聖書箇所 Ⅰサムエル記1章1~20節 説教題 『神の前に心を注ぎ出して』 ■序論 本日は母の日である。聖書に数多く登場する母親の中から、預言者サムエルの母ハンナの信仰に光をあてる。家庭の中で苦難を味わったハンナが、神への信仰によって立ち上がる姿を通して、私達も主に信頼する者の秘訣を学ぼう。 1、 ハンナの心の痛み(1~11節) ハンナが苦しみ悲しんだ心の痛みの原因は、不妊の女であるがゆえに、家庭の中で居場所がなく、自分の価値を見失っていることであった。夫エルカナに愛されてはいても、第二夫人ペニンナとの関係の中で、不妊の女の立場のなさを辛く感じていた。それは毎年の巡礼の礼拝の場で特に強く感じ泣いていた。しかし、苦しみの中でも主なる神に訴えることができる。苦しみは神の最善への途中経過である。主に訴え、叫ぶ者に、神は慰めと憐れみを施される。(Ⅱコリント1:4~6) 2、神の前に心を注ぎだすハンナ(12~16節) 必死に祈っていたハンナであったが、祭司エリはその祈りの姿を酒に酔っていると誤解した。そのときハンナは、「神の前に心そそぎだしていた」と弁明する。神の前に心を注ぎだすとは、①神を寄り所、避け所として、神による解決を求めること(詩篇62:8、哀歌2:19)、②神の前に砕かれて罪を悔い改めること(Ⅰサムエル7:6)である。苦難の中で神に訴える祈りは、最初は苦しみの叫びであったとしても、次第に神の前に己の姿を問われるようになっていく。そこで悔い改めて立ち上がるならば、全く何の妨げもなく神に全てのことを委ね、明け渡すことができる。 3、変えられたハンナ(17~20節) 神の前に心をそそぎだしたハンナは変えられた。「顔はもはや以前のようではなかった」のである。誰の目にも明らかに、ハンナは信仰の確信と明け渡しによって変わったのであった。そして、全てを明け渡したハンナの信仰(Ⅰサムエル2:1~10)に神は心を留めて男の子を与えられた。神に全く頼る者へと変えられたとき、私達の人生が変わり、価値観が変わり、そしてその証として表情にもそれが現れる。私達も確信によって日々変えられ続ける恵みに生きる者となろう。 (Ⅱコリント4:16~18) ■結論 私達には、どんな苦難の中を通ったとしても、心を注ぎだすお方がおられる。そして私達は主の恵みの中で変えられて新たな歩みをすることができる。 |