第27日  主の山に備えあり

「主の山に備えあり」(創世記22:14)



今日は、「主の山に備えあり」との有名な旧約聖書のことばをご紹介します。

イスラエル民族の父と仰がれるアブラハムには晩年になるまで子がありませんでした。若い日に「あなたの子孫は夜空の星の数のように、浜辺の砂の数のように地に増え広がり栄える」との祝福の約束を神様から頂いていたにもかかわらず、妻サラに妊娠する気配がまったくみられませんでした。族長の後継者問題が出たとき、アブラハム夫妻はこの世の一般的な方法で悩みを解決しようと考えました。妻の付き人をアブラハムのそばめとし、彼女が産んだ子供をアブラハム夫妻の子にするという方法でした。そして女奴隷ハガルは男子を産み、その男の子はイシマエルと命名されました。

しかし、このような方法は神様の御心にかなうことではありませんでした。神様はアブラハムとサラにもう一度、神の約束を信じて実の子を待ち望むことを教え、ついにアブラハムが100歳の時に、待望の男子を妻サラが出産したのでした。アブラハムの喜びはひとしおでした。

ところが、アブラハムが息子イサクを溺愛し、こころがとらわれてしまっている姿を見て、神様は、イサクは神様から与えられた贈り物であり、神様に聖別すべきものであることをアブラハムに再確認させるために、「モリヤの山に出かけ、山の頂上に犠牲の祭壇を築き、薪をならべ、イサクを自らの手で祭壇の備えものとしてささげよ」と、あえて非情な命令をくだしました。 ヒュ−マニズム的にはとても理解できない神様のご命令です。多くの読者がなんとひどいことを命じる神様だろうかと困惑します。この命令は神様にとっても特別な命令でした。一人息子を自ら手放すというこのような危機的な岐路でどのように最終的に選択するか、従うのか拒否するのかそれとも黙殺するのか、神様はアブラハムの応答と信仰をごらんになっていました。

 翌朝、アブラハムは何も妻にも告げず、イサクとともに旅たちました。3日間の旅をして、モリヤの山へたどり着きました。頂上に上り、祭壇を築き、薪も並べました。何も知らないイサクが「お父さん、犠牲の羊はどこにあるのでしょうか」と尋ねてきた時には胸が押しつぶれるような思いをしたことでしょう。アブラハムはついにことの詳細をイサクに伝えました。イサクはすべてを悟り黙ってしばられ、薪の上に身を横たえました。 このような態度に見られるようにイサクは非常に従順な性格の人物でした。すべて自分の身に起こることは神様の導き・摂理・ご計画のなせることと委ねきる静かな信仰の心を持っていました。

いよいよ準備が整い、アブラハムがイサクの心臓をめがけてナイフを振りかぶったまさにその瞬間、今まで沈黙されていた神様からの声が響きました。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」(創世記22:12)

アブラハムが神の声を聞いてナイフを下ろし、ふと見ると角を枝に絡めて動けなくなっている雄羊がそこにいました。まるで神様が最初からそこに羊を備えておられたかのようでした。アブラハムはその羊を捕らえ、ほふって祭壇の上で燔祭の供え物として神様におささげし、イサクとともに礼拝をささげたのでした。 こうしてアブラハムとイサクは山を降り喜びのうちに帰路につきました。

最愛の一人息子を聖別しようとしたアブラハムの信仰も、父に従順に従い自らのいのちさえもおしまなかったイサクの信仰も、それぞれが信仰の御手本として崇められています。後の人々はこの出来事を忘れないために「主の山に備えあり」と言い伝えるようになりました。

神に召され故郷を旅立って以来のアブラハムの信仰は、行き先を知らずに旅たったこと、100歳になるまで子を待ち望んだこと、モリヤの山で一人息子イサクをささげたことなどを通して、高く評価されました。このようなアブラハムの信仰こそが神が喜ばれる信仰の本質であると教えられています。

「彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」(ロマ4:20-22)

 
「主の山に備えあり」ということばを多くのクリスチャンが体験しています。私たちの教会の証しをひとつさせてください。この証しは、いのちのことば社内・福音点字情報センタ−発行季刊誌「ザ・てんじ」(2008年2月 第137号・巻頭言)に記載されています。

 昨年7月、私たちの教会の主日礼拝に、ガイドヘルパ-さんとともに視覚障害者のN青年が出席されました。狭い教会堂なので席に座っていただくにもたいへんご不便をかけてしまいました。にもかかわらず、Nさんは毎週礼拝に出席されるようになり、9月には信仰を告白し、バプテスマを受けられました。

ご本人はいつもおおらかでにこやかにしておられましたが、視覚障害者をこのようなかたちで教会に迎えるのははじめての経験でしたので、私は正直とまどいました。

しかし、なんと神様のなさることはすばらしいことでしょうか。教会員の中に、数年前から養成講座に通って点字を習っていた八十歳になられるS姉妹がおられたのです。いつか神様のお役に立てる日がくるとこつこつと点字を習っていた姉妹は、早速Nさんのために、主の祈りや使徒信条を点字で打ってくださいました。そして毎週、礼拝の聖書の箇所と讃美歌の歌詞を点字にしてくださいました。

後に点字版聖書や新聖歌がすでに出版されていることを知って、教会で取り揃えましたが、それまで姉妹はずっと奉仕をしてくださいました。その愛の奉仕が、Nさんの心に「神様の愛」をやさしく届けていたのです。

少し打ち間違いもありましたが、手打ちの点字(今はほとんどコンピュ−タ入力により、点字プリンタ−で印刷されます)はとてもぬくもりがあって、うれしかったです」とNさんは感謝しておられました。

一方、Nさんは高校卒業時後に中途失明となり、失意のあまり自殺を試みたこともあったそうです。働くこと、生きることの困難さに悩んでいた時、ラジオ放送を通して聖書のお話を聞き、心の慰めをえることができました。さらに関西盲人宣教会との出会いが与えられ、多くのクリスチャンの仲間に支えられ祈られる中で、近くの教会に通って信仰生活を送りたいと願うようになり、インタ−ネットで私たちの教会を探して礼拝に出席されたのでした。

このようにして備えられた二人が、主の御手の中で点字を通して出会ったのです。

私は教会の伝道とは「主がご自身の民を召し集められる御働き」だと思っています。主の招集のお働きに、時と場所と私たちの賜物が重ねあわされて、一人の救いの実が結ばれてゆくのではないでしょうか。

今、S姉とN兄弟は協力して、教会の中で「点字クラス」を始め、「ぬくもりのある」点字を楽しく教えてくださっています。

主の山に備えあり!ですね。あなたの必要を知り、あなたのためにすべてを備えてくださっている恵みに満ちた天の父なる神様を信じ、心と人生にお迎えしませんか。信仰をもって従うものを祝してくださる神様を知っていただきたいのです。


2008年2月25日 




  

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