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シロアム教会 礼拝説教要旨集
2016年9月 4日 11日 18日 25日 目次に戻る
 2016年9月11日 
「恵みによって」加藤豊子牧師
使徒言行録15章1−11節



 教会が誕生してから約2千年、その歴史を振り返れば、幾たびも大きな会議が行われてきたことがわかります。そこで様々なことが議論され、選択されてきました。規模の大小によらず、教会の会議において大切なことは、その中心に神がおられることを覚え、御心を求めて従っていこうとする祈りの姿勢ではないでしょうか。



 15章に記されているエルサレム会議は、教会の歴史上最初の公会議で、パウロの第一回伝道旅行の後に行われたものです。そこで議論されたのは、救われるためには割礼を受ける必要があるかどうかでした。 「異邦人にも割礼を受けさせて、モーセの律法を守るように命じるべきだ。」これが、エルサレム教会の一部の人たちの主張でした。彼らはファリサイ派と呼ばれる、律法を守ることに熱心な人々でした。



 それに対し、ペトロは立ち上がって答えます。「わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人にもおなじことです。」この発言は、ペトロが以前異邦人コルネリウスに洗礼を授けた時の体験に基づくものでした。引き続いて、バルナバとパウロが伝道旅行の報告を通して、神がどのように異邦人を救いに導かれたかを証ししました。



 最後にエルサレム教会の中心人物でもあった、主イエスの兄弟ヤコブは旧約聖書を引用しながら、異邦人の救いが神の御心であることを示し、割礼を受ける必要がないことが確認されました。しかし、ヤコブはこのことに一つの条件を付けました。それは、偶像に供えられた肉、銃殺された動物の肉、血などを避けるように手紙に書く、ということでした。これは律法を重んじるユダヤ人キリスト者を配慮した発言でした。正論を押し付けることが、必ずしも人を生かすことにはならないことを示しているのではなでしょうか。「愛に根ざして真理を語り」(エフェソ4:15)という言葉を心に留めたいと思います。
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 2016年9月4日 
「再びのリストラ」加藤誠牧師
使徒言行録14章19−28節



 使徒言行録によると使徒パウロは3回の宣教旅行を行っている。聖書箇所はその第一回目の旅行の後半である。短くまとめられているのは、来た道を途中まで引き返しているからである。第2,3宣教旅行には見られない特徴であるが、見逃してはならないメッセージがこのまとめとも言える数節には込められている。



 折り返し地点となったデルベであるがその直前のリストラでは、敵対するユダヤ人によって扇動された群衆により、殺意を込めて石が投げられパウロは死んだと思われるほどの怪我を負う。地図を見るとデルベからリストラに引き返すより、陸路でアンティオキアに向かう方が遥かに距離が短く、第2宣教旅行ではその工程で旅が始まっている。パウロが命の危険を冒してまでリストラ、イコニオンに戻って行ったのはそこに教会が誕生したからに他ならない。



 23節には「弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた」とある。教会は本質的には建物ではない。主イエスを救い主と信じる者たちの群が教会である。しかしただ人が集まればよいというものでもない。主イエスを信じた人たちには「長老」と呼ばれたリーダーが必要だった。そして「長老」はおそらくパウロとバルナバによって選ばれ任命されたのである。そして二人は長老のために断食して祈ったことが記されている。生まれたての教会は二人の命がけの指導とメッセージ、そして断食して祈る姿に教会の中心的な生命線があることを学んだのではないだろうか。



 二人が真に偉大なのはアンティオキアに帰った時の報告である。「神が自分たちと共にいて行われたすべてのこと」を報告した。自分たちの行ったことではなく、神が行われた全ての事を報告したのである。神が私たちと共におられて宣教の働きをなされることにこそ教会のあるべき姿がある。
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