つしまシャロームチャペル
〒700-0086 岡山市北区津島西坂2-5-31(п@086-255-2096) 
 






















*当教会は2013年4月にオープンしたキリスト教プロテスタントの教会です 
*心の安らぎ、平安の満たし、温かいハートフルな教会へ、あなたもお出でくださいませ〜 
*シャローム・今日のみことば* 1月22日(日)

「ある夜、主は幻によってパウロに、『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるから。』と言われた。」(使徒18:9,10) Once night Paul had a vision in which the Lord said to him, "Do not be afraid, but keep on speaking and do not give up, for I am with you. No one will be able to harm you, for many in this city are my people," (Acts 18:9,10)  


【あきらめない者】今日のメッセージは18章の前半、パウロのコリント宣教です。シラスとテモテより一足先にアテネを去ったパウロは、ここで後々も良き協力者となる天幕作りの職人夫妻とともに働きながら、安息日にあっては会堂に出向きます。仲間の到着とともに彼は宣教に専念できるようになりますが、ここのユダヤ人たちもまたパウロに反抗的で暴言を吐きました。  

パウロはいつも福音を、神の民ユダヤ人の会堂から始めましたがここの人々は聞く耳を持たなかったのです。それでパウロは、福音を拒む者にはその報いが最終的に自分に帰って来ることを宣言し、異邦人へと宣教のほこさきを向けていくのです。すると主を信じて救いにあずかるコリント人たちも出てきました。  

ここで神様はパウロに幻をもって、「恐れないで福音を語り続けるように、黙ってはいけない。」と語られます。 1.恐れてはならない 2.口をつぐんではならない 3.主はあなたとともにいる 4.だれもあなたに危害を加えない 5.この町には神の民が大勢いる このメッセージは、福音をたずさえるすべての信仰者への神の御心です。「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)イエス様の大宣教命令に付されたこの「いつも主はともにいる」という約束をもって主はパウロを励ましたのです。  

死んだように見えても生きながらえ、命をかけて福音を語り続けるパウロがなぜここでこのような励ましを主から受けねばならなかったのでしょうか。それは人は主にあってでなければ福音を語り続ける勇気も力もないということを神はよくご存知であるからです。私たちはいつも強いパウロを見ます。しかし、パウロのどこがいったい強かったのでしょう。彼は確かに誰よりも神に対して強い意志の持ち主であったかもしれません。けれども、彼もどこまでもこの世にあっては肉にある一人の人間に過ぎないのです。もう黙ってしまいたいと思うようなコリントの町に彼は置かれていたのです。  

この町はアジヤとイタリヤを結ぶ商業の盛んな港町で旅行業者も多く政治の中心で活気もありましたが、不道徳な町でもありました。しかし、その町に「イエス様のお救いになりたいと願う民たちが大勢いる」と神は言われるのです。「あきらめない」。福音をあきらめてはならないのです。  

今日、福音の口を開く者の心を疲弊させるものは、そのことばを受けとめようとはしない人々の姿です。空しく風に消えていくような聖書のみことばを、それでも出し続けよ、語り続けよと主は語っておられるということです。なぜなら、イエス様はそこに共におられるからであります。私たちは福音を語る時、その町に、その場所に、大勢の主の民を見続けながら福音を語る者とされている者なのであります。必ず救いにあずかる人がいる。あきらめてはならない。   

今日も大勢の主の民を見ながら、主の聖霊の感動を期待して礼拝をお捧げいたしましょう。ともに主を賛美し、主にお出会いする私たちでありましょう。主は来られます。私たちの間に、そして私たちの内に、礼拝のただ中に・・・。心をこめて祈りつつ、お待ちしています。
《教会案内》
礼拝   
毎週
日曜日
午前10時半
 
♪賛美タイム
10時〜

聖書教室
毎週
木曜日
午後2時〜
お祈り会
毎週
木曜日
午後4時〜

教会学校「ぽぽ」
幼児・
小学生
 毎週
土曜日午後2時〜

カウンセリング
相談の上、随時受付


     昨日のみことば>

「主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。」(詩篇11:7) The Lord is righteous and loves good deeds; those who do them will live in his presence. (Psalms 11:7)  

【まっすぐな心】ダビデは敵に身を追われるとき、いつも避け所は神のふところでありました。この「心の直ぐな人」というのは、神を信じるダビデ自身のことであり、神を隠れ場とするすべての信仰者、私たちのことであります。  

私たち信仰者には、その心を射抜こうとする悪しき敵が存在しています。悪しき存在はわたしたちの魂を揺るがせ、私たちを神様から引き離そうと手ぐすね引いて待っています。ダビデの魂が敵に追われて打ちひしがれていたように、私たち信仰者は吠えたける獅子のようなサタンに狙われて落ち込まされていくのです。  

しかし、悪しき者がどうしても近づけない場所があります。それは神の臨在の幕屋です。神の聖霊に満たされて、神を賛美している心にはつけ入ることができないのです。悪しき者はいつも信仰者の心の扉に近づこうとその様子を伺いますが、家の中が神への賛美に満たされ、喜びにあふれているならば、その家に近づくことすらもできないのです。  

だれでも知っている「三匹の子ブタ」の話に出てくる三軒の家で、最も強固なのはレンガの家でした。わらの家も木の家もオオカミの息で吹き飛ばされてしまいますが、レンガの家は動じません。仕方ないのでオオカミはレンガの家の煙突から侵入しますが、その下に熱した鍋が煮えたっていて、彼はそこに落ちるというのが私の幼い日の記憶です。本によって若干の違いがあるかもしれませんが、実に分かりやすい話でした。  

悪者オオカミに負けなかったのは強固な家でした。この家を建てたのは末っ子ブタでした。建てている時には時間がかかるので兄さんブタに笑われてしまいます。「なんでそんなに時間がかかるんだい!」。からかわれても、一生懸命レンガを積んでいる末っ子ブタの絵が今も浮かんできます。  

悪者オオカミをシャットアウトする家こそは、一日一日心を尽くしてレンガを積んだ家であったように、私たち信仰者も、一日一日イエス様に心を尽くして生きる魂にこそ主の守りは豊かに注がれるのです。  

私たちは、「自分は弱い者です」と告白するよりも、「主にあって強い者です」と告白する者でありたいと願います。私たちに建てられている主の宮は、揺らぐことない強固な主の御霊のお住まいであるからです。そのことを覚える者でありたいと願います。日々、心を尽くしてそれを受け取る者でありたいと願います。  

神様は正義を愛されるお方です。私たちも正義を愛します。悪しき者を遠ざけ、正しき道を歩みます。真理なるイエス様の道を行くのです。その者に、いつも主のまなざしが向けられていることを信じます。  

今日も寒さの中、主の温かなふところに帰り続けましょう。主の愛に感謝して主を賛美して歩む者でありたいと願います。皆さんの今日一日の守りを心よりお祈りしています。