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6月04日(日)「聖霊をいただく方法」説教要旨
エペソの信徒への手紙 2章 14節〜18節
私が最初に聖霊を経験したのは、旧制中学五年の時です。四年生で洗礼を受けましたが、心に大きな喜びを感じず、これでよいのかと、随分悩みました。その頃、内村鑑三の本に、「回心(コンバーション)」ということが強調されていて、私は、このコンバーションを経験していないのだと悟りました。ひたすら神に「私に聖霊を与えてください」と、必死で祈りました。とある祈祷会の夜、長老さんが証しをしている時、生ける全能の神が目の前に現れ、自分の罪深さを徹底的に悟り、パウロのように打ちのめされ、思わず、「主よ、われを去りたまえ、われは罪ある者なり」(ルカ5:8)と心の中で叫び、大声で泣きました。そこでは、私自身の罪が深く覚えられ、神は栄光の高みにいます聖なる神でした。しかし、不思議にその時、向こうから来る見知らぬ人にも「兄弟よ」と呼びかけたくなる喜びがあふれました。この不思議な経験と喜びは、3、4週間続きましたが、日がたつにつれ薄れて行きました。内村鑑三が「回心は完全なものではないよ」と言っているのを思い出します。もしその経験が完全なものなら、それは地上のものを偶像視する愚かさだと思います。聖霊は風を捕らえるように、人間が捕らえようとしても捕えられません。「聖霊を所有しようと思うな、聖霊が、あなたのすべてを所有したもう」。しかし、その時、受けたのは神の霊である、そのことを疑うことは生涯ありませんでした。 第二に聖霊を受けたのは、神学校行きを反対され、東京外国語学校のドイツ語科に入って、浄土真宗のお坊さんの子で三浪してきた学生と話して、自分がまだ人生を知らず、もう一度原点に帰って考え直して見よう、その上で、キリスト教が真理であるなら、キリスト教に帰ってこようと思い、教会から離れ、仏教やその他哲学などに首をつっこんでいる時です。その頃、体はいよいよ病弱で、三十までもたないとさえ言われました。それに空襲は日増しに激しく、家は二回焼かれ、一回は火の中を抜け出したこともありました。病気という内にかかえた死と、戦争という外にある死と、日々の生き死にと、信仰とはひとつでした。体が弱かったので、茨城県の農村に疎開していました。疎開先の農家の一室で『植村正久文集』の「黒谷の上人伝」を読んでいた時、今度は、十字架のキリストが目の前に現れた感がいたしました。思わず口をついて「このままに朽ちぬも今は喜びあり、主イエスの恵み満てるわれには」という歌が出てきました。それは十字架イエスがはっきり目の前に現される瞬間、贖罪的愛の知らせでした。そして復活のキリストがいました。私の十字架体験です。その体験を後から神学的に裏付けると、「浄土宗には、阿弥陀仏(アミッターバ=無量壽=無限の恵みの仏)があり、キリスト教と似ているが、その仏は、実在ではなく、十字架にかからない」ということでした。
第三は、静かな霊の経験です。阿部正雄は、欧米の思想界では知らぬ者のない、日本の仏教学者で、ティリッヒのもとで神学を学んでもいます。この人をハンブルクの家に呼んだ時、食事の前に祈る時、私は阿部正雄に、「私はキリスト者ですから、キリスト教風に祈ります」と言って祈り、「アーメン」と言うと、阿部正雄も、いっしょに「アーメン」と唱和するのです。その態度に私は驚きました。すると、彼は次に仏教風に、手をあわせて少し上にあげ、おじぎしました。私も、彼につられて手をあわせて、少し上にあげ、おじぎしました。そして語り合いました。お互いに立場、宗教は違っても、尊敬がありました。その時、霊のさわやかな風が私たちをおおいました。それは不思議な経験です。この話を聞いて、熱心なキリスト者は、反対するでしょう。他宗教は偶像礼拝である。キリスト教信仰からは否定されるべきだと。では「私のおじいちゃんは、とても熱心な浄土宗の信者でした。実に信仰者としても人間としても立派でした。それなのに地獄にゆくのでしょうか」。そんな馬鹿なことはありません。イエスは百卒長に「イスラエルの中にも、これほどの信仰は見たことがない。多くの人が東から西からきて、天国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につくが、この国の子らは、外のやみにおいだされる」と言いました。パウロは「悪を行う者には、ユダヤ人を初めギリシア人にも艱難と苦悩が与えられ、、善を行うすべての人には、ユダヤ人を始めギリシア人にも、光栄と誉れと平安が与えられる・・・」(ローマ2:9-29)と言います。これは和解の霊です。静かな鳩の姿をとって下る霊です。間違わないでください。それは混合宗教になるのではありません。キリストの十字架は、敵をも愛しゆるします。これは他者との対話の基礎です。私たちはキリスト教原理主義ではありません。聖霊と十字架の神学です。和解の福音です。
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ぜひ、あなたも礼拝に出席して直接お聴き下さい。一人でも多くの方のご出席を心からお待ちしています。 |
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