イエス様の証人

礼拝説教メモ

ルカの福音書24:44-53

復活をされたイエス様が、
弟子たちに栄光のからだを現されました。

見る事ができる、話す事ができる、
触る事ができる、魚を食べる事ができるイエス様。

昇天される前にイエス様は、弟子たちに話されました。
遺言とも言えるでしょう。

44〜47節                                                 託されたメッセージについて

1.イエス様は約束の救い主

「私についてモーセの律法と預言者と詩篇とに書いてあることは、
必ず全部成就するということでした。」

→イエス様が、キリスト教という宗教を開いたわけではない。
イエス様は生前からある旧約聖書に約束された救い主 である。

2.イエス様の十字架と復活

「キリストは苦しみを受け、三日目に死人の中からよみがえり、・・・」

→イエス様が、完全な罪の為のいけにえ、罪の贖いとなられた。

3.イエス様は罪の赦しを得させてくださる

「その名によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、
エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」

→イエス様によって、悔い改めと罪の赦しが与えられ、
救いの道が拡がり、イエス様を信じる人々が全世界に起こされる。
48節                                                    証人について
「あなたがたは、これらのことの証人です。」

福音はエルサレムから始まって、
神のみ業により(信仰者たちの宣教により)、伝えられました。
それは1、2、3のことです。

1.イエス様は約束の救い主

2.イエス様の十字架と復活

3.イエス様は罪の赦しを得させてくださる

私たちクリスチャンは、これらのことの、
イエス様の生きた証人です。

このメッセージがイエス様から託されています。

49節
聖霊について
a.父の約束してくださったもの
b.いと高きところからの力

父が約束してくださったものを、
イエス様(主語)が、聖霊を
私たちクリスチャンに与えて下さいます。

私たちは愚かで弱いものです。
イエス様は私たちが愚かで弱い事をよくご存知です。
ですから、「完全な助け主」を与えて下さいました。

〜 一言 〜
私たちが、日本に住む私たちが、イエス様の証人になっています。
神様の約束の成就、み言葉の恵み、信仰者たちの涙の種まき(情熱)を思います。
私たちは、イエス様からメッセージを託された「イエス様の証人」です。
何の証人なのでしょうか、、、。
私たちは、何を証する者なのでしょうか、、、。
証の内容は、イエス様。
それはシンプルで純粋で、人が何かを付け加える必要のないことです。
1、2、3のことを信じて いる私たち。これが奇跡であり、恵みであり、全てです。
福音が純粋であるということ。
福音に混ぜ物をしないということ。
託されたメッセージを思う時、
自分のこれまでのクリスチャンとしての歩みを嘆かずにはいられない。
福音の純粋さを理解し、伝えることは本当に難しい事だと感じて、
悔い改め、神様の助けを祈らずにはいられない。
自分に起きた奇跡と恵みを感謝し、
神様を礼拝し、真実の福音を述べ伝えたいと思わずにいられない。

復活されたイエス様のからだ

礼拝説教メモ
ルカの福音書24章33-43節

2人の弟子は、エマオへの道で、イエス様に聖書全体から
ご自身について書いてある預言を説き明かされた。

イエス様との再開からではなく、聖書のみことばを理解する事から
心が燃えた二人の弟子たち。

パンを裂かれ、弟子たちに渡されるとイエス様の姿が消えた。
食事もまだ食べていないのに、
夜であったのに(強盗や暗い夜道の危険があったのに)、
エルサレムまでまた2時間ほどもかかるのに、
二人の弟子はすぐにエルサレムに戻ります。

使徒たちに会って、この出来事を伝えたい !
悲しみと恐れの中、意気消沈している彼らを励ましたい!

