イエス殺しの罪とその赦し

使徒の働き2章36-40節
説教メモ
1.罪の赦しを求めた者たちの姿(36-37節)
ペテロはエルサレムの人たちに、「あなたがたが、イエスを十字架につけたのです。」と叫んで、人々を罪に定めました。
何世代にも渡って待ち望んでいた救い主メシア。歴史上、あらゆる国の支配と圧制を受けていた彼らの唯一の希望であるメシア。それがナザレ人のイエスだったとペテロに教えられました。

人々の心は刺されました。ショックを受けたのです。ペテロの言う通りだと。
私たちは心刺されるでしょうか。
罪について鈍感どころか罪への意識が本当に乏しい私たちは、心の中で殺人の罪を犯していると指摘されれば、しぶしぶ認めるかもしれません。しかし、このイエス殺し、メシア殺しの罪が私たちにもあると言われるとどうでしょうか。私たちは、2000年前には生きておらず、殺したわけでもなければ、ましてやそれを望んだこともありません。しかしイエスを認めず信じない人はイエスを十字架につけた罪に定められているのです。人に対しての罪ではありません。相手は、神です。

ショックを受けるでしょうか。神への罪の意識の乏しさを自覚しましょう。

2.罪の赦しの方法(38節)
ペテロはここで、罪の赦しの方法とそれに伴う一つの約束を語りました。その方法は、悔い改めて、イエス・キリストの名によるバプテスマを受ける事でした。
・悔い改め・・・自分の罪を自覚して、心の転換によって行動も、生活も、生き方も変わる全人格的な転換
・バプテスマ・・・悔い改めた者の新生の象徴、表明の形
水のバプテスマ(預言者ヨハネ)・・・「悔い改めのバプテスマ」
父と子と聖霊の名によるバプテスマ・・・「罪の赦しを与えるバプテスマ」、「(この時誕生した)教会に加わるバプテスマ」
・約束・・・賜物として聖霊(のバプテスマ)を受ける

3.その約束が及ぶ範囲(39節)
聖霊のバプテスマの約束は時代を超えて、国境を超えて、私たちの神である主がお選びになる人々に与えられると約束されています。これこそすべての赦された者、全ての救われた者に聖霊のバプテスマが与えられていることの根拠です。そしてその約束に私たちも入れられているのです。

~感じたこと~
イエス様を十字架につけた罪とその罪の赦しと聖霊が与えられる約束に入れられたことを学びました。自分の罪への鈍感さを嘆かずにはいられません。この罪の大きさをもっと自覚する事が出来るようになりたいと思います。神様と人に対する自分の罪深さ、自分が救い主メシアを殺した者であるという罪の悲惨さをもっと自覚し、自分を誇る事が出来なくなるように、深い悔い改めを日々主の前に捧げる事が出来るようにと祈る者です。バプテスマを受けたその後の歩みも、更にその罪の赦しの大きさを確信し続け、賛美をささげていきたいです。私は聖霊が神様からの贈り物として与えられ、新しい人とつくりかえられました。この醜く小さな私が、神様の大きな計画と約束の中に入れられ、生きることが出来る事を心から感謝します。

会堂建築の様子(5)

外装は大詰めを迎えています。

内装は壁紙と照明関係となりました。

6月中には建物が完成し、外構工事を含めても7月中に完成しそうです。

ここまで事故や怪我なく守られています。

みなさんのお祈りを感謝致します。2016-06-20 12.40.12

 

2016-06-18 12.09.20

ナザレのイエスこそ主である(その復活と昇天)

使徒の働き2章24-35節

説教メモ

 

ペテロと使徒たちは復活されたイエスと会い、話をしました。このペンテコステから10日前にイエスの昇天を目撃しました。

しかし、ペンテコステの日ペテロの説教を聞いているイスラエルの人々は、復活され、昇天されるイエスを見ていません。

そんな彼らにペテロは、詩篇16篇と110篇を引用し、イエスの復活と昇天を説明しました。

五旬節の祭りにエルサレムに集まっていた敬虔なユダヤ人たちとって、英雄であり最も尊敬されている王様ダビデの記したことばから、復活と昇天を解き明かしたのです。

 

