←ホームへ

シロアム教会 礼拝説教要旨集
2014年11月 2日 9日 16日 23日 30日 目次に戻る
 2014年11月30日 
「助けの石」加藤誠牧師
サムエル記上7章1−12節



 前回のサムエルの少年時代から今週の7章のお話まで、正確な年数は記されていませんが、かなりの年月が過ぎています。そして4−6章では神の箱が奪われるという大事件が記されています。奪ったのはペリシテ人です。ペリシテ人は聖書では士師記に登場し、有名なサムソンの敵役です。元々はエジプトをも悩ました海洋民族のようですが、士師の時代にはパレスチナに定住し、圧倒的な武力でイスラエル民族を支配しようとしていました。サウロ、ダビデの時代になってイスラエルはペリシテからの独立を勝ち取ります。パレスチナという地名はペリシテに由来します。



 神の箱はモーセの十戒が納められており、人の手が触れてはならない聖なるものでした。人によっては「the ark」と言った方がピント来るかも知れません。4章ではイスラエル民族の存亡を賭けたような戦いがペリシテとの間に起こります。負ける訳にはいかないイスラエルは、最後の切り札とも言える神の箱を戦場に到来させますが、逆に奮起したペリシテ軍に敗退し、神の箱も奪われます。ところが略奪した、つまりペリシテの神に敗北したはずの神の箱によって各地に疫病が起こります。ついにペリシテの王たちは神の箱を返還することを決意し、それから20年が経過しました。7章の始まりです。



 サムエルは祭司エリの下で幼少期を過ごしたことが記されていますが、長じてからはむしろ預言者としての働きをしていたようです。預言者の働きとは一言で言えば、人々の心をただ真の神を神として信じるように働きかけることにあります。サムエルの働きにより、イスラエルの人々の中から、異教の神々が排除されつつありました。再びペリシテが攻めて来た時、人々はサムエルに祈ることを求めました。祈りに応えられた神の助けによりイスラエルは勝利しました。そしてサムエルは記念に石を一つ取り、「助けの石」と名付けます。「石」は記念に過ぎません。大切なのはイスラエルの信仰と祈りに神が応えられた、という事です。
目次に戻るページトップ
 2014年11月23日 
「主よ、お話しください」加藤豊子牧師
サムエル記上3章1−14節



 幼いサムエルが「主よ、お話しください。」と祈っている姿は、聖画にもなっており、大変有名です。サムエルは神の箱が安置されている神殿に泊り、祭司の下働きとしての務めを果たしていました。一晩中点けられているともし火が尽きようとしていた明け方頃、主はサムエルを呼ばれました。サムエルは祭司エリに呼ばれたと思い、「ここにいます」と答えて彼のもとに駆けつけますが、エリは「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と答えます。同じことが3度繰り返されて初めて、エリは主がサムエルを呼ばれたことに気付きます。そして4度目に、サムエルは主に向かい「どうぞお話しください。僕は聞いております。」と答え、初めて神の言葉を聞きます。

 ここはサムエルにとって大切な転換点と言えます。幼い頃からずっと神殿で神に仕えてきたサムエルが初めて神の言葉を聞き、預言者として神に召された場面です。



 サムエルに聞かされた内容は、エリの一族に対する厳しい、容赦のない神の審きでした。サムエルはそれを伝えることを恐れましたが、隠しだてせずに伝えることを求められ、またエリも神の御心を静かに受け止めています。神の言葉を割り引くことなく伝えること、またそれを聞くことの厳しさを思わされます。サムエルがこれから歩む預言者としての道は、神の言葉に聞きまた従う道でありました。



 サムエルが神の言葉を聞いた時代、その頃、主の言葉が臨むことは少なかったとあります。エリの息子たちの悪行だけではなく、その時代の多くの人々の心が神から離れていたことが背景にあるのではないでしょうか。現代もまた、神の言葉が聞かれない時代と言えるかもしれません。預言者サムエルが立てられたように、私たちの教会も、この罪に満ちた時代の中で神の言葉を正しく聞き、伝えるという使命が託されていることを覚えたいと思います。
目次に戻るページトップ
 2014年11月16日 
「サムエルの成長」加藤豊子牧師
サムエル記上2章18−26



