2023年5月28日〜7月30日付吉岡さんからの手紙を一本に纏めました。

旭ヶ丘キリストの教会
千田俊昭様

主の御名を賛美致します。

千田さんからの書簡を拝受し拝読いたしました。また、私がお願いをしました中島みゆきのタイトル「Nobody is Right」の歌詞のプリントを同封していただきましたこと、心より感謝です。そしてこのタイトルの直訳は「誰も正しくない」だそうですが、確かに「正しい人こそ いないんじゃないか」となると、誰が正しく、何が正しいのかと、中島みゆきに聞いてみたく思いますが、私の胸にグサッと深く突き刺さった歌詞(言葉)は「すべてのものは あなた以外は 間違いばかり 辛いだろうね その一日は 嫌いな人しか出会えない 寒いだろうね その一生は」です。

 千田さんもご存じのように、私の人生は物心の付いた頃から児童養護施設で育ち、その不幸な生い立ちという社会の不条理に烈火の如く抗い、暴力を以て居直り生きて来ました。養父からの激しく理不尽な暴力と虐待の日々は幼い私の魂を深い奈落の底に投げ落としました。それと共に、人としての喜怒哀楽な感情をも私の内から消失させたのです。そしてその消失の空洞に憎しみと怨みの炎を燃え上がらせたのです。
 だから私には必然的に実父や養父はもとより、すべてのものが激しい憎悪の的となったのです。自分に関わる誰をも信じられず、人の愛や情け、また友情などというものは私には胡散臭く、そんなものは糞食らえと撥ね付けて来ました。
 でも、正直に申しまして、人を憎み怨んで妬む人生ほど苦しく辛いものはありません。人が信じられないということは、いつも寂しく孤独で独りぼっちでした。「嫌いな人としか 出会えない 寒いだろうね その一生は」という歌詞が私には情け無くも哀しい心境でした。
 がしかし、暴力と人を怨み続ける人生を歩みつつも、独りぼっちだった私の堪え難い孤独な寂しさを、イエス・キリストの愛は癒やしなぐさめて下さいました。そして私の罪のためにキリストは十字架にいのちを投げて死んで下さったのです。なのに私は今度はキリスト者という名のもとに、自分の正しさばかりを主張して相手を批判し、憎み裁いているのですからシャレになりません。「争う人は 正しさを説く 正しさ故の争いを説く」これは今の私の姿そのものです。キリスト者であるか・ないかではなく、己の愚かな自我(自己中心)に問題があるのです.....
 私はこれからも己の気性の激しさと自己中心的な自我に悩み苦しめられてゆくと思います。何故なら、私はいつも自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪に走っているからです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10-18)

 長い獄中生活で年老いた私は己の罪の深さと、その呵責にもがき苦しみました。そして絶望という真っ暗闇な崖っ淵に立ち、見栄も虚勢も外聞もかなぐり捨てて「神よ、助けて下さい」と泣き叫びました。
 
 現代を生きる子供たちの不幸は、その神の存在を知らないことではないでしょうか。旭ヶ丘キリストの教会は教会学校として、近所の子供たちに門戸を開放し、出入りさせていると千田さんから聞いていますが、その子供たちの中には家庭の事情で不倖せな子も居るということから、私は徳島のオンちゃんとしてアイスクリームやお菓子のプレゼントをさせていただいています。

 夏休みに入って小さな勇者たちは元気に公園や教会に出入りして過ごしていると思います。幼い頃の私は四季の中で、夏が一番好きでした。なぜかと言いますと、夏は日の暮れが長くて、その分すこしでも長く外で遊べたからです。でも、夕暮れは確実にやって来て、夜のとばりが降りてくると嫌でも暴力と虐待の養父の家に帰って行くのがとても辛く哀しかった…。

 親が自分の子供を選べないように、子供も自分の親を選べず、且つ生まれる家を選ぶことはできません。そして昔も今も大人(父や母たち)の勝手な都合に子供たちは翻弄されて生きているのです。さらに暴力と虐待という悲惨にして過酷な嵐の中で、じっと耐えて生きる子供は健気で勇者そのものです。反面、暴力や虐待によって幼い命を落とす子供もいますが、これは現代社会の哀しい実相ではないでしょうか。生育歴という言葉がありますが、確かに子供というのは生まれ育った環境によってその性格は異なりますよネェ。
 私が高学歴で裕福な両親の元に生まれていたなら(笑)とは思わないけど、違った人生を歩んでいたなら、イエスに出会うことはなかったと思います。だとしたら、私のその人生に意義はなく、無意味でしかありません。それ故に、私のこの獄中人生は憐れみ深い神の恵みとしか考えられません。

