を所有することは許されませんでした。イビー宣教師を招いた人々が、招くにあたって居住する家と、講義所、つまり教会を準備しました。
11節を読むと、イビーの行ったことは、全く聖書の通りだったと思います。イビーを招いたのは、山梨県の地主たちでした。大地主にはネットワークがあり、それぞれの地域の地主は、イビーを招いて講義を依頼します。イビーは馬に乗って、甲府盆地のあちこちを巡回しました。これによって、それぞれの地域に教会ができていきました。この方法はまた、メソジストの伝道方法にも、則ったやり方でした。
イビーによるカナダ・メソジストの伝道は、何かとても、山梨県の人々に、好意的に受け止められた気がします。不思議な気もしますが、理由の一つは、江戸時代に甲斐の国が幕府の直轄地であったことがあると思います。明治時代になってから、江戸幕府の人々は、静岡に戻って来ました。そして、旧幕臣からたくさんのクリスチャンになる人たちが出ました。それは、江戸時代の朱子学に代わって、キリスト教を自分たちのこれからの精神的な支柱にしたいと考えたからでした。政治や経済は、薩長政府が握っていましたので、これから自分たちは文化、教育、宗教の分野で日本を引っ張っていきたいと言うことでした。隣の静岡県のこのような動きが、山梨県でもキリスト教の受け入れられる理由の一つにあったと思います。
けれども、やはり、それだけではない。御言葉には、力があると言うことです。聖霊が、御言葉を通じて、働いてくださると言うことです。

ところで、富士吉田周辺は、多少、状況が異なります。カナダ・メソジストの働きは、確かに谷村まではやって来ました。勝沼教会を軸として、大月、上野原、と言った地域も伝道が進められました。けれども、なかなか南都留郡、つまりわたしたちが居住している地域での伝道は、うまくいかなかったのです。
そういった面では、元旦に荒井保の話をしましたが、イビーからすると二世代も後の時代のホーリネス教会の働きも、大変なものだったと思わざるを得ません。ホーリネスの系統の教会は、富士吉田のほかに、大月新生、石和、山梨八代、愛宕町があります。これらの最初が、富士吉田教会だったのです。会議室に河口湖の近くだと思いますが、伝道集会での群衆の写真がありますが、これがどんなものだったのか、いつかまた、お話ができたらと思っています。
最後に、今回の聖書箇所の通りのことをやって開拓伝道をしました、と言う話しは日本では当たり前のようにたくさんあります。今でも、これに近い生活をしている伝道者がいます。
けれども、説教のあんちょことも言うべき、註解本を読むと、一冊ならず、この聖書の箇所の言っていることが自分の状況とは全く異なっているという著者の言葉に出会います。というのは、註解本は、ほとんど、ヨーロッパやアメリカ合衆国の神学者たちが書いているからです。
彼らは、神学校や大学の神学部で、年金が保証されている人たちです。また、彼らが基本的に読者に想定している牧師たちの生活も、日本とは比べ物になりません。ヨーロッパであれば、通常の教会の財政は、税金で賄われています。つまり、牧師と言うのは、いわば、地方公務員であるのです。
このような状況には、長い歴史があります。古代の末期にローマ帝国でキリスト教が国教になると、牧師たちの身分は保証されることになりました。彼らは、封建地主として、身分制の議会では第二身分として、身分保証されてきたのです。
イビーもまた、宣教師として、安定した生活を捨てて、日本に来たと言うことでしょう。地主たちの用意する家、講義所、仕事、俸給は、それなりのものだっただろうと思います。けれども、パンにカリカリベーコン、焼きトマトと目玉焼き、香り高い紅茶の朝ごはんを食べていた人が、ご飯に味噌汁、塩じゃけ、納豆、漬物に佃煮に慣れるのは容易ではなかったでしょう。イビーがどんなことを考えて、日本に来たのかについては、今後の研究課題ですが、何を置いても、ありがたいことだと思います。
お祈りします。
天の父なる神様、あなたのご計画により、わたしたちのところに主イエスが来てくださったことを感謝します。あなたが多くの人々に働きかけてくださり、福音が述べ伝えられていることを感謝いたします。このお祈りを、主イエス・キリストのお名前を通して、お祈りします。アーメン

礼拝説教アーカイブ

2017年

2016年

以前のアーカイブはこちら。
(準備中)

ページのトップへ戻る