 祭司エリの二人の息子たちとサムエルの姿が交互に、対照的に記されています。神の前にささげられたものを、好き勝手に奪い取るだけではなく、不道徳な行いを重ねるエリの息子たちの姿には目に余るものがあります。父親であるエリは二人を諭しますが、彼らは父の声に耳を貸そうとしなかった、とあります。「主は彼らの命を断とうとしておられた。」と、神の審きが迫っていました。



 エリは子どもの教育に失敗したのだ、自分の息子に厳しく向き合うことができなかったのだ、と上から見下ろすように批判することもできます。しかし、彼は見過ごしていたわけではなく、一生懸命諌め、悪行をやめさせようとしていました。しかしその思い、言葉は子どもたちに届かなかったわけです。滅びにつき進んでいく息子たちを止めることができないエリの心の苦しみ、もどかしさというものを思わされます。どんなに叫んでも、訴えてもその思いは届かず、状況は悪い方向へと進んでいく、そのような場面に直面させられた時、私たちもエリと同じように無力感、絶望感を味わうのではないでしょうか。



 そのような状況の中で、少年サムエルは主のもとで成長していました。背後には、離れて暮らす母ハンナの祈りがあったことも思わされます。神の審きの迫る暗闇の中、サムエルの成長はまさに希望の光を示しているのではないでしょうか。



 ルカ2章には、「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」と幼いイエスの成長の姿が記されています。それは少年サムエルを思わせる言葉です。もうすぐアドベントを迎えようとしていますが、イエス・キリストが罪に満ちた、滅びにつき進んでいるようなこの世界に、希望の光として誕生してくださり、救いの道を開いてくださったことを覚えたいと思います。
目次に戻るページトップ
 2014年11月9日 
「ハンナの歌」加藤豊子牧師
サムエル記上2章1−11



 その子の一生を主におささげします、と誓ったハンナはその言葉通り、乳離れした後サムエルを祭司エリのもとに連れて行きました。サムエルを主にゆだねたハンナの祈りが記されていますが、その祈りは神を讃美する言葉で満ちています。子どもが与えられたことへの個人的な感謝が述べられているのではなく、主なる神、聖なる神、全てを治めておられる神を崇める讃美に満ちた祈りです。



 ハンナがこの讃美の心を持つためには、苦しい祈りの時を過ごさなければなりませんでした。「ハンナは悩み嘆いて主に祈り、激しく泣いた」(1:10)とありますが、そのような祈りの中で、彼女は子どもの一生を神にささげるという誓いをたてます。この時、ハンナは自分自身をも神にささげ、願いが叶えられない苦しみの中で、それでも尚主なる神を仰ぎ見るという信仰へと導かれたのではないでしょうか。祭司エリを通して「安心して帰りなさい」という言葉を与えられ、その場を離れたハンナの表情は「もはや前のようではなかった。」(1:17)とあります。



 「勇士の弓は折られるが よろめく者は力を帯びる。食べ飽きている者はパンのために雇われ飢えている者は再び飢えることがない。」(4,5節)

 強い者が力を失い、弱い者が権力を握るというような立場の逆転は、いつの時代にも見られるものです。しかし、人の命は主の御手の中にあり、真にこの世を治めておられるのは主ご自身であることが歌われています。さらに主は、どのような時代に於いても弱い者、貧しい者を顧みてくださるお方であることが示されています。



 ハンナの祈りは旧約聖書のマグニフィカート、マリアの賛歌と呼ばれています。主イエスの母マリアも、不安と怖れの中から貧しい者、低くされた者を顧みてくださる主を崇める讃美へと導かれています。私たちも、いついかなる時も神を仰ぎ讃美する心を持つ者でありたいと願います。
目次に戻るページトップ