 これからの人生に思うことは我が命の行く末、この一点です。残されたこの地上での生涯を如何に生きて、如何に終わるか。其処に己のその生涯の結実があると思います。父なる神を知り、イエス・キリストに出会うことがなければ、私の魂は悲惨な末路に向かっていたのです。…
 私は屁理屈ではなく、小さな勇者の魂が悲惨な末路に向かうのは大人の責任のように思います。悪の道に逸れた子供たちに対し、あるカトリックの神父(アメリカ人宣教師)は「自己責任」と切り捨てましたが、あまりにも直截で哀しすぎます。またそれは、子供たちの未知なる可憐な芽を切り捨てることに比例して、大人として、いや聖職者として愛の欠如した発言で、私は情け無いです。というか、小さな勇者たちの魂の救いのために、キリストの教会が彼ら・彼女らの逃れの場所となりますように。私は日々祈り祈っています。旭ヶ丘キリストの教会に来る小さな勇者たちへの「種蒔き」ならぬ「飴蒔き」に私は大賛同です。子供たちに神の話は飴蒔きの附録のようなもので、強制は出来ませんよネェ。
 でも、小さな勇者たちにとって、千田さん祥子さんご夫妻は心優しくて信頼できる存在だと思います。子供たちは大人の真の愛に敏感です。特に不幸な底辺にあって心に深い暗闇を抱える子供は、大人の偽物の愛や理想論の嘘を見抜くのに長けているのですよ。
 テレビ番組の中で、時々町並みの風景の中に「子供110番」と記した看板を目にしますが、全国のキリストの教会は子供110番ではなく、子供が自分の意思で自由に出入りすることができる逃げ場所的な存在(ラブハウス)であってほしいです。ま、これは私の夢というか、ミッションですが…。
 アメやアイスが目当てではあっても、旭ヶ丘キリストの教会に来る小さな勇者たちの心は千田さんご夫婦のキリストにある愛を通して、父なる神の存在が確実に刻まれているいると私は思います。無論、その種が芽を出し福音の花を咲かすには、長い時間を要するとは思いますが…。
 悪の道にそれて凶悪な罪を犯した私という少年犯罪者の切なる意見として、子供たちには信頼を寄せるオンちゃん・オバちゃんという大人の存在が必要です。また日本の社会が、子供が神の愛にすがり、神に助けを求めるその道を塞がないでいてほしい。そしてその権利を奪わないでほしい !!

 昭和〜平成〜令和の時代にかぎらず、今も昔も子供たちの不幸な現実は親(夫婦)の都合や勝手な思いに翻弄されていることではないでしょうか。子供たちの幸不幸は、一概には言えませんが、生まれや育った環境によって分かれるのではないでしょうか....。

 正直に申しますが、子供の頃から私は金銭欲に流れ流されて来ました。つらつら思うに、私がヤクザの道に足を踏み入れたのもその金銭欲からです。というのは、児童施設育ちで少年院帰りではあっても、ヤクザになれば高級マンションに住んで高級車に乗り、パリッとした服を着てブランド物の時計や装身具を身に付けて美味しいものを食べ、酒と女とギャンブルに明け暮れた快楽を手にすることが出来ると私は憧れました。
 そして実際に少年ヤクザとなった私の懐には、いつも数万円の金が入ったサイフがありました。しかしその金は売春や激しく暴力を誇示した取り立てに流した多くの人の涙と血で汚れていました…。古い時代の私は全知全能の父なる神の存在を信じず、この世の栄華を求め、金銭欲に囚われていたのです。
 
 イエスは答えて言われた。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる」と書いてある。(マタイ4:4)
 
 「マタイの召命」という有名な絵画があります。収税所の椅子に座って一心不乱にテーブルの上にある金貨を数えているマタイが、「わたしについて来なさい」という言葉に従いついて行く聖書の中の場面(マタイ9:9)は、私にはマジに衝撃的でした。聖書にはその時のマタイの胸中や心理状態などに関する詳しい説明は一切なく、出来事のみを簡潔に記しているだけです。自分の日々の生活や金銭にもまったく不自由していないマタイが、それらのものをすべて手放してイエスについて行く決断は容易ではなく、迷いに迷い逡巡したのではないでしょうか?
 
