キリストの復活

礼拝説教メモ

ルカの福音書24章1-12節

イエス様は十字架にかかった後、有力者ヨセフの墓に納められた。

金曜日に十字架にかかり、日曜日に復活された。

本当にイエス様は復活されたのだろうか。

☆遺体は誰かに盗まれたのだろうか。
(1)祭司長たちやローマ人たちが盗んだのだろうか。(マタイ27:62-66)

彼らはイエス様が死後3日後によみがえると以前言っていたのを覚えていた。

「弟子たちが遺体を盗み、イエス様はよみがえったと言えば、
イエス様を信じる人が多くなり、暴動がおこる」と考えた彼ら。

総督ピラトに墓の前に番兵をつけるよう願い、かなった。

つまり彼らは、イエス様の遺体が墓にずっとあり、
復活しなかったと証明したかったので、イエス様の遺体を盗むはずはない。
(2)弟子たちが盗んだのだろうか。

弟子たちは、イエス様が復活すると信じていなかった。

イエス様の十字架の死後、自分たちも捉えられるのではないかと恐れ、
身を潜め、隠れていた弟子たち。

そんな彼らが、復活を演じる為に、イエス様の遺体を盗むという事は考えられない。

彼らは、ユダヤ人やローマ兵を恐れておびえていたので、
リスクを侵してイエス様の遺体を盗むはずはない。

誰もイエス様の遺体を盗まなかったと結論される。
☆天使の啓示

天使が墓の石を転がした。と聖書にある。

ラッパを吹いて、優雅に空を飛ぶといった天使のイメージを持たれやすいが、
この天使の顔は稲妻のようであり、彼らを見た番兵や女たちは恐怖に震えた。

天使が石を転がしたのは、イエス様のためではなかった。

イエス様はすでに栄光の体となっており、石を通り抜けられたからだ。

では、何のために、、、。

それは、女たちや弟子たちが、イエス様の復活を信じる為ではないだろう か。

天使たちはイエス様の言葉を思い起こさせた。

空の墓を見、天使による神の啓示(みことばと一致する)を受け、
彼女たちは、復活を信じた。

愛するイエス様が復活したと信じた。
☆私たちがイエス様の復活を信じるという事

それは、死んだイエス様ではなく、
今も生きておられるイエス様を信じるという事。

それは、救いの条件である。(ローマ10:9)

新しい命の確信が与えられる。

復活を信じる者もまた復活するという希望が与えられる。(1コリント15:20,23)
一言:イエス 様が復活された場面は、フィクションのようだと思うかもしれない。

神しか成し得ないその御業に、神の愛と配慮を感じずにはいられない。

復活を信じる私たちは、大いなる神の計画とみ胸の中に憩う。

この希望と愛は、永遠。

そしてこの地上で、人々と愛し合いたくなります。

キリストの埋葬

礼拝説教メモ

3/20(日)は「キリストの埋葬」を学びました。

 

ルカ23章50〜56節

☆イエス様の死・埋葬が、神のみが成し得る神のみ業であると分かるポイント☆

①イエス様の死のタイミング

当時十字架刑では、罪人は2-3日後に息を引き取るのが普通だった。

しかし、イエス様は6時間で死なれた。

死んだ時間:午後3時・・・過ぎ越しの小羊のほふられる時。

→イエス様は過ぎ越しの祭りで毎年捧げなければならなかった動物のいけにえに変わり、永遠に一度きりの贖いとなられ、ご自身を神に捧げられた。

→私たち一人一人の罪の為であった。

 

②イエス様の死の確認方法(ヨハネ19:31-37)

兵士は、イエス様が死んでいるのを確認したのですねを折らなかった。

(死んでいない場合はすねを折り、呼吸困難で死に至らせる為)

確実に死んでいるかを確認する為に、イエス様のわき腹に槍を刺した。

そこから血と水が出てきた。

→イエス様の死の確認方法(すねを折られない事とわき腹を槍で刺される事)は、出エジプト記12:46、預言者ゼカリヤ12:10の預言の成就であった。

→神が完全な救いの道を計画し、実行した。

 

③イエス様の埋葬者:ヨセフ

当時、十字架につけられた罪人の体は解剖に回された。

イスラエルの議員70人の1人、有力者のヨセフ。

彼はイエスの弟子である事を隠していた。

しかし、彼はイエスの十字架の死を見、彼の心に変化があった。

彼は思い切って総督ピラトに遺体の引き渡しを願った。

(彼は地位や名誉や大切なものを失うことよりも、主のために行動した)

イエスの手の杭を抜き、いばらの冠を外し、血と泥まみれのイエス様を洗った。

そして、自分たち家族の墓にイエスを納めた。

→有力者の墓に入る事もイザヤ53:9の預言の成就であった。

まとめ:イエスの死・埋葬は、普通ではなかった。全てが預言の成就であった。

    恐れを抱いていたヨセフが、神の預言の成就に用いられた。

一言:イエス様の十字架と復活の間にある「埋葬」に、こんなにも神様のみ業が溢れていたなんて、、、。神様を感じて、恐れと感動に震える思いです。

牧師の妻のつぶやき

ふと、子どもたちの目がとても澄んでいて、笑顔が素敵だと感じた。

それは何も知らないからだろうか。何も責任や心配が無いからだろうか。

それは愛に包まれて寂しさを感じないからだろうか。

 

そんなことを感じながら、私も子どもの頃は澄んだ目をしていただろうかを思い返す。

今私の目が澄んでいないのかと自問自答するれば、半々ぐらいかと軽く考える。

しかし責任や心配や寂しさを感じて人を羨ましく思ったり、人に対して優越感を持ったりする時、

自分の目は澄んでいないだろうと痛感する。

 

「子どもの頃に戻りたいか」と、どうしようもない自問自答をすれば「戻りたい」とは思わない。

なぜなら私は知恵と知識があることを喜ぶからだ。責任を果たし、心配を克服することを喜ぶからだ。

そして愛し愛されることを喜ぶからだ。

 

「初めに神が、天と地を創造した。」(創世記1:1)

進化論の「偶然から世界は始まった」のではなく、「神のことばから始まった。」

この世界のすべてに意味と目的があり、秩序と配慮がある。

さあ、まわりに神の栄光が満ち溢れている。

自分ではなくそれを見るならば必ず私の目が澄み、輝くことができる。

新会堂建築 Part.2(場所)

新会堂の新たな場所は大網白里市です。(住所:大網白里市駒込1179-5)大網駅から約850m、徒歩10分の場所になります。

広さは72坪ほどで南東向きの日当たりの良い土地です。建物を建ててから駐車スペースは敷地内に4台分確保できます。敷地外にも何台か停められそうです。

徒歩圏内に駅、コンビニ、イオンがあります。住宅街も近く、みなさんがアクセスしやすい場所です。

今年の夏頃に引越し予定です。みなさんよろしくお願い致します。

新会堂建築 Part.1

私たち上総キリスト教会は現在東金市福俵にある一戸建てで2011年4月から活動を開始しました。そこでともに礼拝をささげ、みことばを学び、地域(東金市、大網白里市、九十九里町)にあんないを配布してきました。

この度、自分たちの教会の建物を建築することとなりました。これまでこの小さな教会のために祈り、支えてくださっているみなさんに心から感謝致します。

追って詳細をアップしていく予定です。何か質問等ありましたらコメントくださるか、kazusa_cc@beach.ocn.ne.jpまでメールください。