本日の講壇
聖書箇所 ナホム書2章1~13節
説教題 『回復させる神』
■序論
神様は義なるお方なので、悪と罪を厳正に裁かれる。一方で、神様は愛と恵みのお方で、罪を悔い改める者を赦される。神様のもとには回復と希望と慰めがある。
1.ニネベの陥落(1~9節)
アッシリヤの首都ニネベが敵に責められ、陥落する姿が描かれている。イスラエルや他の諸国を踏みつけたアッシリヤも、まもなく彼らがした通りのことを敵によってなされる。軍事的な崩壊(3、4節)、社会的上流層の崩壊(5節)、政治的な崩壊(6、7節)、住民と財政の破綻(8~9節)が首都ニネベに起こると、国は混乱状態に陥る。国の最盛期になされたこの宣告を誰が真摯に受け止めただろうか。ヨナの時代、ニネベでは王を初め全ての者が神に悔い改めて、滅びを免れた(ヨナ書3章)。神に背く者に神の裁きは必ず訪れる。神に悔い改めることが唯一の回復の道と信じよう。
2、若い獅子の滅亡(10~13節)
ニネベに対する宣告は続く。強くて凶暴なアッシリヤの王は雄獅子にたとえられている。雌獅子は王妃、子獅子はニネベの住民である。諸外国を攻め、支配し、略奪した物でニネベは豊かさに満ちていた。しかし、ニネベは責められ、「破壊、滅亡、荒廃」、「心はしなえ、ひざは震え、すべての腰はわななき、誰の顔も青ざめる」(10節)状態に陥る。彼らが手にしていた剣が、今度は彼らに向けられることになる(マタイ26:52)。旧新約聖書を通して、イエス様のみことばは真実である。罪を悔い改めずに放っておくと、自ら滅びを招く。神の裁きの背後にある愛と忍耐を覚えよう。
3、神に置く望み(Ⅱコリント1章10節)
新約聖書の光をあてて、ニネベに対する宣告を捉えてみよう。神はすべての人に悔い改めて、神に立ち返る恵みの機会を与えておられる。死刑囚もイエス様に憐れみを求め、彼は天国に招かれた(ルカ23:42)。一方で、世の法律的には無罪でも、神の前における罪人は、やがて神の法廷に立たされ。宣告を受ける。全人類の罪を赦すために、人となって世に来られた神の御子イエス・キリストだけが、私達の罪を赦し、義と認め(無罪宣告)、永遠の生命を与えて下さる(ガラテヤ3:26)。神は裁きの宣告だけでなく、救いの道を備えて下さる。神の愛に感謝し、神に望みを置こう。
■結論
ニネベに対する宣告は他人事ではない。神はすべての罪と悪を裁かれる。だから今、恵みの時に、裁きから救い、絶望から希望に招き、回復させる神に立ち返ろう。
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