牧師 栗原宏介 のメッセージ 

2015年6月1日更新しました

《牧師のつぶやき》(2015.4.26週報より)

 先週に引き続き「説教題」について。大学のチャペルアワー(礼拝)の予告看板は学内に数ヶ所あります。基本的には通り過ぎられるだけですが、意外と見られていると実感する時があります。それは凝ったタイトル(おもしろタイトル)がつけられている時です。ネット上に拡散します。「こんなタイトルがついてる!」、「行ってみたい」、「興味深い」、「タイトルに顔文字って…」、「奈良の牧師がまたやらかした(^^)」などなど、案内板の画像と共にいろいろなコメントがつけられて拡散します。そして出席率も上がります。時には否定的なコメントもついたりしますが、それも積極的な反応であり、無関心・無反応よりもはるかに良いことだと思っています。
 そして誤解の無いよう言えば、そのメッセージ自体の内容はふざけているわけではないということです。極めて“ちゃんとしている”ものなのです。否定的なコメントの代表的なものに「冒?している」というものがあります。しかし例えば以前「てへぺとろ(・ω<)」というタイトルがありました。どこが冒?しているのでしょうか。顔文字?ダジャレ的なところ?流行語に乗っかっているところ?私はむしろそれらすべての要素のゆえにこの奨励を聞きに行きたいなと思いました。行きたいかどうかは個人によると思いますが、このタイトルには、イエス様のこと、聖書のこと、キリスト教のことを伝えたいと思う心意気や真摯に宣教の業に向き合っている説教者の姿が見えます。
 会衆の前に立ち、語る勤めをなし、それにタイトルをつけること。その大変さを知る者はむしろ容易に「冒?だ」などとは言えないと思います。私も宣教の業に真剣に向き合って常に説教題を考えています。むしろそんな私の説教題を見て「あれ?今日のタイトルは普通だな」とか「聖書の言葉そのままだぞ」と思われたなら、きっとそれは私の怠慢。でも優しい皆さんはきっと「体の具合が悪いのかな」と心配してくださることでしょう。これからもちょっと愉快な説教題だったとしても怒らないでくださいね。

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《牧師のつぶやき》(2015.4.19週報より)

 「説教題とは何か」…こんなことを礼拝学の先生と話したことがあります。
 学生時代、多くの教派の礼拝/ミサに参加しました。それはとても恵まれた時間でした。今となってはなかなか叶わない体験的・実践的な学びとなったからです。その経験の中で説教にタイトルのない教派・教会が思いのほか多いということを知りました。説教にタイトルやテーマを付けることは絶対に必要なことではないのです。そのことを踏まえた上での冒頭の問いとなるのです。
 では結局のところ「説教題」の持つ役割とは何かと言えば、ひとつは「説教の主題を明確にする」ということ。わかりやすくする努力だということです。
 そしてもうひとつは「宣教」。看板やネット等で予告なりをする時、特に言葉に重点の置かれるプロテスタントの場合、説教は意識的であれ無意識的であれ中心的な位置付けとされ、説教題はその理解によって当たり前のように案内されます。時間や場所等はもちろん重要な情報ですが、そのような情報と同じように案内の核となっているこの「説教題」は十分に宣教の業なのです。
 要するに外に向けて“絶対的に必要なことではない”説教のタイトルをあえて発することの意味は関心興味を喚起するということになるのです。
 そこで思うことは、あくまで私の個人的な意見ですが、最初にあげた主題を明らかにするということはある意味、説教全体を通して明らかになることであって、あえて初めから提示する必要はないのでは?ということ。だから多くの教派では説教題がないと推察します。
 そしてまた学校の礼拝に関わるようになって感じることは関心興味の喚起としての「説教題」は極めて重要だということです。(出席が義務付けられているキリスト教主義中学・高校ではなく出席が義務ではない大学なので特にですが。)

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《牧師のつぶやき》(2015.3.15週報より)

 当教会は1942年6月26日国家の弾圧を受け、翌年4月「宗教結社禁止令」により閉鎖され、解散しました。会堂は地域の集会所とされました。以降、ここで礼拝は行えず、信徒は離散しました。1945年8月15日の敗戦の時を迎えてもなお、教会の復興はなされず、復興がなったのは1946年3月10日、小出満牧師とそのご家族、そして前任者の福本牧師のご遺族によって祈りがささげられたその時です。その時示されたのがルカ福音書12章32節「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」という言葉でした。まことに困難な中での復興でした。小出満牧師のお連れ合いであった朋治牧師は堺刑務所にて召天、拷問を受けた形跡があったとの証言もあり、他にも投獄された教職者の内、数名が獄死するという戦時下の日本という国の異常さをこの「ホーリネス弾圧事件」は物語っています。そうした痛みを負いつつ、かつ離散した信徒たちがそうそう容易く再集結するわけでもなく非常な忍耐を必要とする再出発でした。しかしそのような先人たちの祈りと信仰が今に繋がっています。この教会の歴史を思う時、そこには篤い祈りと忍耐を要する信仰の姿勢がありました。まさにこの教会の歩みは「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」(ローマ書5章)ことを証しています。
 さてもうひとつ、国家と共に当教会を含む「ホーリネス系教会」を切り捨てた日本基督教団です。教団が旧6部・旧9部(ホーリネス系教会)関係者に謝罪を行ったのは、1986年のことでした(遅い!)。今なお教団に属している私たちは被害と加害の両方の立場をしっかりと受け止め、そして先人たちの祈りを継承して歩んでいきたいと思います。

