教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
「エペソ人への手紙1章23節」
「私の子どもだったら」~David Roper)
デイリーブレッドより
主は、あわれみ深く、情け深い。怒るのにおそく、恵み豊かである。
-詩篇103篇8節
口唇裂で生まれてきたある少女について、読んだことがあります。 小学校に上がると、変形した鼻や割れた唇、歪んだ歯や不明瞭な発音をからかわれ、 ひどくいじめられました。やがて彼女は、自分は誰にも好かれていないと思うようになりました。
二年生になると、子どもたちに大変人気のあるレナード先生が担任になりました。 彼女は、ユーモアと愛情に溢れた明るい女性でした。この先生は、ある簡単なテストをして、 子どもたちの聴力検査をしていました。生徒を教室の端に立たせると、反対側から小声で質問します。 「あなたの靴は何色ですか。」または「ワンピースを持っていますか。」すると子どもが答えます。 メアリーの番が来ました。彼女は、先生の声に聞き耳を立てます。すると、こう聞こえました。
若い頃、私は、自分の外見がイヤでした。鼻が大きすぎて、やせっぽちで醜いと思っていたので、 劣等感のかたまりで、それを克服するのにかなりの年月を要しました。プライドが高かったし、 人と自分を比べていたからです。しかし、大人になるにつれ、外見などそれほど大切でないことを悟りました。 自分は神の望まれる通りに創られたのだとわかったのです。神は自分を愛しているから、このように創ってくださったのだと。
「メアリーが私の子どもだったらうれしいのに。」
この一言が、メアリーの人生を決定的に変えました。 自分の外見に関係なく、大好きな先生が自分を愛してくれている、と気づいたからです。
もし、あなたが「自分は価値のない人間だ」とか
「自分などいてもいなくても同じだ」などと感じていたとしても、
神は憐れみ深くあなたを受け入れ、心から愛しておられます(詩篇103:1-8)。
そのような神の愛を知っていますか。