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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2016年5月29日 
「畏れる心」加藤豊子牧師
使徒言行録5章1−11節



 使徒言行録を読み進んできましたが、ここまで私たちは豊かな聖霊の働きを見ることができました。ペトロをはじめ使徒たちが力強く復活の主の証人として福音を宣べ伝え、教会が誕生し、多くの人々が教会に加えられていった様子が語られてきました。しかし今日のところでは、アナニアとサフィラという一組の夫婦の残念な姿が記されています。



 この夫婦は二人で相談して、土地を売り、その代金をごまかしてその一部を献金としてささげるためにペトロのところに持ってきました。おそらく、土地を売った代金の一部を献金としてささげ、残りは自分たちの手元に残しておいたということでしょう。彼らは全額をささげたかのように見せたのです。



 ペトロは「どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」(4節)と厳しく咎めました。どうしてこんなことをしたのか…その理由は4章の最後を見るとわかります。バルナバと呼ばれる、後にパウロと使徒たちの橋渡しをするという大切な役目を担うことになる人物が、持っていた畑を売ってその代金を献金としてささげたことが紹介されているのです。おそらくこの夫婦は、バルナバの評判を聞き、自分たちもそのように教会内で尊敬されるようになりたいと願ったのではないでしょうか。



 「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて土地の代金をごまかしたのか。」(3節)

 3節は、原語に忠実に訳すならば、「なぜ、サタンがお前の心を満たし…」とサタンが主語になっています。神と人との交わりを壊そうとする力はすきあらば、と信じる者の心の中に巧みに入り込もうと機会を狙っています。人は聖霊の器にも、サタンの器にもなり得るということではないでしょうか。私たちがそれぞれに神から託されているものを、喜んでささげる心を大切にしたいと願います。
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 2016年5月22日 
「聖霊に満たされて」加藤誠牧師
使徒言行録4章1−14節



 ペトロとヨハネが足の不自由な男を主イエスの名によっていやし、さらに神殿で5000という数字が数えられるほどの人たちを前にして、特に主イエスの復活を述べ伝えていることにいらだった祭司、神殿守衛長、サドカイ派の人たちは、二人を逮捕する。直ちにユダヤ人の最高議決機関であるサンヘドリン会議が招集され、二人は尋問を受けることになった。



 主イエスが十字架にかけられてから50日ほどしか経っていない。人々の記憶に主イエスのことはまだ新しかった。ペトロとヨハネにしてみても、最高議会の法廷に被告として引きずり出されることは恐怖を覚えても不思議ではなかった。



 しかし聖書は「その時、ペトロは聖霊に満たされて言った」(8節)と伝える。これはルカによる福音書21章12節以下の主イエスの言葉を当然連想させる出来事である。ここで聖書はペトロが聖霊に満たされたことを伝えるが、ここでは使徒言行録2章2,3節で語られるような不思議な現象は何一つ起きない。しかし目に見える現象以上の変化がペトロに起こる。



 彼は極めてストレートに男がいやされた原因を主イエスの十字架と復活によって語り、更に「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていない」(12節)と説教する。大胆に主イエスの十字架と復活をペトロが語るためには聖霊に満たされる必要があった、と言い換えてもよいと思う。

 ユダヤ人の指導者たちは、癒された人を目の当たりにしては何も言い返せず、彼らを脅して去らせるのみであった。



 今日も、主イエスの十字架と復活を証し、述べ伝えるためには私たちが聖霊に満たされる必要がある。そのためにこそペンテコステの日に教会が聖霊によって誕生したのである。それは不思議な現象を伴って語られる。しかし本質は教会が最も大切な事として語ってゆかねばならない主イエスの十字架と復活を伝えるためには、聖霊の助けがなくては神様の業は進まないことを覚えたい。
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 2016年5月15日 
「立って歩く者へ」加藤豊子牧師
使徒言行録3章1−10



 「美しい門」と呼ばれるエルサレム神殿の前に、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来ました。4章を見ると、この人が40歳を過ぎていたことがわかります。今ならば、たとえ足が不自由であっても物乞いをするようなことはないかもしれません。しかし、2千年も前のユダヤの社会ではこのような障害があると、神の祝福から漏れている人、神から見放されている人、というように見られ、社会の中に自分の居場所を見出せない状況にありました。「運ばれて来た。」「置いてもらっていた」とあるように、一人の人としてではなく、物のように扱われている姿が示されています。

 40歳を過ぎたこの人は、人から施しを受けて生きていくしかないと、自分の人生をあきらめているのかもしれません。自分の生きていく意味、存在価値を見出すことができず、自尊心が深く傷ついているのではないでしょうか。



 何かお金がもらえないかという目で見つめているこの男性のことを、ペトロとヨハネは「じっと見て」、とあります。「じっと見て」というのは、しっかりと、その人に関心を向けて見た、その人の本当の姿、内面を見ようとする眼差しではないでしょうか。そしてそれは、主イエス・キリストの眼差しに通じるものだと思います。失敗や挫折を通ってきたペトロ自身も、この主イエスの眼差しに支えられ、生かされてきました。



 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」(6節)

 生きる意味を失い、自尊心が深く傷ついた人が、神の呼びかけに応えて生きる者、神を賛美し礼拝して生きる者へと変えられた姿が示されています。自分の足で立ち、神を見上げながら生きる、神の前に真の人間性を回復した一人の人の姿がそこにあります。



 私たちが、教会が持っているもの、与えることができるものも、それと同じではないでしょうか。金銀はないですが、主イエス・キリストを信じ、信仰をもって生きる幸いな道を示すことが託されていることを覚えたいと思います。
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 2016年5月1日 
「喜びの歌を歌おう」加藤誠牧師
詩編126篇



 詩編126編は紀元前587年に起きたとされるバビロン捕囚とその50年後の解放とエルサレムへの帰還が背景にあると考えられています。捕囚にされたイスラエルの民にとって、主を讃美することが簡単なことではなかった事が詩編137編から伺えます。しかし、主の大きな業が成し遂げられる時、舌に喜びの歌が満ちるのです。



 帰還した人たちを待っていたのは厳しい現実でした。エルサレムの城壁は崩れ、神殿は荒れ果てていました。彼らは神殿を再建しようと試みますが、先住民の抵抗や生活の厳しさから一度は頓挫します。しかし詩人は信仰の言葉をもって、現実に敗れた人たちを勇気づけます。



 「涙と共に種を蒔く人は 喜びの歌と共に刈り入れる」(5節)40年近くも昔の青年会時代、川上悟という兄弟がいました。彼の愛唱聖句がこの126編5節でした。彼は周りから牧師になることを期待されていましたが、何故か私を推薦し、自分は一級建築士の資格を取り、郷里の山形に帰って教会に仕え、時に教会の設計も手掛けます。今になって少し分かります。自分の将来を決めるのは人の言葉ではありません。神の前での信仰的決断が私たちを未来へと導きます。



 荒れ果てた城壁を立て直し、勇気をもって神殿の再建に力を合わせるためには、どうしても信仰の言葉が必要です。「主を喜ぶことが私たちの力」であることを知るためには、どうしても信仰の言葉を信じる必要があります。



 この詩人が生きた時代も、私たちが生かされている時代も、本質的には何も変わりません。神様は私たちが流す涙を御存じです。それが人のためであろうと、神のためであろうと、はたまた自分のための涙であろうと。その涙が未来に向かって種を蒔く涙であるなら、喜びの歌と共に刈り入れる時が来るのを私たちは信じることができます。讃美することができます。そのようにして歩む私たちでありたいと願います。
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