教会の歩み

 岡山教会は、解放後、3年になった時、大阪西成教会の金元治牧師(現 大阪西成教会元老牧師)が武庫川教会の金安年執事より岡山西大寺駅の附近にイエス・キリ ストを信じる信仰を持っている李在好氏が住んでいる情報を手に入れ、京都教会の 田永福牧師と兪餳濬長老と共に岡山を訪問しました。そして、岡山の西大寺駅に降り て、方向も知らず、歩いた時、韓国人の婦人のように見える人が通る時に、話かけた。その人が李在好氏の母親であったのです。

  この事が岡山教会の胎動であると言われます。

  1957年、岡山居留民団の事務所長であった金차업氏は李在好氏が基督教人であること知り、自分の娘が日本の教会に通ってることを教え、その人の母親である具 점득氏と金차업氏宅で礼拝を始めたことが始作であった。

  1958年には林春発氏が兵庫県から引越しされ、奉還町で食堂を経営、翌年、林春 発氏が姜성초氏に出会い、水島に教会があることを知り、共に数年間に至って、水島教会に通ったのです。その時、韓玉鉉執事は信徒の送迎の奉仕をされました。

  1961年、林春発氏宅で礼拝が始まり、水島教会の金栄植牧師が礼拝を導きました。

  1969年2月2日、韓国富川第一監理教会の崔基奭牧師が短期宣教師として来られてから、岡山教会は活気が戻り、李萬雨執事宅で8名が礼拝を始めた。

  そして、3月9日からさっそく岡山市内の禁酒会館の2階を借りて、礼拝を続けれらた。4月6日復活節礼拝を最後に崔基奭牧師は帰国された。

  それから金演晧牧師来日、20日に岡山に着任。岡山教会の短期宣教の期間が終わり、名古屋と東京を巡訪、6月13日に本国に帰国した。

  この時から長期的に牧会が出来る宣教師を要請し、韓国ソウル宗教監理教会の朴龍益牧師が派遣する金徳化牧師(ソウル月谷教会)を招聘し、日本に派遣することが決定された。

  1972年2月に金徳化牧師が岡山教会に赴任し、民団の協力を得て、民団の三階を借りて、礼拝を続けた。その時から礼拝堂のために建築献金を積立し、当時60万円で献金が10月1日に1次建築献金をした結果165万円でした。

  さて、金徳化牧師は教会での建築献金、日本の教会の募金、信者ではない同胞の協助、総会の補助金、そして本国の派遣教会から支援を受けて、建築献金を積立した。

  また、長嶋にあるハンセン病の患者村を訪問した。毎週、金曜日の伝道訪問、母の学校、ハングル教育を実施、1974年5月28日、岡山市奉還町2-66-6の40坪の2階建物を2千万円で購入した。

  その時の教勢は在籍21名、主日礼拝出席は17名、水曜祈祷会8名、早天祈祷会4名が出席したのです。そして、教会を3階に増築するために設計に入り、1975年4月11日から教会を3階に増築の工事が始まった。その間には民団の講堂を借りて、礼拝が続けられた。

  1996年河樑守・李華順執事が広島教会から転入したが、残念ながら金徳化牧師は京都南部教会に赴任された。

  1978年1月28日に後任として朴憲郁牧師が赴任し、委任式を行った。市内市民クリスマス会や市内朝祷会に積極的に参加して、日本の教会との関係に力を尽くしたのです。しかし、朴憲郁牧師はドイツに留学に行くことにより1983年6月19日辞任し、後任として金性済講道師が赴任し、1985年6月18日、関西地方会で牧師按手を受け、同年10月20日に委任式を行った。

  そして、同年11月15日に「在日大韓基督教 岡山教会」という名称で宗教法人に登録した。金性済牧師は青年の働きに重点を置き、また日本人に対する熱意をもって牧会を進めたのです。特に民族意識と指紋捺印の拒否運動など人権運動に熱心であった。

 障害者に対する献身的な配慮は教会伝道に役に立ちました。1988年教会を万成里に移転する意見と現在の場所で礼拝を守ることの意見が対立する難しいこともありました。そして1989年金性済牧師は米国に留学するために本教会を辞任した後、しばらく無牧状態で礼拝が続けられた。そのような状況に置かれても信者は熱心に祈り、障害者のために昇降機を設置したのです。 またグランドピアノを購入したのです。

