聖書箇所 ヨハネの福音書6章1~14節 説教題 『五千人の給食』 ■序論 五千人の給食の奇跡は、四福音書に描かれているが、著者によって視点が異なる。この出来事で本書が記しているイエス様の三つのみことばに注目しよう。 1、「どこからパンを買って来て」(1~6節) イエス様の3年半の公生涯のうち初期の宣教の舞台はガリラヤである。イエス様は山の上で弟子達を教えた。そこに大勢の群衆がイエス様の噂を聞きつけて集まって来た。彼らは目に見えるしるしを求めていた。イエス様は弟子のピリポにをためして、「どこからパンを買って来て」と尋ねられた。ピリポは「イエス様、どこにもパンを買いに行く必要はありません。解決はあなたにあります」とは答えられなかった。イエス様は、どこに解決を求めるかよりも、誰を信頼するのかを御覧になっている。問題解決の答えはイエス様に求めよう。 2、「人々をすわらせなさい」(7~10節) ピリポは200デナリのパンでは群衆が食べるパンには足りないと答えた。また、アンデレは少年の弁当(パン五つと魚二匹)では大勢の人々には何にもならないと話した。しかし、この状況で自分の弁当を差し出した無名の少年の方がよほどイエス様の弟子らしいだろう。神であるイエス様は無から有を生み出し、今あるものを増やして下さるお方である。イエス様は弟子達にパンを求めて奔走するのをやめて、座るように言われた。座るとは神の前に出ることである(詩46:10)。動き回る前に、まず神の前に座し、静まり、祈り、神を待ち望もう。 3、「ひとつもむだにしないように」(11~14節) イエス様はパンを増やす奇跡の前に人々を座らせた。パンを増やし、人々を養うのは天の父なる神であることを人々に知らせるためだった。「過越が間近」(4節)「草が多かった」(10節)は春の季節を現わす。かつて荒野で40年間もイスラエルの民にパンと肉を備え、養われた神を思い起こさせる。イエス様は人々が満腹になった後も、パンをむだにせず、集めさせた。それを他にも必要な人々に分け与えるためである。これは物資のパンのことだけではない。私達の信仰も神の恵みをむだにせず、神の恵みに感謝し、分かち合って生きよう。 ■結論 イエス様に捧げることが自分も他の人々も豊かにする唯一の道であると信じよう。増やして下さる神に信頼し、より多くの人と神の恵みを分かち合おう。 |