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《牧師のつぶやき》(2015.3.8週報より)

 当教会は1923年10月31日に四重の福音(新生・聖化・神癒・再臨)という信仰告白を基としたホーリネスの流れを汲む教会として歩み出しました。1933年1月には現在地に会堂を得て、中田重治監督(ホーリネスの教会政治形態は監督制でした)が献堂式を執行しました。その8か月後の9月より1936年まで続くホーリネス教会分裂事件に当教会も巻き込まれ、中田を中心とする監督派(きよめ教会)には属さず、いわゆる委員会派(聖教会)に属することになります。
 さらに1941年6月24日、宗教団体法により成立した(教団の教憲では「くすしき摂理のもとに御霊のたもう一致によって…成立した」と表現されています)日本基督教団の第6部に属しました(教団は最初、部制を採用し、第1部は長老派、第2部はメソジスト、第3部は組合派(会衆派)…など教派ごとに分けました)。
 そして翌42年6月26日早朝、ホーリネス弾圧事件が起こります。教団所属のホーリネスの伝統を有する教会、第6部(旧聖教会)と第9部(旧きよめ教会)が全国一斉に弾圧を受けました。最終的に100名以上の教職者が検挙されました。四重の福音の「再臨」についてが弾圧の主な根拠となりました。「再臨」の時、“現人神である天皇”はどのような立場になるのか、どのように考えているのかということです。これは完全に戦時国家特有の「いいがかり」であり、「みせしめ」でした。
 1943年4月、当教会を含むホーリネス系教会は閉鎖させられ、教団もまた獄中にある教職者・家族に牧師退任勧告と教会設立認可の取り消しを通達、このように強制的に解散させられました。

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《牧師のつぶやき》(2015.2.22週報より)

 2月17日、同志社の今出川キャンパスに行った折、「尹東柱 遺稿・遺品巡回展示会」に足を運びました。 韓国において国民的詩人として広く知られている尹東柱(1917〜1945)は同志社大学在学中の1943年ハングルでの詩作を問題視されて治安維持法違反の嫌疑で逮捕され、1945年2月16日 福岡刑務所において獄死しました。私が足を運んだ展示会はそのような同志社と尹東柱の繋がりの中で行われた70周忌記念行事のひとつの企画でした。
 彼の遺稿・遺品を目にし、当時の日本の様子に思いを馳せました。尹東柱の逮捕理由は「1.思想不穏、独立運動 2.非日本臣民 3.穏健ではあるが西洋思想が濃厚」というものでした。母国語によって詩作する。こんな当たり前のことが許されない異常さを思います。収監された福岡刑務所では数回にわたり「得体の知れない注射」をされていたとの証言もありました。戦時下日本の異常さを見つつ、同時に今もまた同じような異常さが少しずつ表れているという危機感を覚えました。先に挙げた逮捕理由そのものも理不尽極まりない、言いがかりも甚だしいものです。
 展示会に足を運び、侵略支配の罪を見つめなければいけないことを感じ、そしてまた多様性を認めない当時の歪な社会が見えました(残念ながら、この歪さは現在もヘイトスピーチなどをはじめ、なお多く目にします)。また当教会の歴史にも思いを向ける機会となりました。戦時国家の歪んだ社会は“当たり前の日常”を奪うのです。そして故意に「迷い出た羊」を作り出しては切り捨てていくのです。
この〈つぶやき〉もそうですが、当たり前のように思いを記せて、当たり前のように教会に集い礼拝を捧げることが出来る恵みを思います。
 展示会の帰りがけ同志社礼拝堂の東側、多くの花が供えられた尹東柱の詩碑の前にそっと一輪の花と一本のペンを祈りとともに捧げてきました。

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《牧師のつぶやき》(2015.2.15週報より)

