日本キリスト教団 仙台松陵教会



     【礼拝堂】

    【講壇の花170115】

   【講壇の花160918】

松籟(まつかぜ)


2017年1月15日−静かな変化−
 わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。(Uコリント3:18)

  カナの婚礼においてイエス様は水をぶどう酒に変えられた。しかも極上のぶどう酒である。このとき、イエス様は水がめにふれることもせず、この水をかき回したりもせず、あるいは、声を出して祈ることもされませんでした。ここで行われていたことは、召使たちがイエス様の言いつけに素直に従い、世話役のところに水がめを持って行ったことだけでした。
  この出来事を記したヨハネは、キリストのみ言葉に従う時に、驚くべき変化が起こったことを伝えようとしている。上掲の御言葉は、同じような変化が私たちの生活の中に起こると約束している。聖書を読んで黙想したり、キリストの臨在を祈りの中で求めたりする時、聖霊は徐々に私たちを主に似た者に変えていくのである。
  水をぶどう酒に変えられたイエス様は、私たちの平凡を非凡に変えることがおできになる。私たちの人生の中に、変化の奇跡を起こしてくれるお方である。

2017年1月8日−苦しみを共にする−
 それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。(フィリピ4:14 )

 パウロはフィリピの教会に対して上掲の言葉をもって感謝を言い表した。困難な時、物心両面にわたって支援してくれたのである。フィリピの教会も決して裕福な教会ではなかったことと思う。
  こうした心遣いは、パウロの心に「一人で苦労しているのではない」という思いを沸き起こらせた。そしてそれは、パウロにとって大きな慰めとなり、さらなる伝道の熱情となったに違いない。
 これは私たちにとっても真実である。私たちも置かれている状況に困難を覚えることがある。でもその時、その苦しさを一人で味わっているのではなく、そばに誰か−妻や夫、あるいは親や子供たち−がいて共に苦労しているということを知ることは、大きな慰めであり、困難を乗り越えていく力になる。
 今後の教会の営みを覚えて記しておきたい。牧師にとって大きな慰めと力になるのは教会員一人ひとりの祈りと協力であり、特に役員のそれである。今後とも「祈りと協力のメッセージ」を発信する一人ひとりであってほしいと願う。

2017年1月1日−新しい年への期待−
 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる。(イザヤ43:19)

  私は上掲の御言葉にこの5年間励まされてきた。牧会・伝道で困難に陥る時、「新しいことが芽生えている。悟らないのか!」と励まされ、また、「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」と希望を与えられてきた。そして、この御言葉は同時に当教会にも向けられていると信じるゆえに、私たちの営みのすべてに希望を抱くことができた。
 私の辞任に伴い、祈り求めてきた新しい牧師が東神大学長から推薦された。当然のことだが、経歴も信仰歴も私のそれとは違い、それゆえ当教会の牧会者となれば、これまでの牧会・伝道の継続は一時途絶える。しかし、それは新たな牧会・伝道の在り方が芽生えることであり、私が気付かないできた痛みや悲しみに配慮したものとなるに違いない。
  「荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせる」この約束は当教会に向けられている。地域に開かれた教会が成ると信じて祈り続けたい。