聖書箇所 使徒の働き28章1~10節 説教題 『そこにも神はおられる』 ■序論 ローマに向かう船は嵐に見舞われ漂流した(27:40)。しかし全員が無事に泳いで陸地にたどり着いた。いつでも、どこにおいても神様が共におられることを信じよう。 1、マルタ島でもてなされるパウロ(1~2節) パウロ達がたどり着いたのはマルタ島である。クラウダ島から西へ約900キロ流されたことになるが、結果として目的地であるローマには近づいた。マルタ島には未開人(ギリシヤ人から見てギリシヤ人ではない人達)が住んでいた。見知らぬ地に漂流したにも関わらず、マルタ島の人々は彼らを非常に親切にもてなした。神様は予定外の地に漂流した彼らのことも見捨てずに共にいて下さるお方である。そればかりか、彼らを迎える人達まで備えておられる。神様を信じて従う人生はいずこにおいても「アドナイ・イルエ(主の山に備えあり)」(創世記22:14)の信仰に立とう。 2、まむしにかまれるパウロ(3~6節) 焚火の熱によってマムシがはい出してきて、パウロの手に巻きついた。島の人々はパウロが殺人犯で、正義の女神から罰を受けていると迷信を言い出した。パウロはマムシを火の中に振り落としたが、何の被害も受けていなかった。それを見て彼らはパウロのことを神様だと言い出した。真の神様を知らない人達の間では、こういうことが起こり得る。つまり、自分達の思い込みによって人を罪に定めたり、一転して人を神とみなしたりする。神様はパウロを通して御自身を現わされた。神様は人には全く思いも及ばない方法を通して、御自身を現わすお方だと信じよう。 3、医療伝道するパウロ(7~10節) パウロ達は島の首長ポプリオのところに招待され、手厚くもてなされた。ポプリオの父は病で床についていたが、パウロが彼の上に手を置いて祈ると癒された。これを聞き、島中の病人たちもパウロのもとに集まり、直してもらった。その際には医者である著者ルカもパウロを手伝ったと考えられる。専門技術を持つ者がその賜物を生かして福音を伝えるのは、現代においてもあらゆる形で応用されている。島の人々から非常に尊敬された一行は、必要な物を備えられて再びローマに向けて出発した。いななる状況でも、神様から与えられた賜物を福音宣教に用いよう。 ■結論 出エジプト3:13、14 神様はいずこにおいても共にいて下さるお方である。臨在信仰とアドナイ・イルエ(主の山に備えあり)の信仰によって、福音宣教に遣わされよう。 |