詩篇16篇8-11節は預言であり、主語の”私”はイエスです。主語の”私”がダビデではないことを説明する為に、29節でダビデの朽ちた(死んだ)肉体は墓にあることを共有しました。主語がイエスだと思いながら、読み返してみましょう。イエスの右には父なる神がおられ、肉体の復活のことが預言されています。詩篇110篇では、主語の”私”はダビデ自身であり、”主”が父なる神を、”私の主”がイエスです。イエスの昇天について、預言されています。

 

預言者でもあったダビデは、知っていたのです。自分の子孫から、救い主メシアが生まれること、そのメシアは死から復活され、永遠に続く神の国の王座につくことを、、。

 

ペテロは復活したイエスに会ったこと、話したこと、ともに過ごしたことを詳細に説明したのではありませんでした。この体験からではなく、まず預言(みことば)を解き明かしました。

ユダヤ人が小さな時から学び、守ろうとしてきた旧約聖書のことば、何度も聞いてきた預言者ダビデのことばが、イエスの復活と昇天を預言していると伝えたのです。

イスラエルの人々の驚きと感動はどれほどだったことでしょう。神のことばを託されてきたユダヤ人たちが、神のことばの本当の意味を知った衝撃は、私たちの想像を絶するものだったのではないかと思わずにはいられません。

そしてイエスの昇天の目的は、聖霊の注ぎ(今見聞きしている聖霊のバプテスマ)だと語りました。

 

 

~まとめ~

1.イエスの復活

☆神がイエスを死の苦しみから解き放った(24節)

☆神がイエスをよみがえらせた(32節)

 2.イエスの昇天

☆神がイエスをご自分の右に上げた

☆昇天の目的は、イエスに聖霊を与え、イエスが聖霊を注ぐことである

ナザレのイエスこそ主である(その生涯と十字架)

使徒の働き2章22-23節

説教メモ

 

1.イエスの生涯

ペテロは、ナザレのイエスの生涯を思い起こさせます。

病人を癒したり、2匹の魚と5つのパンで大勢の人の腹を満たしたり、、。

一つや二つではない奇跡の数々は、人が成せる業ではなく、神のみが成せる業だと。

イエスこそが、イスラエルの人々が、ずっとずっと待ちに待っていた約束の救い主メシアなのだと、、、。神様が奇蹟によってそれを証明されました。

 

2.十字架

イエスは十字架にかかって死なれました。直接手を下したのはローマ兵、それを先導したのはユダヤ人の指導者たちでした。しかしペテロは、十字架にかけたのは、”あなたがた”だとイスラエルの人々を罪に定めます。

神の基準は人の心にあります。実際に手を下していなくても、そうなるように企てていなくても、イエスを憎んだ者、拒んだ者、心の中で彼を排除した者がイエスを十字架にかけたのです。

 

ペテロは人々の心の罪を明らかにした後、神様のご計画について話しました。イエスの十字架の死は、ローマ兵やユダヤ人の指導者たち、そしてサタンの勝利を意味しません。それは神様のご計画と勝利であり、イエスが死までも神様に従われたのです。自ら、喜んで。

神様はイエスの十字架によってこの方が救い主であることを証明されました。

 

聖書は人の罪とともに神様が全ての主権者であることを教えている。

 

一言

私たちは何によってイエスが救い主であると信じているのでしょうか。その「生涯」が、「十字架」がそれを実証しています。

そして「ナザレのイエスこそ主であること」の実証は「復活」と「昇天」に続きます。

会堂建築の様子(4)

窓が入り外観全体が分かるようになり、内側の広さもつかめるようになってきました。

照明や配線の打ち合わせを済ませました。

想定よりも工事が早く進んでいるとのことです。

このペースで進めば外構工事(駐車スペース)含めて7月いっぱいには完成するかもしれないとのことです。

大工さんたち暑い中本当にありがとうございます。

みなさんのお祈りを感謝致します。
2016-06-02 15.44.46

 

2016-06-02 15.24.08