20190203付の吉岡利夫さんからの手紙

恐れ尊んで主の御名を賛美致します。

 1月21日に千田先生からの書簡を拝受し拝読致しました。千田先生は離婚家庭で育ち、学校でも悩み多き青少年時代を体験してこられたそうですが、昔も今も身勝手な大人の都合に翻弄されて涙を流すのは子供たちですよねェ。そしてその涙は親(家庭)の温もりを得られない裏返しであると同時に、心歪ませ社会に対する不信や否定の気持ちを抱かせるのです。

 千田先生にはご理解いただけるのではと思うのですが、劣悪な環境に生まれ育ってきた子供の大半は、必然的に希望もなく絶望的辛苦を体験しています。大人社会の矛盾や不条理によって小さな胸の内は深く傷つけられ、幾度も悲しみと寂しさの涙を流して生きて来たのです。不適応や神経症に陥って引きこもりや不登校になる子供が多いのは、現代社会の実相のようですが、私的に思う深刻な問題は親の愛に飢え渇いた哀しみと、その惨めな苦悩と寂しさの帰結として、激しく烈火な暴力をもって社会に居直り凶悪な犯罪に走ることです。

 また実の親や義父などによるしつけの名目の暴力は論外で言語道断です。虐待死の事件が起きる度に世論は非道な親の暴力を非難糾弾しますが、虐待や暴力から子供を守り保護するには、その法を作る政治家はもとより、児童相談所の職員が杓子定規に固執せず、身体を張って行動しない限りこの問題は後を絶たないと思います。とは言っても、政治家にとって児童問題やこの塀の中の暗部に光を当てても、票田にはなりません。囚人の矯正は虐め苦しめることを本分とする、というような明治の監獄法が百年も続いたのですから、尋常ではありません。話が少し横にそれましたが、子供は親の私物ではないのです...。旭ヶ丘キリストの教会の周りには倖せな子供たちよりも不倖せな子供の方が多いようですが、そういった環境にある子供の救い手として、主は聖霊によって千田先生という福音の木を其処に植えられたのです。

 幼い頃から児童施設と他人の家を渡り歩いて、養父からの暴力と虐待の日々は、私の魂を真っ暗な深い闇の底に突き落としました。そして私に対する養父(大人)たちからの代名詞は「この馬鹿が」でした。「馬鹿」の定義はいったい何だったのか、今でもよく分かりませんが、とにかく私のする事なす事すべてが、たとえそれが良いことであったとしても「この馬鹿が」で片付けられてきました。
 無論、悪ガキであったことは否めませんが、馬鹿な私を庇い、私の罪を弁護してくれる人の存在は皆無でした。施設ッ子、親無しッ子、貰われッ子などと渾名され野良犬のように追い立てられて石を投げられ生きて来ました...。
 不幸な生い立ちと施設育ちという劣等感の塊と化して生きて来た昭和の時代、類は友を呼び、同じ辛酸をなめてきた者がヤクザという群れに身を投じて反社会的集団(暴力団)を形成させていったのは必然的でした。そして私は己の激しい暴力の性に拍車をかけて、極悪非道なあの事件(昭和44年2月23日)に向かって闇雲に突っ走ったのです。この獄舎に流れて来た日々は無情で、あれから実に半世紀の歳月が過ぎ、17歳であった私も今では老いた少年無期囚となりました...。

 付け人に暴行した責任を取って引退した大相撲の幕内力士であった貴ノ岩が「もう一度戻るとしたら、どの時代に戻りたいか?」という内容の質問に、「新弟子時代に戻りたい」と記者に答えたそうですが、私はふと、自分なら戻るとしたら、どの時代かと考えました。が、私の人生は社会での生活よりも獄中生活の方があまりにも長すぎて、いくら考えても私には、自分が戻りたい時代は何一つとして脳裏に思い浮かびませんでした。
 というか、今の私にとって、イエスに出会わない時代の意味はなく、そうしてみますと、この獄中生活を通って行かないことには、イエスとのあの衝撃的な出会い(聖書)は実現しません。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」私の時は、この獄中です。

 人それぞれの人生には、その人の価値観というか生き方がありますが、元横綱の貴乃花の相撲人生は組織の中で堅物というより、公私ともに余りにも原理主義的で排他的思想の典型のようで、私には可哀想です...。

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨てて、
  自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マタイ16:24)。

 私が負う自分の十字架は、過去の不幸な生い立ちや、己が育った劣悪な時代や環境ではありません。また今のこの苦境や境遇でもありません。そして何の罪も落ち度もなく17歳の少年ヤクザの凶行によって理不尽に命を奪われた被害者(ご遺族)の方の無念な慟哭の涙と、無期囚という痛恨の傷跡は、生涯消し去ることの出来ない厳然たる事実です。が、イエスは、イエス・キリストはその愚かな私の罪の身代わりとなって自ら十字架の上に命を投げて死んでくださったのです。

 キリストの十字架の福音は暗い闇に彷徨い生きる私の魂を打ち砕いて、新しい光の中に生きるいのちの大義と希望を与えてくださったのです。ですから私は日々そのキリストの流してくださった十字架の血潮を仰ぎ、その死と葬りと甦りを通らなければ命はありません。「プリズン通信」によって出会いが生まれ、冊子の創刊と窓に赤いひもの結ばれた「ラブハウス」の創設の賛同者(協力者)の出現の祈りは今も続いていますが、千田先生のご協力と苦心と労力に只々感謝です。