 2月10日(火)に大阪教区災害対策特別委員会による第23回災害対策連続講座が天満教会を会場として開催されました。私も委員として企画・運営に関わり、当日は司会を務めました。
今回は『とどまる、避難する、もどる』と題して、福島からの避難移住者である宇野朗子(さえこ)さんに講演していただきました。宇野さんは「原発事故被災者の救済を求める全国運動」の共同代表であり、「3・11ゆいネット京田辺(避難移住者支援の会)」代表を務めておられる方です。
 宇野さんのお話は2010年福島第一原発3号機のプルサーマル導入について当時の福島県知事であった佐藤氏が受け入れを決定した時に覚えた危機感と不安についてから始まり、そうした現実のただ中でプルサーマル運転反対、原発即廃炉の活動に参与されてこられたことが語られました。このように書くといかにも活動家的な印象を持たれるかもしれませんが、宇野さんは一児の母として、“ごく普通”の日常を福島で送って来られた方なのです。しかし、その“ごく普通”があの2011年3月11日を境に一変します。
 宇野さんは震災以前より反原発の活動に特に思いを寄せ関わってこられた故に、「間に合わなかった」、「もっとできることがあったのでは」との思いの中で、今後に起こっていくことに思いを致し、避難の最中「涙が止まらなかった」と語っておられました。
 講演ではさらに発災後の避難の様子や子どもと寄り添う母親としての思いをお話くださいました。私は同志社のチャペルで2度お会いし、お話を聞く機会がありましたが、やはり“生の声”を聞くことの意義は大きいと思います。また出会うことの大切さを思います。震災が起こるまで私は「原発」に関心がありませんでした。しかし宇野さんたちは震災前から活動していたのです。この出会いを通して、無関心でいることにより、実は“肯定者”の中に自分もいたことを痛感しました。無関心がいかに罪深いか思い知らされています。
 当日会場に展示したパネルの中に双葉町のある風景が映し出されたものがありました。それは「原子力 明るい未来の エネルギー」、「原子力 豊かな社会と まちづくり」と記されたゲート状の大きな看板と、その先に広がる人々が住むことのできなくなった閑散とした町の光景。まさにこれこそが私たちが今生きているこの国の現実なのです。

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《牧師のつぶやき》(2015.2.8週報より)

 先日、大阪教区社会委員会より“「イスラム国」による湯川遥奈さんと後藤健二さんの殺害に抗議し 武力によらない事態の打開を求めます”と題する声明が出されました。この声明では「イスラム国」の暴挙に対する怒りと抗議の意が表明されています。一方で現在の中東諸国の政治的混乱には日本を含む「西側先進国」とよばれる国々の思惑が大きく影響していることにも触れられ、無自覚に「イスラム国」の暴挙を批判するだけでなく、私たちの暮らしに必要とされるエネルギーを確保する代償として、中東諸国の人々に不公正・不安定を強いていることの自覚が求められています。そのような現実に目を向けた時、「自己責任」を問うことがいかに愚かな事かにも触れられ、さらには今回の事件を契機として日本政府が、自衛隊の海外派兵により積極的に踏み出そうとしていることへの懸念が述べられています。声明は最終的に、武力によらず「平和を実現する使命」を強く意識して祈りつつ発言し、行動していきましょうと述べて終わります。
 この声明にもあるようにあらゆる状況において命を利用するようなあり方は厳に慎まなければなりませんし、そうした事柄に対して敏感に察知するアンテナを持ちたいと思います。
今回の事件を通して改めて「イスラム国」の行っていることがイスラームの教えに反しているのではないかと感じました。さらにその残虐さに嫌悪感を覚えます。同時に、後藤さんのご家族が2月1日に発表した声明の冒頭に「この度は、後藤健二が世間をお騒がせすることとなり、大変申し訳ございません。」とありましたが、そう言わせてしまうような、この日本という国に流れる空気感にも不安を覚えます。また残念でなりません。ある自民党の要職者が後藤さんの行動を「亡くなった方に鞭打つ訳ではない」と述べつつ「蛮勇であった」と断じました。前置きをした時点でこの言葉が死人に鞭打っているのであり、この発言をした方はそのことを自覚しているのではないでしょうか。生命に向き合う感性が欠けているのではと思います。そしてそのことが他人事ではないと危機感も覚えます。「善いサマリア人のたとえ」を知る私たちは、失われた命に思いを向け、残された方々の痛みに寄り添い祈る者でありたいと願っています。

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《牧師のつぶやき》(2015.1.18週報より)