その当時、教勢は主日礼拝が29名、水曜祈祷会には13名が出席したのです。

  1990年3月1日、後任として趙尚浩講道師が赴任し、牧師按手を受け、同年6月24日に委任式と韓玉鉉執事の勧士就任式を行った。同年7月19日、約5千5百万円の予算で新教会堂の建築工事をすることを決定し、同年8月6日に起工式を行った。工事中には民団会議室を借りて、礼拝を続けた。

 本国の富川第一監理教会から講壇、椅子、聖餐器の寄贈、そして本国の賛美伝道団の支援により教会の自動車を購入した。

  1992年1月に本国の天使合唱団と晋州から賛美と敬拝という合唱団の訪問、3月には韓国の女伝道会の来訪、4月26-27日に新教会堂の献堂式と特別伝道集会で富川第一監理教会の崔基奭牧師とソウル宗橋教会の羅元容牧師が講師として、奉仕をされた。同年5月13日に岡山教会の初創期から献身的に教会に仕えて来た、林春発執事が召天された。

  この時から韓国から留学生らが増えて来て、彼らの活発的な活動によって活気を帯びた。1994年から趙尚浩牧師は岡山刑務所の矯導牧師となり、毎年、刑務所の聖誕節礼拝での聖歌隊が奉仕した。そして、7月13日には本教会の創立者であった李在好名誉執事が召天された。

  1997年3月30日、趙尚浩牧師は本教会を辞任し、名古屋教会の副牧師として赴任された。

そして、同年6月10日張春根牧師が西部地方会で牧師按手を受け、本教会に赴任して、同年9月15日牧師委任式と河樑守執事の按手執事就任式を行った。

 水曜祈祷会、金曜祈祷会、早天祈祷会を行い、教会学校も二部に分かれて礼拝をした。

 女性会はクリスチャン新聞を購読して、求道者に発送し、伝道活動を行い、教会の活動にも積極的に参加しました。

 

  2000年7月2日に、日本基督教団十文字平和教会の敷地の中で納骨堂を建てることを会議し、その土地が提供され、完成しました。韓国語の教室も一番盛んな時でもあった。

  その当時の教勢は平均53名が主日礼拝に出席しましたが、残念ながら韓国のダラックバン(異端)に張春根牧師と信徒の一部が巻き込まれて、2005年2月28日に本教会を辞任し、信徒の半数も教会を脱退する事件があった。その結果、張春根牧師は西部地方会から免職処分が下されるようになった。西部地方会と教会は一日も早く牧師招聘のために力を合わせて、求めた結果として、関西地方会の大阪南教会の梁栄友牧師を招聘することを臨時公同議会で決定して、同年7月10日、第6代の担任牧師として委任式を行いました。

  さっそく,梁栄友牧師は早天祈祷会、水曜祈祷会、金曜祈祷会を復活し、春と秋にはゲッセマネ40日祈祷会を行い、夏と冬には韓国から短期宣教団体を受け入れ、毎年、市内でトラクトを配布し、伝道活動に励んでいたのです。民団の行事にも積極的に参加して、交わりを続けています。市内キリスト教教職者会にも参加して、市内の教会との交わりを続けています。

 

  2005年に赴任と同時に梁栄友牧師は福山伝道所の臨時堂会長になった。

そして、韓玉鉉名誉勧士・李萬雨名誉執事は定年になっているにも関わらず、推戴式がされていなかったをしなかった。さっそく役員会を開き、教会の歴史を正しく立たせるために、推戴式を行うことを決定し、2006年2月5日、韓国の和平長老教会(大韓イエス教長老教(合同)車弼淳牧師を講師として迎え、創立37周年記念礼拝を行い、同時に韓玉鉉名誉勧士・李萬雨名誉執事の推戴式を行った。

  2007年からクロスウェイ聖書勉強会を午後の礼拝で導入した。そして各区域を組織して、各区域を巡回しながら聖書勉強会が始まりました。

  2008年2月1日には、張要世宣教師を福山伝道所の担任牧師として迎え、委任式を行った。

そして、同年から梁栄友牧師は水島教会の臨時堂会長になった。

  2008年11月は岡山聖書大学というプログラムを設けて、クロスウェイ聖書勉強を2年続けて来た、12名が卒業式を行った。