★エホバの証人からキリストの証人へ
原田康次・千恵子
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私たち夫婦はエホバの証人として結婚しました。
約10年ほど組織にいましたが、組織の内情を知り、兄弟姉妹と呼び合っている人たちの中に、
この世の人たちと変わらない、いやもっと強いかもしれないあつれきがあることを知りました。
エホバの証人の組織は、いわば"競争社会"なので、業績を上げる人たちは誉められ、
そうでない人たちは小さくなっていなくてはならないのです。
その結果、自分の業績を誇って傲慢になり、他の人を見下げていく人と、
どこまで頑張っても達成感のない人たちは自己卑下に陥り、
うつ病になったり、自殺したりした人も何人もいると聞いています。
証人の本の中に「幸福な家庭生活…」というものがあるのですが、
私たちは次第にその本を個別訪問で提供することに良心のとがめを感じるようになり、
またバリバリやっている人たちにはついていけないと思うようになりました。
というのも、神権家族(クリスチャンホーム)でありながら、
私たち夫婦は幸福でもなければ、仲も良いほうではありませんでした。
同じエホバの証人の母でさえ「感心できる夫婦ではなかった」と言うくらいでした。
また集会、伝道のために定職につくこともままならず、いつも貧しい最低の生活でした。
野のフキをつんだり、川で魚を取ってしのいだこともあります。
神様を信じたのに、だんだんと偏屈で人の意見を聞かないロボットのようになっていくように感じました。
愛の心が枯れ、生き生き、のびのびした自分が失われていくように思い、組織を離れることにしました。
組織を離れて自由な人生を送るようになっても、夫婦仲や子供の問題は解決しませんでした。
それぞれのエゴが、ぶつかり合い、"幸福な家庭生活"とはほど遠いものでした。
夫婦で、親子で殴り合ったこともありました。
そんな生活がもうこれ以上続けられない、と思ったとき、不思議なことですが、私は神に祈り、
「もう私には何もできません。私の人生をあなたに委ねます。後はあなたのお仕事です。」と訴えていました。
神様はその祈りを聞いてくださり、私たちの家族を憐れんでくださいました。
私は押し入れから聖書を取り出し、新たな気持ちで読みなおし、
イエス様がエホバの証人が教えるようなただの偉大な教師ではなく、真の神様であることを見出しました。
この方が、私たちの罪のために十字架にかかって死んでくださったことを信じることで、私たちは救われると確信しました。
妻には黙っていようと思ったのですが、お墓の問題があり、仕方なく私は妻に、
「どうも私は死んだら天国へ行けるようだから、キリスト教式に葬ってほしい」と言いました。
特別な人しか天国へは行けないと教えられてきた家内は、何故そんなことを言うのか尋ねましたので、
「どうやらイエス様は神様で、この方を信じるだけで私たちは天国へ行けるようだよ」と答えました。
妻は、意外なことでしたが一生懸命聖書を調べ、「イエス様は神様だったんだ!」と大喜びしました。
それから1年半、口争いさえない、新婚時代のような日々を聖霊によって与えられました。
もちろん時には経済的な問題や、子供のことで意見がくいちがうこともありますが、
まるで新しく作られた家族のように平安と、幸せを得ることができました。
私たち夫婦は、組織や人の奴隷となるのではなく、
自分が自分でいられる、ありのままでいられる解放感と平安を味わっています。
そして感謝なことに、20年もエホバの証人だった母をも救ってくださいました。
人の奴隷となるカルトと、自分のエゴから解放してくださった主イエス・キリストに感謝し、
もっともっと早く、エホバの証人ではなく、キリストの証人になりたかったと思っています。
「イエスは言われた。あなたがたは…地の果てにまで、わたし(イエス・キリスト)の証人となります。」(使徒1:7,8)
直方クリスチャンセンター