   暴力を手段として世に訴える仕方は何であれ許されるものではありません。
ナイジェリアでは10歳くらいの女の子が自爆テロを強要されたと見られる事件が起きました。数日後には15歳前後の少女2名が同じように犠牲になりました。この少女たちは自分が持たされている物が何なのか知らされていなかったようです。遠隔操作によって人の集まる場所で爆発させられたと報じられていました。多くの人々が犠牲になりました。
なぜこんなひどいことができるのでしょうか。怒りと悲しみが渦巻きます。しかしここで沸き起こった怒りと憎しみに任せて立ち上がれば結局同じことの繰り返しになるのではないか、ならばどうすれば…と重い気持ちになります。皆さんもご存知の通りフランスでも“テロ”が起き、フランス国民のみならず世界各地で「反テロ」の声があがっています。僕も“暴力による訴え”に反対します。テロという手段は卑劣です。しかしフランスの事件ではもう一つの声があがっています。「表現の自由を守れ」という声です。どちらかといえばこちらの声によって団結しているように見えます。僕はなんとなく今回の件でこちらの声によって団結していく景色に違和感を感じています。「表現の自由」はとても大切です。そのことは理解しています。でも今回のことで感じるこのザラッとした感じは何なのでしょうか。
ちょうど先日ローマ教皇がこの件について意見を語っていました。僕の感じた違和感についての答がそこにあったように思います。いずれにせよ憎しみと暴力による連鎖は断ち切らなければなりません。イエス様も愛と赦しの実践を通してそのことを伝えています。

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《牧師のつぶやき》(2015.1.11週報より)

 2005年1月末に初めて奈良教会に訪れて説教を担当しました。まだ大学院生でした。そして2005年4月、24歳の時に着任しましたのでもう10年経ちました。あの頃は若かった…今も若いですけれど(そう思ってますけど何か?)。
 今考えると24歳、新卒で即主任とは信じられません。多くの場合、新卒者で主任として着任するのは社会経験のある方やある程度の年齢の方です。私はこの期に及んでなお主任のいる教会で担任教師として研鑽を積むべきであったと思っていますが、神の御心の内にこの未熟者が奈良教会の皆さんに支えられて10年を経ることができたことに心から感謝しています。
就任式のとき有澤禧年牧師より「奈良での伝道は10年一節、10年経ってそこからです」との言葉をいただきました。10年ほど経つと周りからは「そろそろ(転任)か?」という声も聞こえてきますが、奈良での伝道はこれからです!春日大社でひいたおみくじにも「転居:見合わせてよろし」とでましたので、春日大社のカミサマもまだ奈良にいなさいと言っていることだし…えっ?牧師が春日大社に行っておみくじひいたのは内緒です(^^)…とにかく同じく就任式のときにある牧師より頂いた「我を張って“がんばる”のではなく、その地に根を張って“ねばって”ください」との言葉を思い起こす今日この頃です。

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《牧師のつぶやき》(2014.9.14週報より)

 最近よく行く居酒屋さんに“面白い店主さん”がいます(常連さんは“お父ちゃん”と呼んでいます)。僕はその“お父ちゃん”とイヴの晩(聖公会のクリスマスイヴ深夜礼拝に出席後)に行きつけのバーで出会いました。その時僕はひとりでカウンターの一番端っこに座っていたのですが、バーのマスターからドラマで見るような「あちらのお客さんから」という言葉と共に一杯いただきました。その“あちらのお客さん”が“お父ちゃん”だったのです。その時は「こっちにきて一緒に飲もう!」となって話し込んだ次第です。そして“お父ちゃん”のお店のことを聞き、後日足を運びました。初めて行った時もキャラクターの強い“お父ちゃん”や常連さんたちと楽しいひと時を過ごし、なぜかカウンターに立たされてグラスを洗ったりもしました。その時に「この店みたいなテレビドラマがあって面白いから持っていき」と一週間後に返す約束でDVDを借りました。『深夜食堂』というドラマで、深夜に開いている「めしや」という食堂に集う人々の人間模様を描いたものでした。実力派の役者たちの演技もよくて、また内容も面白いドラマで、何よりもその「めしや」に僕としては理想の教会像をみました。
 様々な人がそれぞれ何かを抱えながら“そこ”で出会い、分かち合いつつ再び“明日”にむかって歩んでいくそんな場所です。奈良教会もそんな素敵な場所であり続けたいなぁと願いつつ、今晩もまた“お父ちゃん”のお店に行こうかなと思う今日この頃です。

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《牧師のつぶやき》(2014.8.31週報より)

 先週は休暇をいただき、群馬へ帰省しました。
 特に予定をたてずのんびりと過ごすことができました(結局、実家の車でウロウロしましたが…)。日曜日は、少し足を延ばし水戸教会の礼拝に出席しました。群馬から車で2時間、その日の内に奈良に帰ってこないといけないという日程でしたが、それでも行って良かったと思える恵まれた機会となりました。水戸教会の橘秀紀牧師の前任地は私の母教会である高崎南教会。中学・高校時代に大変お世話になり、私に洗礼を授けてくださった先生です。先生の説教を聞き懐かしさに浸ろうと思ったのですが、水戸教会では8月は信徒の証による礼拝を行っており牧師は説教をしないということで、それはそれで大変良い礼拝を守ることができました。やはり日曜日に私服でお話を“聞く”時に休暇を感じ、癒されます。橘牧師ご一家とも懐かしくお話でき、また新しい出会いも与えられ、良い休暇となりました。感謝です!

