本日の講壇(2017.2.5)
聖書箇所 ヨハネの福音書6章15~21節
説教題 『恐れることはやめなさい』
■序論
私達は自分の経験や理解を超えることが起きると恐れを抱きやすい。しかし、聖書は毎日私達に「恐れるな」と語り、イエス様が共におられる平安を与える。
1、山に退くイエス様(15節)
五千人の給食の奇跡の後、人々は「まことに、この方こそ、世に来られるはずの預言者だ」(14節)と言った。まだイエス様を神の御子キリストとの告白には至らず、イエス様を預言者の一人として捉えている。群集は不思議なしるしを行うイエス様を自分達の王として立て、新しい国家をつくろうと企てた。彼らはローマ帝国からの独立を望んでいた。しかし、イエス様は彼らの心を御存知でまた山に退かれた。イエス様は山で祈られた。私達を問題や恐れから解放するのは、神の前に退き、神のことばを聞き、神に祈ることだと覚えよう。
2、湖の上を歩くイエス様(16~19節)
弟子達は湖畔に降りて、カペナウムに向けて船出した。弟子には元漁師が複数いるので、ガリラヤ湖を知り尽くしている自負もあっただろう。しかし、この舟にはイエス様は乗っていなかった。暗くなって強風が吹きまくる嵐となり、何者かが舟に近づいて来るのを見て、弟子達は恐れを抱いた。精神状態が安定しない時は、何事にも疑心暗鬼になるものである。湖の底にいる魚の位置も御存知のイエス様は湖の上を歩き、弟子達を助けるために来て下さるお方である。私達が恐れる時に、イエス様から近づいて下さることを信じ、感謝しよう。
3、舟に乗り込むイエス様(20~21節)
恐れる弟子達に対して、イエス様は「わたしだ、恐れることはない」と言われた。イエス様はよく「わたしは…である」と御自身を現わされた。イエス様が弟子達の舟に乗りこまれたことは、彼らの不安と恐れを解放し、喜びと平安をもたらした。弟子達は4、5キロは自力で進めたものの、やはりイエス様が一緒でなければ目的地にはたどり着けなかった。このカペナウムまでの船出は私達の人生の縮図ではないか。私達の人生の舵取りをして、船長になって下さるのはイエス様である。イエス様を通して天の父なる神のもとへ行こう(14:6)。
■結論
イエス様は私達の恐れを取り除いて下さる。イエス様は遠くで祈っているのではなく、私のために近づき、一緒に目的地に行って下さることを信じよう。
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