本日の講壇

 

聖書箇所 ヨハネの福音書4章4654

説教題  『イエスのことばを信じる人』

■序論

目には見えない神様を信じる者は、霊とまことによって礼拝する。そのためには聖書を通して、イエス・キリストと出会い、救い主キリストとそのみことばを信じよう。

 

1.イエス様に来てほしいと願う役人(4648節)

イエス様一行は以前婚礼に出席したカナに来られた。そこに約40キロ離れたカペナウムから王の役人が来た。彼は自分の息子が熱病で死にかかっていた。彼は国主ヘロデに仕えていたが、イエス・キリストが息子を癒すと信じて決死の覚悟で来たのではないか。役人はイエス様に一緒にカペナウムに来て、息子を癒してほしいと願った。しかし、イエス様はしるしと不思議を見ない限り決して信じない彼の信仰を叱責した。役人はイエス様が息子のところに来なければ癒されないと考えていた。しかし神であるイエス様は時間にも場所にも制限されないお方だと信じよう。

 

2、イエス様のみことばを信じる信仰(4950節)

役人はイエス様を主と呼びかけ、さらに息子の癒しを願った。彼は息子が死なないうちにカペナウムに急いで来てもらいたいと願っていた。しかし、イエス様は死人をもよみがえらせるお方であることを彼は知らなかった。イエス様にとって、物理的に遠いことや時間が間に合わないことは何ら問題にならない。それは、イエス様のみことばを通して、いつでも、どこででも、神の御業がなされるからである。自分の納得いく時間、場所、方法を提示して、その通りになれば信じるというは主に委ねる信仰とは言わない。イエス様のみことばを信じて委ねる信仰を持とう。

 

3.イエス様によって救われる家族(5154節)

イエス様のみことばをいただいて、役人はカペナウムへ帰途についた。イエス様が一緒に行って下さらなくても、イエス様のみことばによって確信したのだろうか。帰る途中に彼の僕らが息子が癒された知らせを伝えに来た。時間を確認すると、前日の第七時(午後一時)はちょうどイエス様のみことばをいただいた時刻だった。役人と彼の家族は、イエス様のみことばによって息子が癒されたことを信じた。イエス様を信じる者は、その家族にも喜びを分かち合い、ともに救いにあずかるものである(使徒1631。みことばを通して主の御業がなされると確信しよう。

 

■結論

今私達はイエス様を見ることはできないが、聖書を通してイエス様と出会うことができる。今週もイエス様のみことばを受け取り、みことばに委ねて出発しよう。

聖書 ヨハネの福音書4章4654

4:46 イエスは再びガリラヤのカナに行かれた。
そこは、かつて水をぶどう酒にされた所である。
さて、カペナウムに病気の息子がいる王室の役人がいた。

4:47 この人は、イエスがユダヤからガリラヤに来られたと聞いて、
イエスのところへ行き、下って来て息子をいやしてくださるように願った。
息子が死にかかっていたからである。

4:48 そこで、イエスは彼に言われた。
「あなたがたは、しるしと不思議を見ないかぎり、決して信じない。」

4:49 その王室の役人はイエスに言った。「主よ。どうか私の子どもが死なないうちに下って来てください。」

4:50 イエスは彼に言われた。
「帰って行きなさい。あなたの息子は直っています。」
その人はイエスが言われたことばを信じて、帰途についた。

4:51 彼が下って行く途中、
そのしもべたちが彼に出会って、
彼の息子が直ったことを告げた。

4:52 そこで子どもがよくなった時刻を彼らに尋ねると、
「きのう、七時に熱がひきました。」
と言った。

4:53 それで父親は、
イエスが「あなたの息子は直っている。」
と言われた時刻と同じであることを知った。
そして彼自身と彼の家の者がみな信じた。

4:54 イエスはユダヤを去ってガリラヤにはいられてから、
またこのことを第二のしるしとして行なわれたのである。