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《牧師のつぶやき》(2014.8.17週報より)

 5日(火)〜8日(金)まで「西日本献身キャンプ」に参加してきました。今回で8回目の奉仕でしたが、今回は事務局として「裏方」としての働きでした。事前の諸準備からキャンプ時の様々なアクシデントへの対応と、今までになく疲れと教訓と経験値の蓄積されたキャンプとなりました。私自身、毎年“霊的に養われる”キャンプですが、今回ばかりはそうも言っていられない多くの課題を得て申し訳なさと無力感に苛まれ、反省しきりです。
 しかし、そこは教会のキャンプです。そうした人の思いを超えて、参加者ひとりひとりの上に神様からの不思議な働きかけがあることを信じたいと思います。 「献身」とは何か、あるいは「献身キャンプ」とは何なのかという根本的な問いも得ましたが、今回で66回を数える伝統あるキャンプです。そうした先人たちの祈りや期待や希望を受けつつ、より良いものとなっていくように祈り備えたいと思います。

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《牧師のつぶやき》(2014.8.10週報より)

 当教会では8月を「平和月間」として特に「平和」について考え、祈りの課題としています。聖書には「平和」に言及している記述があります。例えば旧約聖書には「彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」という言葉があります。新約聖書にはイエスの言葉として「剣を取る者は皆、剣で滅びる。」と記されています。さらに「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」というイエスの言葉もあります。すなわち、私たちが武器を持って争い合えば滅びに至り、逆に武器を手放して大きく手を開いて隣人を受け入れ合えば「神の国(互いにわたしらしく生きられる場所)」を見ることができると示されています。私たちは武力と支配による偽りの平和ではなく聖書が証する真実の平和を求めたいと思います。

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子どもたちから学ぶ その2(2010年12月 奈良教会だよりより)

「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」
そして、子どもたちを抱き上げ、手を置いて祝福された。   マルコによる福音書 10章15〜16節


 幼稚園の送り迎え、また給食当番をはじめとして、いろいろな行事に参加する機会に恵まれています。その中で、子どもたちと関わり、豊かな出会いがあり、多くの発見をし、学ぶこともたくさんあります。子どもたちから「大人の皆さん、それでいいの?」と問われているように感じる事がなんと多いことか。

 幼稚園に行って子どもたちと遊んでいると、ほぼ毎回、誰かしらがケンカしているところを見かけます。それは泣きながらの言い合いであったり、ボールの取り合いであったり、大量のイチョウの葉っぱの投げ合い(ふざけ合いの延長?)であったり、ときには叩き合いであったり。

その瞬間、「なんとかしなきゃ」と思います。ここで我慢するのは難しい。特にそこに自分の子が関わっていた場合はなおさらです。ケガをさせてはいけないとか可哀想だとか、そのような思いから、「やめなさい」、「何してるの?」、「どうしたの?」などと、つい割って入ってしまいます。

 けれども、そこをグッとこらえて様子を見守っていると(もちろんケンカの程度にもよるでしょうが…)、子どもたち同士で解決している場面をしばしば目にします。ケンカに気付いた他の子が様子を見守る、また他の子もやってきて間に入る、そしてまた他の子もやってきて…、といった具合です。その子たちが、それぞれの言い分を聞いたりしています。するとその場で、ケンカしていた子どもたちも落ち着いたりします。仮にそこで手に負えないと見るや近くの大人、あるいはその子の親に助けを求めます。「○○ちゃんと□□ちゃんがケンカしてんで〜」…緊張感があるのかないのかよくわからない時もありますが、それでもちゃんと教えにきてくれます。

 また先日はこんなこともありました。「△△ちゃんなんか嫌い!」と泣きながら言っている子。「僕も◇◇ちゃん大嫌い!」と応じている子。どうも靴の投げ合いをしていたらしいのですが、その結果このようなことになっていました。「絶対に許さない!」、互いにそう言っているその時、そこで一緒に遊んでいた子が、おもむろに“不思議な踊り”を“なぞの歌”付きで踊り始めました。しばらくケンカしていた二人もムスッとそれを見ていましたが、ものの数秒で二人して「ぷっ」と吹き出し、しまいに大笑い。なんだかよくわからないままケンカは終わり、“なぞの歌”に合わせて“不思議な踊り”を踊るお調子者トリオが完成していました。

「う〜ん、おみごと!」とうなされてしまった一幕でした。大人ではなかなかこうはいきませんよね。子どもたちの実力恐るべし!

