ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年1月30日


2011年1月30日 主日礼拝説教
「あなたの信仰があなたを治した」(マタイの福音書9章20節〜22節)

■はじめに

 前回は、イエス様のところに会堂管理者のヤイロがやってきて、自分の娘が死にかけているので来て、手を置いて治してくださいと願いました。イエス様は、その願いを聞いてヤイロの家に向かい、死んでいた12歳の娘を起き上がらせてくださいました。
 イエス様は、ヤイロの家に行く途中でひとりの女の人に出会いました。今日は、その女の人がイエス様によって病をいやされた箇所を見ることにします。
 9章から始まった10の奇蹟のうち、時間的順序から言えば今日の箇所が7つ目の奇蹟、前回のヤイロの娘が8つ目の奇蹟になります。

■長血の女

20すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。

 長血の病気に12年間苦しんでいた女の人がいました。血が流れて止まらない病気です。多くの医者からひどい目にあわされ、治療に全財産を使い果たしてしまい、治るどころか、その病状は悪化するばかりだったとマルコの福音書にはあります。
 さらにこの病は、律法によれば(レビ記15章)汚れた病と言われていました。この女だけでなく女が触れたもの、たとえば寝床も椅子も汚れたものとなり、その椅子に座った者も汚れてしまうと言われていました。そのため、彼女は社会の中に入れてもらえず、会堂に行って礼拝することもかなわなかったのです。それが12年間も続いたのでした。
 そのような絶望の中で、この女の人はイエス様のことを聞くのです。それで女の人は、だれにも気づかれないように、歩いているイエス様の後ろにまわり、そっとイエス様の「着物のふさ」にさわりました。

21「お着物にさわることでもできれば、きっと直る」と心のうちで考えていたからである。

 ほかの病気であったならば、イエス様の前に出て「手を置いてください」と願ったでしょう。しかし、この女の人は堂々と人前に出て行くことができなかったのです。だれにもわからないように、せめてその着物にさわることができれば、イエス様なら治してくださる。今のこの状態から救い出してくださるという信仰を持ってさわりました。これがこの女の人の精いっぱいの信仰の表し方でした。
 イエス様たちは急いでおられる様子だ。このままじっとしていれば、すぐに行ってしまうに違いない。今まで汚れた者と言われてきたことに対して、それは当然の考えであり行動であったでしょう。

■あなたの信仰

22イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。

 イエス様が振り向いた時、女の人は驚いて、その場でたたずんでしまったでしょう。イエス様はなぜ気づいてしまったのだろう。マルコの福音書では、こうあります。

マルコの福音書5:30「イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。」

 イエス様には、信仰を持ってさわった人がわかったのでした。振り向いて群衆に問いかけます。「だれがわたしの着物にさわったのですか」と。この一言で女の人は、こっそり立ち去ることができなくなりました。イエス様の前に出て自分のこと、自分に起こったことを人々の前でも言わなければならなくなったのでした。
 女の人は隠しておきたかったでしょう。しかし、それは「長血の女、汚れている女」として言われていた女の人が、確かに長血が治ったことを人々に知らせるためでもありました。それは、女の人が社会に受け入れられるためにも必要でした。
 さらにイエス様は、その病が信仰によっていやされたこと、そして、その女の人がこれから信仰によって生きていくことができることを教えたかったのでした。
 イエス様は、その女の人のことをすでにご存じであられたのです。女の人は、自分のような者にこんな恵みを下さり、黙っていてもすべてを見つけ出してしまうお方の前に、恐れて、ひれ伏すしかありませんでした。
 イエス様はおっしゃいました。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」
 自分の体を縮めて、そっとイエス様の着物にさわった女の人の思いを、イエス様のほうで、これはあなたの信仰、「あなたの信仰があなたを直した」と言ってくださいました。ただひたすらイエス様に期待して、「イエス様なら治してくださる」、その思いだけで着物にさわった信仰を見てくださったのです。
 女はその時から全く治ったのでした。今までどうやっても止めることのできなかった血が止まり、絶えず悩ませていた痛みもうそのように体から消えさりました。
 女の人がしたことは正しい求め方、やり方でなかったかもしれません。しかし、ただひたすらイエス様に期待し、イエス様に近寄りすがっていく。イエス様にさわっていく。そんな気持ちを、そんな思いをイエス様は見てくださり、「あなたの信仰」と認めてくださったのです。

■信仰に生きる

 マタイの福音書は、女はイエス様のおことばが語られたその時に、そのおことばどおりにいやされたことを伝えています。マルコの福音書では、イエス様にさわった瞬間に痛みが消えたことを伝えています。
 マタイは今までも、伝えたいことだけを取り出して、そこに至る詳しい状況を省略することがありました。ここでも読者に、この女がいやされたのはイエス様に治していただこうと求める信仰のゆえではなく、イエス様のみこころによって、またイエス様ご自身がいやし主であることを伝えたかったのでした。
 この女の人の12年間は長い苦しみの12年間でしたが、病がいやされるという恵みと、信仰によって生きるという2つの恵みが与えられました。女の人にとっては、12年間は無駄ではありませんでした。イエス様によって恵みを与えられるための12年間であったのでした。

■十字架の救い

 このことがあってから2年もたたないうちにイエス様は捕まり、十字架の刑に処せられることになります。多くの人がイエス様につき従い、またヤイロの娘死から起き上がったうわさは地方全体に広まっていきました。この時は、だれもがイエス様に好意をもって接していたのでした。
 しかし十字架を背負い、悲しみの道を倒れそうになって歩んでいった時には、だれもそばに寄ろうとしませんでした。十字架にかけられ、「他人は救ったが、自分は救えない。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから」と言われても、黙っておられたイエス様でした。それは、イエス様は十字架からおりて自分を救うためではなく、私たちの罪のために、代わりに十字架にかかって死ぬためであったからでした。
 この長血の女の人は病のいやしだけでなく、「あなたの信仰が」と言われた時に、十字架によって受けられる罪の赦しをもいただいたのでした。

ヤコブ5:15「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。」

 イエス様は私たちの信仰を見ていてくださいます。その信仰によって、私たちも長血の女と同じように、病がいやされ、また罪が赦される恵みをいただくことができるのです。
 イエス様は、今日も「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです」と言ってくださっています。イエス様は、どんな小さな信仰でも主イエス様にゆだねる時、イエス様は私たちの心の思いを聞いてくださり、その信仰を見てくださいます。この週も、イエス様のこのおことばを聞きながら歩みたいと思います。


ゆりのきキリスト教会テキスト礼拝説教2011年1月30日