本日の講壇

聖書箇所 ヨハネの福音書20章19~31節

説教題 『永遠の生命を得るために』

■序論

聖書は読者が神の御子イエス・キリストを信じて永遠の生命を得るために書かれた。聖書の真の著者である聖霊が私達を信仰に導いて下さると感謝しよう。

 

1.平安が与えられ遣わされる者(19~23節)

イエス様が復活された日曜日の夕方、弟子達はユダヤ人を恐れて家の中にいた。彼らはマグダラのマリヤからイエス復活の知らせを聞いたが、何も行動せず籠った状態だった。イエス様はそこに顕現し、弟子達に平安を祈る挨拶をされた。不安や恐れから解放して下さるのは主の平安である。弟子達はイエス様を見て歓喜した。イエス様は弟子達が助け主なる聖霊の力を受けて世界宣教に遣わされることを宣言された。そして、罪を赦す神の権威を教会に託された。恐れやすい者でも、主の平安と聖霊の力をいただく時に宣教に遣わされると信じよう。

 

2.見ずに信じる幸いな者(24~29節)

イエス様が顕現された時にそこにいなかったトマスは、弟子達からその様子を聞いた。しかし彼はイエス様の十字架の傷跡を見て触るまでは信じないと断言した。トマスはイエス様を愛する思いを持っていた1116145。翌週の日曜日に再びイエス様が顕現された。トマスは彼の罪のために十字架で死んで下さったイエス様に心から感謝し、「私の主、私の神」と信仰告白をした。イエス様は彼に見ずに信じる者になるように言われた。イエス様を見たことがなくても聖書を通してイエス様と出会い、信じることができる者は何と幸いなことか。

 

3. 信じていのちを得る者(30~31節)

イエス様がなされたしるしのすべてが福音書に書かれているわけではない。むしろ書かれているのはほんの一部である2125。しかしイエス様が神の御子キリストであることを信じるためには聖書に書かれていることで十分である。これほど確かな証言が書かれているのに信じない人は、これ以上書かれていても信じないのである。聖書が伝えようとしている一番大事なメッセージは私達の罪の救い主イエス様を信じれば永遠の生命をいただけることである。聖霊によって信仰告白に至った私達は、イエス様こそ救い主であることを伝えよう。■結論

「平安があなたがたにあるように」「聖霊を受けなさい」と主は私達の信仰を励まし遣わされる。聖書を通して、永遠の生命に至る福音を喜んで伝えよう。

 

ヨハネの福音書20章19~31節

20:19 その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。

弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、

イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

 20:20 こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。
弟子たちは、主を見て喜んだ。

 20:21 イエスはもう一度、彼らに言われた。
「平安があなたがたにあるように。
父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。」

 20:22 そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。

 20:23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、
あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

 20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれるトマスは、
イエスが来られたときに、彼らといっしょにいなかった。

 20:25 それで、ほかの弟子たちが彼に「私たちは主を見た。」と言った。
しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、
また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と言った。

 20:26 八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らといっしょにいた。
戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って
「平安があなたがたにあるように。」と言われた。

 20:27 それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、
わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。
信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」

 20:28 トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」

 20:29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。
見ずに信じる者は幸いです。」

 20:30 この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、
イエスは弟子たちの前で行なわれた。

 20:31 しかし、これらのことが書かれたのは、
イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるため
、また、あなたがたが信じて、イエスの御名によっていのちを得るためである。