 子どもたちに見習うべきこと、たくさんあるように思います。皆さんはケンカしたままにしていることありませんか?(私はもちろんあります!)子どもたちだって仲良く遊んでいるだけではありません。意見の対立やケンカだって大人と同じようにあります。でも気がつくと再び手を取り合って遊んでいる。

さて私たちはどうでしょう。ケンカしたまま、それ以来会話しない。絶対許してやるもんか!と意固地になる。「あいつが悪い」と人のせいにする。もうあの人と付き合うのはよそうと思う。……いつからあの子どもたちのように仲良くできなくなってしまったのでしょうか。いつから再び手を取り合って遊ぶことができなくなってしまったのでしょうか。私たちも本気でケンカし、心から許し合えた、そんな子ども時代があったはずです。

私は子どもが生まれたその時から、子育てをする中で「私にもこんな時があったんだ」ということを知り、また思い出す時を過ごしています。子どもたちが教えてくれること、思い出させてくれることってたくさんあります。

先日参加した幼稚園のクリスマスもそうでした。子どもたちのページェントにお歌の発表、ママさんコーラスに劇の披露。 それらひとつひとつに感動し、「そうだ!クリスマスはこんなステキな時だったんだ!」と思い出しました。クリスマスはひたすら忙しく、しなければいけないことに追われ、喜ばしさや楽しさを演出するときではないんです。わくわくドキドキ、嬉しい楽しいクリスマスなんです。“あの頃”の感覚、思い出しました。

 このクリスマス。子どもたちから示されたこと、思い出させてくれたことを心に留めて、神さまからのプレゼント、平和を示すために来てくださった赤ん坊の誕生を心から祝いたいと思います。

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子どもたちから学ぶ その1((2010年10月 奈良教会だよりより)

今や、恵みの時、今こそ、救いの日。」 (コリントの信徒への手紙二 6章2節)

幼稚園にお迎えに行くこと。僕にとっての楽しみのひとつです。
お迎えに行くと、ほぼ毎回、家に帰る前に園庭で子どもたちと遊びます。
「なぁ、かくれんぼしてあそぼー」
「肩車して〜」
「おにごっこしよー」
 と子どもたちに言われ、そのまま手を引かれて園庭へ。
「よし!今日もいっちょ遊んでやるか」と子どもたちの輪の中に入ります。時には名前も知らない子にも話しかけられたりして。「はてこの子は何組さんの何ちゃんだろう?」と思いつつ、お話をしながらお名前を聞いたりして、こうして僕も幼稚園で“お友達”が増えていきます。
 子どもたちと本気で遊ぶのは、なかなか楽しいことです。日頃の思い悩みは一切忘れて、童心に帰って園庭を駆け回っています。
 そんな時、ふと振り向くとお母様たちは日陰でおしゃべり中。そこは牧師、そのような状況にガッツポーズ(!?)。毎日忙しいお母様たちにひとときでもおしゃべりする時間を提供していると自己満足も甚だしいことを思ったりして。
 そんな中、つい先日、年長組のある男の子に言われて、はっとしたことがあります。
「ごめ〜ん!今日は遊べな〜い!!」
 ……あれっ?…・・・…そうか僕の方が遊んでもらっていたのか!!
 目から鱗、ぽろり。
 その日を境に“遊んであげる”から“遊んでいただく”に。
 思えば子どもたちと遊ぶと気持ちもスッキリ。仕事もはかどる。説教も整う。たくさんの発見があって、気付かされる。子どもたちの発想力と感性には本当に驚き、感動します。そして何より子どもたちからたくさんの元気をお裾分けしてもらっています。
 最近、幼稚園で駆け回りながら、やっぱり説教は机の上ではできないと一人納得しています。神の言葉は出会いや発見や気付きの中で与えられ、メッセージはそのひとつひとつの出来事を通して備えられるんだと、園庭の茂みに隠れながら実感しています。
 “そんなくだらないこと考えずに真剣に遊べ”と神さまの声が聞こえたような聞こえないような…。
 代わって子どもたちの声が聞こえます。
 「みぃつけた!」 これぞ神の声!
 あっさり発見される今日この頃。
 思えば聖書の中にも、いろいろな人物が逃げて隠れるけれど、結局は神さまにあっさり発見されちゃうお話、たくさんありますね。
 見つかっちゃった気持ち、わかります。
 さてさて、かくれんぼ中、子どもたちを捜していると、幼稚園の先生に声を掛けられました。
 「子どもたちと遊んでる姿、少年の心を忘れてない感じがいいですね!」
 はい、やっぱりそう見えますよね…。その通り、だって遊んでもらってるんですから!
 少年の心を忘れない。本望です。
 子どもたちの声、笑顔、泣き顔、本気のケンカに仲直り、そんな出来事に接しながら、牧師の業なんてちっぽけだと気付かされます。支えている、祈っている、癒している、遊んであげている……なんてのはただの思い上がりで、本当のところは、支えられている、祈られている、癒されている、遊んでもらっている。
 そのようなことひとつひとつを実感しながら本当の意味で生かされているのが牧師なんだろうなぁと思っています。
 子どもたちから謙虚にあることを示されて、牧師という生き方の土台を教えられつつ、何よりも元気と希望と恵みを、いつもいつもたくさんいただいています!
 日々の生活の中で希望に接し、そしてそれを実感できる“今が恵みの時”な毎日です! ほんとに子どもたちはすごいなぁ。ありがとう!