鍵が掛けられていた使徒たちの集合場所に入ると、
予想外にその場は興奮に溢れていた。

シモン(ペテロ)にもイエス様が現れたと
復活について話されていたのだ。

6人の証言が一致した。
3人の女たち→2人の弟子たち(男)→使徒ペテロ(リーダー)
証言がより確実に、信ぴょう性が増していった。

その喜びの最中に
イエス様ご自身が彼らの真ん中に立たれた。

彼らはイエス様の”霊”だと思い(部屋は鍵がかけられていたから)
驚き恐れた。

そんな彼らに、イエス様は”栄光のからだ”を示された。

イエス様の復活は肉体をともなっていた。

十字架の傷跡が残る手と足、槍が刺された脇腹、
そして今まで何度も見たイエス様が魚を食べられる御姿。

”栄光のからだ”は、見る事ができる、話す事ができる、
ふれる事ができる、食事をする事ができる。

この世の必要にも、天国の必要にも従う事ができる”栄光のからだ”。

やがて私たちにも再臨時の復活において、
”栄光のからだ”が与えられる。

ピリピ3:20-21、1コリント15:40-44、コロサイ3:1-4、ローマ8:29-32

仏教思想が文化的な背景にあるので、私たちは
死後は”霊”として存在する と想像しがちだ。
輪廻や成仏などの影響。。。

しかし復活は肉体がともなうということをイエス様が示された。

聖書は私たちもイエス様と同じように、
肉と骨を持ち、飲み食いが出来る、永遠の”栄光のからだ”を持つと教えています。

一言:神の国が来たならば、イエス様と共に聖餐を肉と骨のある”栄光のからだ”で味わうことでしょう。
ルカ22:15-19
大きな希望を持って、復活に備えましょう。

エマオヘの道で

「みことばの教師イエス様」

礼拝説教メモ

ルカの福音書24章13-32節

女たちがイエス様の復活を使徒たちに伝えました。

使徒たちは、イエス様の復活を信じませんでした。

過ぎ越しの祭りを終え、
エルサレムからエマオへ向かう2人の弟子がいました。

栄光の体となったイエス様が、彼らと一緒に歩いていました。

彼らは、話の的であるイエス様と気づきませんでした。

(彼らの目は、イエス様によってさえぎられていたのです。
→後にイエス様によって目 が開かれます。)
⒈イエス様が「話していることはどんなことですか?」と質問したのはなぜ?

→十字架と復活について、事実を知ってはいるが、
聖書の預言から理解していないことを指摘する為だった。
2.イエス様が、十字架と復活をどのように説明されたか?

→聖書全体からの説き明かしを丁寧になされた。

復活したことを示すだけなら、
会った瞬間に「私がイエスだ。」とご自分を現されるだけで良かったでしょう。

しかしイエス様は彼らの目を遮り、ご自分を現さないようにされ、
エマオヘの2時間ほどの間、イエス様は彼らに聖書全体から教え られた。
3.みことばを理解した弟子たちはどうなったか?

→彼らの心のうちは燃えた。

彼らはイエス様に聖書を教えられ、
イエス様の十字架と復活をみことばから確信した。

彼らの心が燃えたのは、イエス様に会ったからではない。
(彼らはイエス様と気づいていなかったからだ。)

みことばからイエス様の十字架と復活を理解し、
確信したから、彼らの心のうちは燃えた。

イエス様がパンを裂き、彼らに与えると、
彼らはイエス様だと分かった。
イエス様が彼らの目を開かれた。

イエス様は声もかけず、抱擁を交わすこともなく、姿を消した。

イエス様との再開によって心が燃えたならば、

イエス様がまた見えなくなってしまえば、その心の炎は消えてしまうかもしれない。

しかし、永遠に変わる事のないみことばを学び、確信した彼らは
みことばにあらわされている神のみこころを
みことばの教師イエス様の思いを
受け取ったのではないだろうか。

私たちは、自分が聖書を知らない事を自覚しているだろうか。
私たちは、聖書全体から神様を 理解しているだろうか。
私たちの心のうちは、燃えているだろうか。

→みことばを知らないこと、
聖書全体(みことば)から理解していないこと、
心のうちが燃えていないことを神の前に悔い改め、
神の助けを祈り求めよう。