 暴対法がまだ制定されていなかった昭和の時代のヤクザの取り立ては、その借金相手の弱みに徹底してつけ込み、脅し役と宥め役の連係プレーで激しく押したり引いたり、または暴力的で且つその暴力組織(金看板)を誇示し、服装も見るからにザ・ヤクザそのものでした。日本のヤクザの取り立てとキリスト時代の収税人の取り立て(徴収)を同類視することはできませんが、マタイは収税人の生業に嫌気がさしていたのではないでしょうか。日々の生活が貧しい困窮者からの徴収は必然的にその人たちからの反感は必至です。マタイはその冷酷非道な収税人の職に忸怩たる思いと良心の呵責に悩み苦しんでいたのではなかろうか?それにしても、もうこれは神の力というか、まさしくマタイの召命ですよネェ。
 
 日本の社会の現実は、教養も学歴もなく、不幸に育って来た少年が犯した犯罪に対し、社会の人たちの反応は厳しく冷淡で議論の余地もなく、自己の責任と片付けられます。反面、高い教養と学歴を持ち且つ社会的地位にある両親の元で何不自由なく育った子供、少年が犯す犯罪に世論は何故どうして、とその少年の犯罪に否定的な議論が広がる....。
 日本の子供たちにとって嘆かわしいことは裕福、貧困という家庭に関係なく親に信頼を置けず家族の中で孤立した場合、近くに頼れる大人の存在も無く、かといって逃れる場所もないことだと思うのです。
 このプリズン通信を通して、私は全国の人たちに切なる思いを込めて言いたい事があります。どうか行き場のない子供たちが最後に助けを求めてすがれる神、主イエス・キリストの存在を子供たちに教えてほしいです。私のような少年犯罪者を生み出すのは無論自己の責任ではありますが、大人の責任でもあるのではないでしょうか。と同時に、神の存在を社会に浸透さす責務の観点から、ネグレクト、虐待死といったニュースが後を絶たない悲惨な現社会の実相の中で「小さな勇者たち」はたくましく生きているのです。子供たちに福音に目を向けてほしいです!
 
 主にありて
 吉岡拝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2023年8月25日付け千田俊昭の返信
吉岡利夫さん

 お手紙をありがとうございます。現代の子供たちへの吉岡さんの切々たる思いが伝わってきます。私達がこの旭ヶ丘に教会堂を与えられたのが2003年のイースターでした。あの年以来、ほんとうに沢山の子供たちがこの教会を遊び場とし(ある子供は「教会は“隠れ家”なんだよ」と教えてくれました)、イエス様のお話しを聞き、いろいろな想い出を残しつつ卒業して行きました。最近、かつての子供が大人になって立ち寄るということが結構あります。毎週の祈りのリストにかつて教会に来た子供たちの名を挙げているのですが、もう大人の顔になっており、一瞬「あれ、誰だっけ?」と思うことしばしば。でも、記憶力の良いオバちゃんに名前で呼ばれると嬉しそうに近況を話してくれます。どこかの教会で信仰に導かれていて欲しいなぁと思っているのですが、話を聞くとなかなかそこまでには至っていないようなので、祈り続ける必要を覚えています。
 私達の教会も近隣の小学校から「子供110番」の指定を受けているので、看板を掲げていますよ。子供たちも安心して「アメちょうだい」と来るので、夏は吉岡さん提供の「アイス」も準備しています。今年は例年になくとびきり暑いので好評です。ありがとうございます。それにしても今年は東北も猛暑日が続き、熱中症警戒アラートが度々出されています。徳島の暑さはいかばかりかと、残暑お見舞い申し上げます。
 ただ、私は岩手県一関市という盆地で生まれ育ったので、夏はこんな風にとても暑かった記憶があります。その頃はプールなどというものはなく、子供たちはみな川に泳ぎにいったものです。夜は雨戸を開け放って蚊帳を吊り、その中に採ってきたホタルを飛ばして眺めながら眠ったことを懐かしく想い出します。

