★御手の中で その頃の日課は、家事手伝いと、夕方の犬の散歩でした。
神の栄光を讃えます。
私と神様の出会いと言えば、二十歳の頃、英語の勉強にと、聖書を読んだこ
とが始まりです。当時は、聖書が何であるかなどと詳しいことは知らないまま、
日本語と英語が連ねて書いてあり、英語の勉強には便利だなあ、と、ただそれだけの事でした。
そんなある目、義兄から、「今度、知人が英会話スクール開くんだけど、良かっ
たら入会しないか?」と言う連絡を受けて、毎日暇でしたし、私の親も、少
しは外に出て行かないと、と言う事もあり、すぐに見学に行くことに決めたの
です。
その時の決断が、私の人生を決めたのです。神様の御手の中に一歩踏み入れた 出会って、しばらくして彼から、「教会に行かないか?」と、誘いを受けま そんなある日、妊娠5ヵ月目に入った頃、下着に血が着くようになり、二人 1週間後の検査結果のはずが、2日後に電話が入り、すぐに病院へ来るよ ものすごい安らぎでした。どうして早くイエス様にお願いしなかったんだろ 感謝します。アーメン。 Y.K.
ことになったのです。
英会話教室で、初めてお会いした、先生と、その奥様。後に私がその方達
の家族の一員になるなどとは思ってもいませんでしたが。
それから5年後、私は彼らの御子息、今の私の夫となる人と出会うのです。
した。何でも、先生が始めた小さな教会だということ。
毎週、日曜日に朝と夜、彼と一緒に通いました。聖書を通して聞く御詞
(みことば)は、新鮮で、イエスキリストを題材とした古い映画の意味なども、
この頃初めて理解しました。そして、それらが実在したことも実は、
二十歳の頃に、毎日日課としていた、犬の散歩の時、私は夕焼け空に向
かって毎日つぶやいていました。「もし、この世に神様が存在するのなら、い
つか私をあなたの元へ導いてください」と。
そして私は、その神のもとへ通っている。この神こそがあの時、お祈りし
ていた本当の神なんだな、と確信したのです。
こうして、彼との結婚も考え始めて、洗礼を受けることになります。毎週春日
クリスチャンセンターで、生武先生より講習を受け、晴れて洗礼を受けること
が出来ました。
その後、結婚、出産、とあわただしく毎日を送り、子供を授かってからは、育
児を言い訳に、教会での活動もままならない毎日を送り、後ろめたい気持ちで
過ごしていたそんなある日、3人目を妊娠していることがわかったのです。
妊娠したこと自体が信じられず、自分の目を疑ったのですが、病院でも確認で
き、間違いありませんでした。正直言って、育児に疲れ、早く大きくなってく
れないもんかなあ...などと愚痴る毎目だったので、3人目を妊娠したとき
は本当にショックを受けました。でも、授かった命、またあの小さな体を抱っ
こできるんだ、と思い直し、気を入れ直して、妊婦生活に入ったわけです。
目の時も同じ状態だったし、主治医も「心配無いですよ」とのことだった
ので、たいして気にも留めませんでした。ただ出血が続いていた 週間、2番
目の子が「お腹の赤ちゃん、泣いてるよ。かわいそう...」と、毎日言うの
が不思議でした。2歳そこそこの子供がはっきりと言う様子に、少し恐さを
覚え、検診には少し早かったのですが、しぶしぶと行くことに決めたのです。
その月はたまたま私の主治医は休診中で、代わりによその病院から先生が来
て、診察をしていました。「どうせ、心配無いですよ一、で終わるんだから」
と思いながら、出血のことを言うと、その先生は、「じゃあ、癌検査、やって
ないでしょ、念のためしときましょう。」と言ったのです。ドキッとはしたも
のの、まさかそんなことはないでしょ。などと、高をくくっていたのです。
うにとのこと。細胞に異常がみられたので総合病院に行くこと、こちらではも
う手におえないので、紹介先の病院で話し合ってくださいとの事でした。
どこをどう帰ったか、覚えてないのですが、家に帰り着く前に本屋に寄り、
その時に目についた、子宮癌特集の載った月刊誌を買ったのを覚えています。
黒崎の総合病院で、精密検査の結果、子宮頸部癌O期。医者からは、「こち
らでは、妊娠中の治療はしません。中絶するか、出産まで待って治療するか、