 昨年の十月下旬に先生のご内儀祥子様宛の手紙の中に、「太白ありのまま舎」の中澤利江さんと私との出会いを記しましたが、その出会い文をプリズン通信に発信することは、彼女の事情もあって難しいでしょうか?
 中澤さんには、冊子の件や「ラブハウス」(ヨシュア2:13)等で賛同をいただきまして、共にその実現の祈りの中に加わっていただいています。勿論、HP掲載の判断は千田先生に全て一任です!!中澤さんには、服部先生の方から「塀の中のキリスト」を進呈させていただいたのですが、今は指先に少しの力しか残っておらず、図書等のページをめくることはできないそうです。
 パソコンの事は私にはまったく解りませんが、中澤さんの図書(本)を読む方法は、本をカッターでバラバラにし、一枚一枚スキャナーで画像として取り込み、パソコンに保存してそのパソコンの画面で読むそうです。マウスでクリックするのはなんとか可能なようですが、カッターで切ったり、スキャンする作業はお父さんにやってもらっているようです...。

 凍寒な日々が続いています。この中にも風とインフルエンザが猛威をふるい、私も少し体調不良ですが、どうか千田先生にはご多忙な日々の中でお体大切にご自愛ください。そしてその千田先生の深くて生きた信仰と広い愛の手によって、可憐で小さな勇者たちの存在を守り、希望に満ち溢れた未来に導いてあげてください。
 親(大人)たちも同様です。自分の罪を悔い改め、神の許に立ち返ってほしいです。これは愚かな人生を歩んできた無期囚の祈りであると同時に、愚かな人間の罪に対する警告、心の叫びです。
 
 主に在りて 吉岡拝

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返信:2019年2月12日

 お手紙ありがとうございました。

 始めに、中澤利江さんとの出会いを記したお手紙についてですが、2018年10月21日付の来信は、既に教会のホーム・ページに掲載済みですのでどうぞ御安心ください。それから、お送り下さった中澤さんの本『いのちの花が咲いてから』を読みました。想像を超える苦難を通してイエス様と出会い、救われ、幾重にも不自由な状況の中で、なお受刑者伝道をも担っておられることは、本当に尊い働きです。私にも何かお力添えできることがないだろうかと祈りつつ、手始めとして掲載した次第です。

 子供たちの状況は、私達が旭ヶ丘に教会を与えられてから集まってきた近隣の子供たちを通して知ったことです。教会に来るのが問題家庭の子供たちというのではなく、「円満な家庭」というのは本当に稀です。一見すると問題がなさそうに見える子供でも、暫くすると様々な事情を背負っていることが分かってきて「あなたもなのかぁ」という場合が多いのです。大人も子供も悩み苦しんでいて、私自身の生い立ちからも他人事には思えません。

 かつて、私は自分の過去をじっくりと顧みて、その中に因果関係を見つけようとしたことがあります。どうして自分の青少年時代はあんなに暗闇だったのか?生い立ち、家庭環境、ものの考え方、性格、人間関係の問題などがどう絡み合っているのか?ところが繋げてみたその因果関係は悪循環するばかりで、解決の道が見つからない絶望的堂々巡りでした。唯一の解決はその悪循環の内部からではなく外部から、十字架の主イエス・キリストの御業と御言の介入によってもたらされました。すこし説明が抽象的になってしまいましたが、因果関係を考察して分かったことは、不幸の原因をいくら取り除いても幸福になるのではなく、祝福に満ちた幸いは神様からイエス様を通して来るということでした。

 ですから、私達に出来ることはそういう個々の家庭問題の解決ではなく、私たち自身が救いと魂の平安を与えられた救い主キリストを伝えることだと思うのです。神と人とのこの世の居場所としてキリストの教会はあるのだと思います。イエス様はおっしゃいました:

  「すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとにきなさい。
  あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者
  であるから、私のくびきを負うて、私に学びなさい。
  そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
  私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである」。

                      (マタイ11:28-30)

 マタイ11:28は旭ヶ丘キリストの教会の看板にも書いてある聖句ですが、この御言を、ある小学5年生が彼なりに描いたのが同封した写真です。この子は3年前に他の町に引っ越して行きましたが、先週ひょっこり「家出してきた」と言って訪ねてきました。もう中学生になっていました。彼も問題家庭の子で、家出の事情を話してくれました。やがて、この看板写真を見せると、自分がホワイト・ボードに描いたことを覚えていました。温かい鍋料理のお昼ご飯を食べたあと、写真の裏に印刷しておいた聖句(イザヤ46:3,4とヨシュア1:9)を読み聞かせ、ひとしきり一緒に卓球をして遊ぶと、「ありがとう」と言って元気に家に帰って行きました。

  「生れ出た時から、わたしに負われ、胎を出た時から、
  わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしは
  あなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、
  あなたがたを持ち運ぶ。 わたしは造ったゆえ、必ず負い、
  持ち運び、かつ救う。」(イザヤ46:3,4)

  「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。
  あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、
  恐れてはならない、おののいてはならない」。
(ヨシュア1:9)

 開拓で始まった仙台での伝道が30年経ち、この間、多くの人々や子供たちがこの教会を通っていきました。祈り続けていると、いつか戻って来ることがあるんですね。また思いがけず、吉岡さんとの出会いも与えられたりと、これからも楽しみな主の導きです。遠く離れてはいますが、共に主にあって歩みましょう。どうぞお元気で!

 主にありて  千田俊昭