ゆりのきキリスト教会>テキスト>礼拝説教2010年12月26日
2010年12月26日 主日礼拝説教
「主イエス様がしてくださったこと」(マタイの福音書8章28節〜34節)
8章から始まったマタイがつづる5つ目の奇蹟になります。今まで、ツァラアトに冒された人のいやし、百人隊長のしもべのいやし、ペテロのしゅうとめのいやし、風や湖を静める奇蹟を見てきました。
今日は「悪霊を追い出す」奇蹟です。イエス様が私たちの目に見えない霊の世界を支配しておられること、また私たちに悪霊や、サタンと呼ばれる悪魔や、神様に仕えている御使いが存在していることを教えてくれる個所でもあります。
イエス様と弟子の一行が、舟でガリラヤ湖を渡りました。途中、嵐に出会いましたが無事向こう岸にたどりつきました。
28それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。
「ガダラ人の地」は、異邦人が住んでいた地域でした。イエス様が初めて異邦人の地に足を伸ばされました。その地の人々は、ユダヤ人が食べない豚を飼っていました。そのガダラ人の地に「悪霊につかれた人」がいたのでした。
ガダラという地名は、マルコ、ルカの福音書では「ゲラサ」と出ています。「ゲラサ」はガダラの崩れた表現と考えられています。
悪霊につかれていた人は「ふたり」でした。これも、マルコ、ルカでは、ひとりであったように書かれています。本来ふたりの悪霊につかれた人がいやされたのですが、そのうちにひとりがイエス様のあとについて行きたいと願いました。マルコとルカの福音書は、そのひとりに焦点を当てて取り上げたと考えられます。
悪霊は人間に正気を失わせる力を持っています。
男たちは「墓から出て来」ました。この地方のお墓は、山の斜面に横穴を掘り、そこに体を葬り、石をころがし、ふたをしておきました。男たちはだれもが近づきたがらない墓場にもぐりこみ、人間社会に入ろうとしなかったのでした。
その上、彼らは暴力的でした。「彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほど」でした。マルコの福音書によれば、鎖で縛り付けておいてもひきちぎり、足かせを砕くほどのすさまじい力を持っており、石を自分の体に打ちつけ、傷だらけ、血だらけになり、昼も夜も叫び声を挙げていたとあります。
これでは、だれもその近くを通ることができません。その男たちのところにイエス様がやってきました。
29すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」
悪霊がこう言ったのは、イエス様が神の御子であられ、自分たちを支配する力と権威を持ったお方であることを知っていました。悪霊は、何にもまさって、そのさばきを恐れました。
悪霊は、「まだその時ではない」とわめき声をあげました。それは、最後のさばきの時はまだ来ていないので、今悪霊を追い出しさばきを下されるのは早すぎるとの抗議でした。確かに世の終わりのことだけを考えるならば、それも正しかったかもしれませんが、神の国は遠い将来のことではなく、イエス様が来られた時にすでに神の国は始まっていたのでした。悪霊は、自分たちが滅ぼされることになることを知りました。
30ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。31それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。「もし私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください。」
悪霊は、豚に入り、豚を滅ぼすことで、自分たちの働きを示そうとしたのでしょう。イエス様は、その願いを許しました。
32イエスは彼らに「行け」と言われた。すると、彼らは出て行って豚に入った。すると、見よ、その群れ全体がどっとがけから湖へ駆け降りて行って、水におぼれて死んだ。
悪霊たちが男たちから出て行き、豚の中に入ると、豚の群れが暴走を始め、がけを駆け下り、次々に湖になだれ落ちて、豚がおぼれて死んでしまいました。この騒ぎのあと男たちはいやされ、正気になりました。悪霊に縛られて、どうにもならなかった男たちがイエス様の力によって解放されたのです。
豚飼いたちは、ユダヤ人には食べることのできない豚を飼い、それをローマ人に売っていたと思われます。豚飼いたちにやましいこと、不正な行為があったのか、あるいはこの地に住んでいたユダヤ人たちもそれに加担していたかもしれません。だから彼らは、ただ立ち去ることだけを願ったのでした。
豚が死ぬことによって、確かに男たちが悪霊から解放されたことが明らかになりました。それに、これほどの出来事をもってしなければ、この異邦人の住むガダラの地では、イエス様が神の子であることがわからなかったでありましょう。
33飼っていた者たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを残らず知らせた。34すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。
豚飼いたちから聞いたガダラの民衆はすっかりおびえてしまい、イエス様を信じるどころか、「この地方を立ち去ってください」願ったのでした。豚飼いたちは、豚が失われ、経済的損失をこうむりました。これ以上何かが起こったら大変です。彼らはそれ以外のことは考えられなかったのでした。イエス様の神の子としての力を見ることも、いやされた自分たちの仲間を見て感謝することもできなかったのでした。
私たちは「悪霊につかれた人」と聞くと、自分とは関係のない人のように思ってしまいます。聖書では、この人間社会とは別に、霊の世界があり、神様はその霊的な被造物が造られ、存在していることを教えます。それが御使いです。
この御使いに、正しい御使い(天使と呼びます)と、悪い堕落した御使い(悪魔と悪霊たち)がいます。この悪霊が今も働き、人間を救いに入ることを妨げ、また神様を信じた者たちを誘惑し、罪に陥れようとしているのです。
私たちも自分の歩みを顧みた時に、悪霊がかかわっていることに気づくことがあります。本来は自由なものとして造られた私たち人間です。神様のかたちに造られた者として、自由に生きる者として喜ぶことができるはずなのに、そうできない自分を発見するのです。
人は神様を知ることができるのに、神様をあがめず、感謝もせず、罪の道を歩んでいってしまいます。それが悪霊の働きです。
エペソ人への手紙2:1−2「1あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、2そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。」
私たちはそのような者たちでした。まさに、ガダラの地の悪霊につかれた男たちにイエス様が近づいてくださったように、私たちの魂に近づき、十字架による身代わりのいのちをもって悪霊から解き放ってくださったのでした。罪によってがんじがらめになっていた私たちを真に自由に生きる者として、神様が創造された本来の生き方に生きるようにと解き放ってくださったのでした。
そして今、イエス様によって救われた者となった私たちに、聖書はこう教えています。
エペソへの手紙6:12−13「12私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」
イエス様を信じて歩み続ける。そのとき悪霊に対する武具を身につけることができるのです。きょうも、イエス様に救われたこと、悪霊の支配から自由にされたことを心から感謝いたします。
1年の歩みが神様によって守られたことを感謝し、また新しい2011年も祝福の1年でありますようにと願います。
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