2005/1/31

『ベエルシバの井戸を掘れ!』
創世記26:23〜25



創世記に記されている「ベエルシバ」とは、七つの井戸、契約の井戸、という意味があります。現在のベエルシバから東側約6.4キロ地点にあります。べエルシバは、アブラハムがしばらく滞在した場所であり(創21:31)、ハガルを追い出し、アビメレクと契約を結んだ場所です(創21:14)。 さらにイサクが暮らした場所もべエルシバでした(創26:23)。やがてユダ部族に与え、後にシメオンに渡された土地の中にこのべエルシバが含まれています(ヨシュア15:28、19:2)。これらの重要な出来事が、このべエルシバにおいて展開されています。ハガルをはじめ、イサク、ヤコブ、エリヤに神様が現れた聖なる場所です(創21:17,46:2、列王上19:5)。

創世記12章から35章にかけて、アブラハム、イサク、ヤコブの生涯に関する記述がなされています。これはアブラハム、イサク、ヤコブと言う人物が贖罪史において大変重要な人物であることを意味します。しかしイサクに関する記述は他の2人に比べ非常に少なく記録されています。今日わたしたちは、このイサクに焦点をあて、短い記述の中にも明らかに示されている神様の深い御旨に耳を傾けたいと思います。

今日の本文26章には、平凡に見えるイサクの生涯の中でも特異な出来事、すなわち井戸を掘る出来事について記録されています。
26:18節「父アブラハムが掘った井戸を再び掘った」と記されています。19節には、「エセク」と言う井戸を掘り、21節「シテナ」という井戸を、22節には、「主がわれわれの場所を広げられた。」と言う意味の「レホボテ」と言う井戸を掘ったと記録されています。その後、今日の御言葉の中に出てくる「ベエルシバ」と言う井戸を掘りました。ではイサクが井戸を掘った出来事が、私たちにどのような霊的な教訓を与えているのでしょうか?またベエルシバの井戸とは何を意味しているのでしょうか?

1.井戸はイエス・キリストの御言葉の象徴
パレスチナにおいて井戸は非常に貴重なものです。その地方では水が何よりも貴重であり、井戸を所有しているということは非常に幸いなことでした。井戸を掘り当てた時、皆が喜ぶ様子がこのように記されています「彼らはそこからベエルへ進んで行った。これは主がモ―セにむかって、民を集めよ。わたしはかれらに水を与えるであろうと言われた井戸である。その時イスラエルはこの歌をうたった。井戸の水よ、わきあがれ、人々よ、この井戸のために歌え、」(民数記21:16〜18)。

聖書に於いて「水」の存在は命を守るための必要な命の源であると同時に、清めの儀式のためにも用いられ、私たちの罪を洗い、悔改による新しくする力ある神様の御言葉を象徴します(エペソ5:26、ヨハネ3:5)。
「キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、」(エペソ5:26)。
「イエスは答えられた、よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない」(ヨハネ3:5)。

このようなことから、「水」が御言葉を象徴するなら、水が沸き出る源としての井戸は神様の御言葉の源泉、すなわちイエス・キリストを象徴すると言えます。
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」(ヨハネ4:14)。

 「イサクが井戸を掘った」という出来事の中には、すべての人々が、イエス・キリストの永遠の命の水を飲むために、日々、霊の御言葉の井戸を掘る生活をすべきであることを教えているのです。イサクが掘った井戸はイサク自身と家族の命を守る井戸であっただけではなく、隣人にも幸いを与え、家畜にとってもなくてはならないものでした。そして、延いては子孫たちにも命の恵みを及ぼす事となりました。ヨハネ4章の御言葉を見ると、イエス様もサマリヤにあるヤコブの井戸から飲まれたと記されています。

井戸を掘るために努力したイサクの行いは、今の時代を生きる私たちも、命の水であるイエス・キリストの霊の井戸を掘るべきであることを示唆しています。そして、イエス・キリストの井戸を掘る者は、自分だけではなく、周りにいる多くの人々、更に子々孫々までも益をもたらせることができるのだということ。辛いことも甘んじて受け入れる品性と、真の姿を見せてくれます。
私たちもイサクのように永遠の命の水を飲む為には、如何なる努力をも怠る事なく、常に勝利する信仰生活を送るべきでしょう。

2.ベエルシバの井戸を掘るべきです。
本文に示されたもう一つの重要なポイントは、イサクが沢山の井戸を掘ったにも関わらず、ここベエルシバでのみ祝福を受け、神に会う事が出来たということです。(創世記26:23)。

聖書には、イサクがベエルシバの井戸を「再び掘った」ことが記録しています。
はたしてベエルシバは、どのような場所なのでしょう。また、ベエルシバの井戸とは何を意味するのでしょうか?創世記21:30〜34節を見ると、ベエルシバはアブラハムが始めて井戸を掘ったところであり、神様に祭壇を築いた場所でした。そして、エセルの木を植えて永遠の神様の聖なる御名を呼んだところです。すなわちアブラハムの信仰の思い出が詰まっている所であり、神様との約束が生きている所でありました。ベエルシバの井戸は多くの井戸の中でも「神様から認められた井戸」でした。
アブラハムの掘ったこの井戸は、やがてペリシテ人がアブラハムを妬み、井戸の水を飲めないように汚してしまいましたが、その井戸を再びイサクが掘ったのです。汚された井戸であったために、新しい井戸より綺麗ではなかったはずです。しかし、重要なことは、神様から認めた井戸がベエルシバの井戸だ、ということです。
ベエルシバとは「井戸」を意味する「ベエル」と「七つ」と言う「セバ」を合わせてできた言葉で「井戸七つ」または「七つの井戸」と言う言葉であり、さらに「誓いの井戸」と言う意味を持っています。ベエルシバから湧き出る井戸の水は、永遠にかわくことのない命にいたる水の中でも、最も完全な神様の御言葉を象徴するものです。新しいもの、時代の変化に合わせた御言葉ではなく、ただ神様の約束の御言葉に基づいたアブラハム、イサク、ヤコブの正統的信仰を繋ぐ真の神様の御言葉を意味するものです。
 
結論:ベエルシバの井戸の水は、選ばれた人々、イエス・キリストの血潮によって贖われた人、世の終わりに最後まで生き残った人たちが飲める霊の水です。
信仰生活を行っているといいながら、御言葉と祈りの井戸を掘ることができないクリスチャンになってはいけません。そのような人は放蕩息子や異邦人と同様です。私たちは、日々霊のベエルシバの井戸を掘るべきです。この霊のベエルシバの井戸の水を飲む者となり、永遠の神様の御言葉だけを聞き、悟り、最後の時に約束された祝福を受ける聖徒の皆さんになりますように祝福いたします。



日本ナザレン教団 赤坂教会



NEXT BACKHOME