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クリスマスは楽しいですか?(2009年12月 奈良教会だよりより)

「あなたがたのために救い主がお生まれになった。」(ルカによる福音書2章11節)

クリスマスは楽しい!

子どもの頃、クリスマスが近づいてくると何とも言えず楽しみでワクワクしました。心が躍りました。「楽しい、嬉しい時間がやってくる!」そんな感じです。

キリスト教のキの字も知らず、教会にも通っていなかった私でも、クリスマスは特別でした。学校のクリスマス会、町内の子ども会のクリスマス会、家でもクリスマス会……。街はクリスマスの飾りで彩られ、クリスマスキャロルが流れています。「クリスマスにはプレゼントがもらえる」ということだけではない楽しさやワクワク感がありました。

「クリスマスはイエス・キリストっていう人の誕生日らしい。」そんなくらいの認識しかなく、もちろんそこに込められた思いやクリスマスの本当の意味なんて知らず、けれども「それはそれとして、誕生日ならそれはめでたい!お祝いしちゃおう!楽しもう!」という感じ……教会に通い始めるまで(いや、もしかしたら教会に通い始めて数年経つまで…!?)こんな感覚でクリスマスを楽しんでいました。

今は、「あなたがたのために救い主がお生まれになった。」というルカによる福音書の言葉に代表される想いを味わいながらクリスマスを迎えています。キリスト(救い主)であるイエスは私たちのために生まれてくださった。毎日の悩みや辛さを共に担ってくださる方、私を支え、導き、そして一緒に歩んでくださる方がイエスさま。その方がこの世に来てくださった事を記念する日がクリスマス。

聖書が描くクリスマスの出来事はというと…宿屋には余地がなく、馬小屋で生まれざるを得なかったイエス・キリスト。そのイエスさまを産んだマリアは十代半ば(145歳であったと言われています)。結婚もしていない少女です。そして婚約者のヨセフ。結婚前の少女が身ごもっているという事実は、きっとこの若い二人を苦しめた事でしょう。二人に向けられた社会の目も厳しいものだったことでしょう。そんな打ちひしがれたヨセフとマリア。この二人しかいない暗く寒い馬小屋。そして子どもが生まれる。生まれたばかりの赤ん坊は飼い葉桶に寝かさなければならない…。二人の心情を思えば涙が出てきます。さらにその誕生を最初に祝ったのは、野宿していた羊飼いたち。遠くからやってきた異邦人の学者。当時のユダヤ社会の周縁にいた人々です。そこに映し出されているのは、祝福に満たされた情景ではなく、むしろ痛ましい現実に他なりませんでした。

こう記していくと、どうしても湿っぽくなってしまいます。もちろん聖書の伝えるクリスマスの出来事を理解した上でクリスマスを迎えることは大切なことでしょう。喜びの質も違うような気がします。私たちの生きる現実に、しっかりと向かい合うきっかけにもなるでしょう。でも世間の浮かれた雰囲気に対して「せめて教会では“本当のクリスマスの出来事”を伝えよう」と息巻いているうちに、教会の外でクリスマス・メッセージを語る機会が与えられた時にも、そこに拘りすぎて「クリスマスの楽しさ」に水を指してしまっているのではないかと感じることがあります。あるいは「楽しいクリスマス」を否定しているのではと思うこともあるのです。

そう感じる度に、子どもの頃の何ともいえない「楽しさ」や「ワクワク感」を忘れちゃいけないなぁ…と思います。「本当のクリスマスの出来事はね…」と始まる辛く悲しい物語。でも“本当のクリスマスの出来事”の先にある出来事、もしくは根底にある想いは、やっぱり「喜ばしく楽しい知らせ」なんです。

“本当のクリスマス”に拘るあまりに、その“本当のクリスマス”に込められた想いや願いを忘れてしまうことがあります。わたしたちの救いのために神さまがプレゼントをくださった……クリスマスはやっぱり何よりも大きな喜ばしい出来事なんです。そして、みんなが喜ばしく過ごせるようにと、痛ましい現実の只中に、愛する子をくださった出来事なんです。

「より示唆に富んだメッセージ」ではなく「喜びと楽しさを共有できるメッセージ」を伝えることに、あるいはそのようなメッセージを受け取ることに心砕き、思いを向けていけたらいいなと思います。

やっぱり、何といっても、クリスマスは楽しい!

