【福音宣教】 大切な人をイエス様のもとへ導こう

「福音はユダヤ人をはじめギリシャ人にも信じる、すべての人々にとって救いを得させる神の力です」(ロマ1:16)

20240421

今日は総会のため、11:30まで30分の礼拝をささげます。私に与えられている時間は8分です。

私たちは、2010年に宇治市小倉町から開町に移り、会堂をみんなで修繕し、2011年3月に献堂式を捧げました。以来13年が経過しました。今日まで教会が守られ支えられたことを感謝します。今年はローマ1:16が年間聖句として導かれ、「さあ、あなたの大切な一人一人にイエス様を知っていただこう」のことばを、私は年間標語とさせていただきました。

1.  初代教会の宣教師パウロは「福音は信じるすべての人にとって救いを得させる神の力です」(16)と信じ、同胞のユダヤ人ばかりでなく、異教の神々を信じているギリシャ人、ローマ人たち異邦人にも救い主イエスキリストの福音を大胆に伝道しました。生粋のユダヤ人でありながらパウロが、民族主義的な狭い考えから解放され、福音はすべての人々にとって必要とされる救いの力、いのちの源であると理解し、確信に満ち、情熱を傾け全世界に福音を宣べ伝えたのでした。それゆえ、キリスト教会は世界宗教として今日に至っています。

「すべての人々が」と、あるように、だれもこの尊い救いから遠ざけられることがないように、締め出されることがないように、ブロックされることがないように、そして福音の扉はいつでもオープンであるように」と、父なる神様は願われていると私は受けとめています。

2. 標語の「あなたの大切な一人一人」という言葉には、3種類の方々が含まれます。

第一は、なによりあなたの大切な家族です。家族は一番の理解者ですが、一番の難敵でもあります。エリコの城のようになかなか城壁が堅固ですが、きっと城門を開いてくださると信じましょう。

第2は、諸事情で教会生活から離れているけれど、イエス様を信じ受け入れている兄弟姉妹たちです。開拓を始めたころ教会を支えてくださった老夫妻がおられました。戦争のため、通っていたナザレン教会の牧師も兵役にとられ、教会も閉鎖になってしまったため、教会生活が途切れてしまった。ところが晩年、京都市内から通院のために引っ越してきた小倉町に小さな一軒家の教会ができたので、礼拝に集うようになられた。お二人にとって40数年ぶりのカムバックです。信仰がリバイバルし、天に召されるまで、ご夫婦で良きご奉仕をイエス様と教会に捧げてくださいました。

たとえ、教会生活から遠のいていたとしても、一人一人は神様が愛されているかけがえのない神の子たちです。日本中に、どれほど多くこのようなクリスチャンがいらっしゃることでしょうか。 神の子たちを孤独の中に置いたままにしてはいけません。彼らの多くは、心の港をもたないまま、今インターネットで牧師たちのメッセージを聞いてこころの支えにしていますが、そこには交わりがありません。また、多くは何らかの傷つき体験を持っておられる可能性も高いと思われます。傷ついたこころを癒す真の交わりをきっと求めておられることでしょう。打たれたこころが癒され、再びイエス様と出会って、輝いて頂くことができる、救いの場でありたいと心から願っています。

第3は、身近な友人、知人たちです。あるいは自分から教会を訪ねて来られた新しい方々です。

新しい方々にとって、教会は未知の世界であり、クリスチャンってどんな人種?と思っていることでしょう。緊張と不安と戸惑いを抱えながら席に座っておられます。ですから特にあたたかくお迎えすることが大切です。初めて来られた方を、さみしい思いをいだいたまま帰らせてはなりません。「また来たいな、今度は家族を連れてきたいな」と思ってもらえるようにお迎えしましょう。そのような礼拝をささげる宇治バプテストキリスト教会でありたいと私は願っています。きっとみなさんも同じ思いだと信じています。

さあ、今年、あなたの大切な一人一人にイエス様を知っていただきましょう。主よ、私たちを用いてくださいと、ともにお祈りいたしましょう。

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