時を見極める

人生において大切な要素として見極めるというものがあります。夏うっかり出しっぱなしにしていた食べ物が腐っていないか見極めるようなことや大安売りで本当に必要なものかをもう一度考えるような身近な事柄から、自分の人生にとっての大きな選択、決断、そういった物事を見極めたりする大切なことまで私達の周りにはタイミング良く、とか注意するという少し広がりのある意味まで含めると一日の生活の中で最適なこと、正しいことを見極めて生活しています。そういった中で聖書の語っていることを見極め、そして自分にその本質を適応していくことはとても大切です。聖書に書かれていることだからとなんでも同じように時をわきまえずに実生活の中に行っていくならば私達は一種の宗教オタクのような状況になるでしょう。神様の時に神様が語られることを聞き分け、従っていくその本質に信仰があるのであって、結果的に行っている行動になにか超自然的な力があるわけではありません。神様に従うことが大切であってその時に語られて限定的に行われた信仰による行動や預言的行動自体に奇跡を起こす力があるわけではありません。私達は自分の信仰生活において刈り取りという側面と試練という側面を混同せずに主の前にしっかりと立つ必要があります。なんでも試練だ思いこんでしまうと悔い改めも改善もないからです。逆になんでもかんでも刈り取りだと思ってしまうと神経質で恐れに満ちた生活になるでしょう。私達は主にあってみことばに立ち、そしてしっかりと見極めていく知識、品性、感性を主にあって養い育てていく者となりましょう。福音書からイエス様がどのようにされたのか。また使徒行伝以降の弟子達の成功や失敗の中に私達には大きな助けとなるヒントが溢れています。主を知り、時を見分け、力強く歩む者となりましょう。

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