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「平和聖日に思う」(2008年8月 奈良教会だよりより)

 8月は「平和」について考える(考えさせられる)機会の多い季節です。それは言うまでもなく2発の原子爆弾の投下と敗戦ということをこの日本という国が経験した季節だからです。しかしその「戦争体験」をしているのは私の祖父母の世代。私の親、そして私、さらにその後の世代は「戦争を知らない世代」です。より正確に言えば「戦争を体験していない世代」です。そのことについてはこれから後も体験することのないことを切に願っています。それと同時に「戦争体験」を聞くことはとても大切な事であると思っています。戦争の惨禍を伝承し再び過ちを犯さない思いを強くしていく必要があります。

「日本は平和だ」と言われます。しかし私が今、この時に戦争を体験していないことが必ずしも「平和」な状態とは言えない現実があります。日本の敗戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、911、アフガン、イラク戦争…など世界に戦争は絶えません。内戦、紛争、虐殺、人権蹂躙、数え上げたらきりがありません。「平和」は遠い。「私たちは平和だ」などとは決して言えません。まだまだ私たちは「平和」を祈り求める必要があります。

奈良教会の2008度の年間聖句はエフェソの信徒への手紙21422節です。そこには次のような一節があります。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(14節)この箇所は、十字架による和解を経て、様々な隔たりから違いを超えて共に生きることへと導かれていく事が語られています。私たちには違いを理解し、それを超えて共に生きる道が備えられています。私たち人間が今に至るまで声を荒げ憎しみ合い、争っている間も、主イエスは私たちのために黙して十字架に架かってくださっています。罪の深さを見つめ、それ故にこそ限りなく注がれる神の愛を感じながら、「平和」の実現に向けて歩む者でありたいと願います。

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「愛はすべてを完成させるきずな」 (2009年7月 奈良教会だよりより)

 今年度の奈良教会年間聖句はコロサイの信徒への手紙3章12〜17節です。少々長く取り出していますが、その中でも特に「愛は、すべてを完成させるきずなです。」(14節)をすべてを包括する言葉として捉えています。

 この箇所は教会(共同体)が向かうべき在り方、歩むべき道が示されています。そこには「神に選ばれ」「愛されている」という土台があり、そこに立って「互いに」「赦し合」う、ということが語られています。さらに加えて、「愛を身に着け」ること、「キリストの平和が心を支配する」ことが求められています。そして私たちは「招かれて」いる。一体誰に?私たちを愛してくださっている方にです。
この箇所で、もうひとつ私たちの重要な在り様として「感謝」する共同体であるようにということが示されています。何に感謝するのでしょうか?それは神さまの「愛」にです。愛してくださっている事実にです。生きるもの全てに与えられ守られている「命」に感謝するのです。「命」は当たり前にあるものではありません。朝の目覚めは毎日等しくあるわけでもありません。けれども当たり前のようにある日常。命の目覚め。それこそ本当に大きな恵みです。神さまからの大切なプレゼントです。そう、感謝するということは、私たちに当たり前のようにある日常の根本にある「命」に思いを向け、神さまの愛を知るということから始まります。そのようなことからも「互いに」「愛し合い」「感謝する」共同体でありたいと思います。そのように「招かれて」いるのです。

 しかし、私たちの生きる現実を見れば、そのようにあることは難しいと言わざるを得ません。どうすることもできない現実に塞がれてしまうような時があります。そんな時、「愛は、すべてを完成させるきずなです。」という言葉が私たちに光を与え励まします。

 「愛」ということについて、Tコリント13章に「愛の賛歌」と呼ばれている箇所があります。愛はこのようなものということを示している箇所です。そこを読むと「なるほどその通りだ!」、「そのようにありたい」と思います。けれども同時に「そのようにあり続けるのは無理だ…」とも思います。年間聖句の箇所と一緒です。そのようにしなければならないと頑張れば頑張るほど「無理だ」と立ち止まってしまうのです。歩くことをやめてしまう。「そうしなければならない」ことに疲れてしまう。

 でも、「そうしなければならい」という想いこそが、「お互いに」という心の交流を欠き、配慮を失わせる、傲慢に歩む姿勢なのではないでしょうか。コロサイ書においても、コリント書においても、そこで語られている愛とは神さまからの出来事です。「しなければならない」事柄なのではなく、「すでに、そのような出来事を受けている」のです。
私たちのスタート地点は「愛されている」という事実です。「愛している」のではなく、その前に「愛されている」。その単純な事実を知った時、すべては動き出します。その温かな安らぎを感じた時、今年度の年間聖句が示す本当の道が見えるはずです。お互いに手を取り合って歩みましょう!
どうか、この奈良教会という共同体がステキな主の教会として輝きますように…。

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