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シロアム教会 礼拝説教要旨集
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 2016年11月27日 
「恐れるな、語り続けよ」加藤誠牧師
使徒言行録18章1−11節



 5節まではパウロの1年半に及ぶコリント滞在の初期の様子を知ることができる。クラウディウス帝やその命令からパウロがコリントに滞在したのはAD51年ころである。どのようにアキラとプリスキラに出会ったのかは記されていないが、恐らく意気投合した彼らはパウロを家に住まわせ、共同で仕事をした。パウロが伝道したのは安息日であった。アキラとプリスキラがどのように伝道していたのかはここでは分からないが、パウロが旅立つとき彼らも同行したということは、パウロにとってはかけがえのない友を得たことになるのではないだろうか。



 シラスとテモテがコリントに到着してからは、パウロは福音を語ることに専念する。しかし彼が主イエスを力強く証すればするほどユダヤ人の反発も強まった。勿論、ユダヤ人会堂長の一家を始めとして多くのコリントの人たちが主イエスを信じ洗礼を受けた。



 そんなある夜、パウロは幻の中で主の言葉を聞く。それはパウロに恐れずに語り続けよという励ましであった。最後は「この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」で締めくくられた。この最後の言葉から私は二つのことを想像する。



 第一はもうすでに主の民が大勢いる、という事である。牧師は孤独感を覚えやすい。悩む人の話を真剣に聞き、しかもプライバシーに関わる事だけに人には話せない。人知れず恐れも抱く。ひょっとするとパウロはかつてのように反発するユダヤ人にここでも襲われるのではないかと心配したのではないだろうか?パウロの周りには彼を支える人たちがいた。



 第二は主の民が大勢になる、という事である。パウロはこの主の言葉に励まされて1年6ヶ月もの間、コリントに腰を据えて伝道することが出来たのではないかと思う。「わたしがあなたと共にいる。」との語りかけは、私たちに対しても神様から与えれている約束である。
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 2016年11月20日 
「造り主なる神」加藤豊子牧師
使徒言行録17章16−27節



 フィリピ、テサロニケ、べレアと、追われるような旅を続けてきたパウロですが、ついに誰もが知っている「アテネ」という町に到着しました。べレアからは300キロほど離れたところですから、おそらく船旅だったろうと思われます。ソクラテス、プラトンといった哲学者たちが活躍した時代は過ぎ去っていましたが、それでもアテネは学問の中心地、知的好奇心にあふれた人々の集まる町でした。



 「パウロはアテネで二人を待っている間に、この町の至るところに偶像があるのを見て憤慨した。」(16節)

 アテネはまた多神教を信じる町、様々な偶像、石に刻まれた神々が溢れていました。中には「知られざる神に」と刻まれている祭壇さえありました。偶像とは、人間の願いを叶えてくれる都合の良い神として、人の手によって作られたものです。人間の願いや欲望の数だけ生み出されるものであると思わされます。パウロは偶像礼拝に対する怒りを人々にぶつけ、直接非難するようなことはせず、「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなた方が信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。」(22節)と話しかけました。そして、人の手によって作られた神ではない、造り主なる神、すべての人に命と息とを与えて生かしてくださっている真なる唯一の神を伝えました。



 最後にイエス・キリストの十字架と復活が語られると、ある者はあざ笑いまた去って行ったことが記されています。昔も今も、主イエスの十字架と死、復活の出来事は頭だけで理解することは難しく、信仰をもって受け取られる事柄であります。そして、そこを語らない伝道はありえないのです。去っていく人もありますが、しかし必ずそこに信じる者が起こされていったことを聖書は語っています。
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 2016年11月13日 
「聖書に基いて」加藤豊子牧師
使徒言行録17章1−9節



 パウロの伝道旅行は、フィリピを後にし、テサロニケ、そしてべレアへと続きます。後にパウロはテサロニケの人々への手紙の中で「激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語った」と記しています。パウロの伝道を通して信じる人々が起こされたとき、ユダヤ人たちはそれを妬み、暴動を起こして町を混乱させパウロたちを捕えようとしました。テサロニケでパウロたちを苦しめた人々は、次のべレアにまで追いかけて行って妨害しようとしました。排斥され追われるようにしながらパウロは福音を語り続けたのです。



 パウロは何を、どのように語ったのでしょうか。「聖書を引用して論じ合い」「このメシアはわたしが伝えているイエスであると説明し、論証した。」とあります。何か人々の関心を引くような、特別な話をしたわけではなく、旧約聖書を紐解きながら、イエス・キリストこそ、真のメシア、救い主であることを指し示したのです。



 パウロの話しを聞いた人々の中にも「毎日、聖書を調べていた。」と、熱心に聖書を読み調べる人々が起こされたことが記されています。聖書を通して明確に主イエス・キリストを語ること、また自ら聖書を読むこと、その両方の大切さが語られています。



 今からおよそ2千年前のこと、交通手段も宿泊施設も整わない中、パウロ達の旅は困難を極めたことでしょう。しかし、彼らは孤立無援ではありませんでした。彼らを助ける人々も備えられていたのです。パウロたちを匿い、代わりに捕らえられたヤソン、送り出した人々、付き添って次のアテネまで連れて行った人々、多くの人々がパウロたちの働きを支えていました。

 困難な状況の中にも従って歩む者たちに、主は必ず助ける人々を備えていてくださることを覚えたいと思います。
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 2016年11月6日 
「真夜中の福音」加藤誠牧師
使徒言行録16章16−34節



 フィリピでパウロたち一行は「占いの霊」に取りつかれた女奴隷に出会う。この奴隷の主人は占いによって多くの利益を得ていた。今の世にも「占い」はそこかしこにある。いつの時代、どこの国でも「占い」の目的は自分の利益である。祈願も似たところがあるように思える。みな自分の利益、幸福を願う。私たちの祈りはどうであろうか? 自分のために神の祝福を祈るのが悪いとは思わない。しかし、神のために自分に何が出来るのかを祈る祈りがもっとあってもよい。



 利益を妨害された人たちにより、パウロたち一行は捕えられ、正式な裁判もないままで鞭打たれ投獄される。25節にはパウロとシラスが真夜中ごろ賛美し神に祈っていたことが記されている。しかも他の囚人たちは賛美と祈りに聞き入っていた。



 教団総会で海外ゲストを横浜海岸教会に案内した。日本のプロテスタント最初の教会である。1872年にまだキリスト教が禁止されていた時に11人の日本人青年が中心となって設立された。上山牧師によればきっかけは新年祈祷会だったそうである。彼らは宣教師たちの祈る姿に感化されたのである。



 大きな地震が起き、目を覚ました看守は囚人が逃げたと思い自殺しかける。地震も鎖が外れたことも、牢の戸がみな開いたことも更に囚人が一人も逃げなかったことも看守には理解不可能であったに違いない。あるいは彼は神の存在を感じたのであろう。そうでなければ「救われるためには・・・」などという言葉は出てこない。 彼らを家に案内し食事を出すなどということは、それこそバレれば命がいくつあっても足りない。神を信じる者になる。その喜びがこの箇所には満ちている。神の愛を知ることは「占い」では手に入らない。占いで手に入れたいかなる利益でも手に入らない。ただイエス・キリストの福音のみが可能にする。
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