 さて、私が初めて教会に行ったのは12歳の時でした。自分の心も家も暗く「光がほしい!」という思いで、その時に通っていた英語教室が教会だったことから、礼拝に出席するようになったのです。その“礼拝堂”は教室があった教会の八畳の畳の部屋でした。英語クラスでのように、浴衣を着た牧師が聖書と聖歌を片手に現れ、無伴奏の讃美で始まったのです。出席者は私一人のマン・ツー・マン礼拝。「オルガンは?ステンドグラスは?」と戸惑いましたが、説教は創世記冒頭から「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」と始まりました。私は驚きと期待をもちました。ところが、話はすぐ「『もっと光を』がゲーテの辞世句で、ゲーテという人は…」とゲーテの話に。その後も聖書を題材に、古今東西の思想家の話を聞かされ、幼い私にはチンプンカンプン。でも、何か自分が偉人達に囲まれているような思いを覚えつつも、結局イエス様に出会う事なく、中学・高校の求道時代は終わりました。それどころかむしろ、聖書の神様は罪人を罰する何か“怖い神様”という思いだけが残り、進学したミッション系の大学で毎朝持たれていたチャペル礼拝には在学中ほとんど出席しませんでした。
 そんな私が信仰に導かれたきっかけは、30歳の時に腰痛・風邪・借金・欝の四重苦に遭い、まるで底なしの蟻地獄をズルズル落ちて行くような思いをした時の事です。「神様、助けて下さい!」と祈りました。そしてその頃、あることがきっかけで旭ヶ丘キリストの教会の礼拝に出席していましたが、聖書に「私の名によって祈りなさい」とあったことを思い出し、「イエス様のお名前によってお願いします、アーメン!」と付け足しました。すると、ズルズル感がピタッと止まって、平安の思いになりました。その不思議な平安感の中で、それまでの30年間に自分の犯した様々な罪が思い出されて走馬燈のように回り始めたのです。私は「今となっては償いきれない!」とハッキリ分かり絶望的な思いになった時、十字架上のイエス様の言葉が聞こえてきたのです、「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」(ルカ23:34)。ここにだけ自分が救われる道があると思いました。そしてイエス様は十字架で私の、いや私たち人間の受けるべき罰を身代わりに受けて下さって、三日目に予告通り甦られたのだと知りました。何度聞いても「ナンセンス、非科学的!」と思っていた十字架と復活が分かった瞬間でした。そしてこれら全てが父なる神様の御心だと分かった時、恐ろしいばかりだと思っていた神様は、実は愛の神様だったと分かりました。私は神様の一面ばかりを見ていたのです。恐るべき神は同時に愛の神だったのです。私は神観、人間観、世界観、人生観が一挙に変えられるのを覚えました。この世界は愛の神によって創造され、治められ、救われるのだということが分かったからです。
 この感動を牧師に話したところ、洗礼を受けることを勧められました。水から上がった時、牧師は私の耳元で「千田さん、あなたの人生変わりますよ」と囁きました。私は心の中で「変わるもんか。30年間、何も変わらなかったんだから」と呟きました。でも、本当に変えられ、私を変えた神の言が書かれている聖書を真剣に学んでみたいという思いが与えられ、牧師の提案で神学校に行く道を探し始めたのです。それから様々な事があり、2年の準備期間後、神学校に行く道が開かれました。
 やがて神学校を卒業し、仙台での伝道牧会に導かれ、今年で30年余りが経ちました。なし得た事は僅かですが、幾つもの貴重な信仰体験を与えられて来ました。それは、先日読んだ内村鑑三の次の文章が簡潔に言い表していると思います。
 
 「信仰は書斎に籠もり書籍のうちに埋まって獲られるものではない。教師の説教を聞いて獲られるものではない。人生の実際問題に遭遇して、血と涙とを以てその解釈を求めて終(つい)に獲られるものである。『復活の信仰』、アブラハムはその一子イサクを献げてこの信仰を獲た。神学者についてではない。哲学書を繙(ひもと)いてではない。その一子を献げる辛い実験によって、人生最大の奥義である復活の信仰に達したのである。貴いかな患難、貴いかな試錬。貴いかな試練を経て私に臨む大なる光明。まことに使徒ヤコブの言った通り『わが兄弟よ、もしあなた方が様々な試錬に遭うならば、これを喜ぶべきこととしなさい』(ヤコブ1:2)と。」 (内村鑑三「研究第二之十年」より)

生ける神への信仰に生かされることは心躍る人生ですね。
まだまだ、暑い日が続きそうです。どうぞお体を大切にお過ごし下さい。

主にありて


千田俊昭