あなたが決めてください。中絶するならば、週数からして3週間しか残って
ませんから、決断を急いでください。そうしないと法律で中絶出来なくなりま
すよ、出産まで待つのであればそれでも構いませんが、その間の癌の進行云々
は保障できません」厳しい選択です。我が子をとるか、そうしたら、私の命
が無くなるかも。それから次の診察日までの1週間、明けても暮れても泣き続
け、結局答えを出せないまま、診察日を迎えました。主治医も、私の心を酌
んでくださり、もう1週間、時間をくださいました。
セカンドオビニオンのつもりで、知人の産婦人科医に聞いても、「初期癌と
言ってもね、進行の度合いなんか分からないし、転移、再発なんかにつながら
ないという事は、断言できないしね。だから癌って侮れないんだよ。」
その頃の私は、信仰を忘れるほどに取り乱し、それが原因で、流産するんじゃ
あないか、と言うほどに参ってしまっていました。でも、誰も決めることは
出釆ない。私が決断しないと...。刻々と時間が過ぎ、少し落ち着いてきた頃、
「中絶」という2文字が、頭の中をよぎったのです。「これも、仕方ないことな
のかも、赤ちゃんも、わかってくれるよね」と思ったとき、胎動が激しく
なったのです。「やっぱり、生きている。この子の命を潰してしまうことなど
出来るはずない」それからパニックになり、「どうしよう、どうしよう」
とまた、悩む日が続いたのです。明日が答えを出す診察日というその日、
まだ決めかねて悩んでいました。日も暮れて、「さあ、どうしよう」と考
えていたその時、ふとイエス様の名前をつぶやいていました。「イエス様、明
日、答えを出さないといけません。どうしたらいいのですか。どうしよう。こ
の子をこの手で抱きしめたい。どうしたらいいのでしょうか」と、一心に祈っ
ていました。突然、頭の中に癌の疑いを告知された日の帰り道で、購入した月
刊誌が浮かんだのです。すぐにその本を引っ張り出し、自然と子宮癌特集のぺ
一ジを開き、その数分後には、目に入ってきた婦人科癌のサポートグルーブの
電話番号にかけていたのでした。
その代表の方は、私の症状を聞いて、サポートグループには、私のような立
場で、出産まで待って治療をし、今も変わりなく幸せに暮らしている方達が
たくさんいること、私の主治医の診断が確実に合っているならば、半年先でも
間に合う、と言うことでした。即決です。産むことに決めたのです。
う。クリスチャンになって、10年以上もの年月を無駄に過ごしてきたことを
悔いていました。それでも、イエス様は傍に居てくれた。いつも私を見ていて
くださったんだという確信が持てたのです。
それからの妊娠生活は、不安ではありましたが、元気な赤ちゃんを産むため
にも、自分がしっかりしなくては、と気合いを入れてはいました。
教会でも、礼拝の時は、皆さんに祈っていただきました。
ただ、癌という病名を皆さんに言うことが出来なかったのが、心残りでした。
やはり、死の病として先入観があり、特別な目で見られることが恐かったのだ
と思います。お祈りしてくださり、ありがとうございました。
その後無事に出産し、癌の治療も無事に終わり、経過も異常なしできてい
ます。思えば、妊娠から不可解な出来事が続いていました。
まず、妊娠したこと。これは今でも信じることが出来ません。
2番目の子の不思議な言動。
主治医の休診によって、代わりの先生が癌検査をしてくれたこと。
月刊誌の購入。等々…限りがありません。
これらの、一つでもかけていたならば、今の私はいなかったでしょう。
相変わらず、病院とは縁遠く、刻々と癌は進行していたでしょう。
今も、転移再発騒動や、体調の不良、精神的な不安などありますが、それ
でも神様と共に歩んでいる3人の我が子と、私を神様へと導いてくれた夫と義
父母、幸せです。
神の御業は、本当にすばらしいです。完壁に癒してくださる。
私が神様を口にした二十歳の頃から、すでに私の前にレールを引いてくださ
り、いつも見守ってくださっていたこと、そして、これからも神様の御手の中
で歩んでいく事。至福の喜びです。
直方クリスチャンセンター教会員