2024年8月31日付の吉岡利夫さんからの手紙
主の御名を賛美致します。
「キリストの教会」の全国大会(岡山)で語る(24.8.21)千田さんの講演原稿「光の主を待ち望もう」(詩篇27:1-14)を一足先に私に送付(8月5日に落手)して下さり感謝です。また千田さんのその男前な配慮に私の魂は感激と感涙にむせび震えました。ご存知のように私は殆ど教会牧師の説教には接していません。なので、とてもありがたく拝読させていただきました。
古い時代の私は、神も仏も信じず生きて来ました。特にキリストの神は児童養護施設でのトラウマから断固拒絶する神でした。千田さんの記憶のように、小学生にとって街灯のない夜の暗闇は恐怖ですよねェ。正直、私は夜のその暗闇が好きでした。というのは、児童施設を脱走して深夜の町を徘徊する施設ツ子にとって、暗闇は己の存在を隠すには好都合だったからです。同時に、夜の暗闇を渡り歩いて行く私たちにとって、いつも羨ましく妬ましかったのは、明るく灯る家の窓から時々聞こえてくる家族団らんな笑い声でした。で、子供の頃からの私の夢はそんな「明るい家族」を持つことでした…。
2007年に福岡県下の女性牧師に出会い、その牧師から「私が吉岡さんの家族になります。神の家族です。私は絶対に吉岡さんを見捨てません。」の言葉に私はマジ、歓喜に舞い上がりました。牧師のその言葉は、勿論私の愚かさ故に遠い彼方に消え去って行きました。其処で私は「神の家族」について聖書を調べました。結論として神の家族とは私の夢であった肉の家族とか優しさなどを指しているのではなく、「神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は真理の柱、また土台です」(Tテモテ3:15)
「光の主を待ち望もう」の中で、千田さんから「『神を求める人はいない』との御言に対し、皆さんはどう思いますか?」の言葉に私はドキッとしました。私はプリズン通信によって何度となく発信していますように、長い獄中生活の中で、ある日、極悪非道に生きて来た己の罪の深さとその呵責にもがき苦しみ苛まれました。が、何をどうすれば良いのか、為す術もなく私は心身共に弱り疲れ果て、堪らず絶望という真っ暗闇な崖っ淵に立って光を求め「神よ、助けて下さい」と叫びました。絶望という真っ暗闇な崖っ淵は私にとって、自分の信仰の原点になりますが、神に光を求めながら私は愚かにも肉の愛、肉の優しさ、肉の家族の温かさを求めていたのです。
要するに、千田さんが言っておられるように、私は神ご自身を求めてのことではなかったように思うのです。それでも神の愛、恵みの業は獄中で年老い死んだ犬のような少年無期囚の私を回心に導いて下さったのです。キリストの十字架の福音を信じる信仰の道に立たせて下さりました!聖書の学びは殆ど独学で進めている私にとって、この千田さんの「光の主を待ち望もう」のメッセージからの学びはとても有りがたく、心より感謝です。
話が少し余談になりますが、サムエル記上第24章は、私には白眉というか感動の場面です。というのは劣悪で理不尽この上もない親分だったとしても、自分の親分を殺ることは不忠の極みであり、サウルはダビデの兄弟分であるヨナタンの実父でもあるからです…。神を信じ、義理堅くて仁義を重んずるダビデ王ではあるけれど、ウリヤの妻に向けた言動(Uサムエル第11章)はいただけません。
兄貴分に自分の内妻を手込めにされた私は辛抱堪らず、その兄貴分に矢を向けた(日本刀を持って敵対)ことから組に追われ、その追跡からの逃避行の挙げ句にあの事件を起こして奈落の坂を転げ落ちました。
仮出獄の恩典に浴して高知市に戻ったある日、友人(当時は現役のヤクザ)の嫁さんが経営する喫茶店でコーヒーを飲んでいると、組織本部の執行部という大幹部になっていたその兄貴分が店に入って来たのです。で、私の姿を目にした途端、何か気まずそうに私に近づいてきて「長かったネヤ。体は大丈夫か」と声をかけてきたのです。私は返事をせず、それを無視して平然とタバコをふかしていました。兄貴分は苦笑いし、ガード(護衛)の若い衆は私のその態度に鋭い視線を向けてきていましたが、私はすぐに店を出ました。喫茶店の友人を通して兄貴分から食事の誘いがありましたが、それも無視しました。今になって思うに、私は大人としての分別もなく、度量の狭い男でした。
さて、1984年に、町の文房具屋で見つけたカット集の中に入っていた原画と今の旭ヶ丘キリストの教会の外観がまったく同じ風景に私はビックリです。マジに鳥肌が立つぐらい不思議ですよねェ。旭ヶ丘キリストの教会の外観風景を、私はやっとこの目で見ることができました。そして立ち入ったことを聞くのは憚られますが、千田さんと祥子さんの出会いは千田さんがアメリカの神学校に入学した後だったのですねェ。私はてっきり祥子さんと二人でアメリカに渡ったものと思っていました。
キリストの教会の全国大会はいかがでしたか。野市キリストの教会の服部先生は岡山に参加しておられましたか?台風10号によって、全国的に大雨による災害が広がり、そのニュースが流れていますが、仙台市はいかがですか。どうか災害には十分ご注意ください。また、まだまだ今年の残暑は厳しいようです。熱中症には油断なく、くれぐれもご自愛ください。教会の人たちの上に、小さな勇者たちの上に恵みと守りがありますように祈り祈っています。
主に在りて
吉岡拝
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2024年9月20日付、千田俊昭の返信
吉岡利夫様
気温が連日36度越えという猛暑の岡山から帰ってきました。大会奉仕も無事に了えることができ、祷援を感謝致します。もしかしたら高知の服部先生に会えるかも、と期待して出掛けたのですが、残念ながら参加しておられず、教会の様子も分かりませんでした。私たちも祈り続けています。
LPガススタンド勤務の関係で、私たちも全国大会には欠席がちだったのですが、スタンドが昨年閉店になったお陰で全面退職し、時間的に余裕ができたことで、今回の旅行はゆったりスケジュールで行くことが出来ました。久しぶりに会う信仰の友人たちとの交わりも大きな喜びでした。特に驚いたのは家内で、高校時代に教会に導いてくれた人との半世紀ぶり再会でした。その方も50年間いろいろなことがあり、彼女の証しを私たちも大きな喜びと感謝をもってお聞きしました。
何人かの方々から私の講演への様々な感想を戴き、それぞれの人々が自分の今抱えている問題・課題の観点から何かしらを得て下さったことを知る事ができました。その中で、吉岡さんが私の一番お伝えしたかったことをストレートに受け止めて下さった事をとても嬉しく思います。大会では青写真となったカットや教会の外観写真は紹介しなかったのですが、匿名献金があって青写真どおりの外柵が備わるまで、実に40年の時が経過したのでした。人間の時間感覚を遙かに越えて御業を成就して下さった主を証しつつ「光の主を待ち望もう」というのが、伝えたかったことでした。
お送り下さった柚月裕子著『風に立つ』を読んでみました。私はこれまで、小説はあまり読まなかったのですが、「仙台」の家庭裁判所からの補導委託を「岩手・盛岡」の「昭和26年生まれ」の南部鉄器職人の親方が引き受けた…といった他人事とは思われない状況設定なので引き込まれました。私は盛岡に親戚がおり、行ったことのある地名もあって懐かしく読み進めました。物語は周囲の人々の助けもあって、補導委託を通し、問題少年の親子関係と職人の親子関係が同時に癒やされてゆくというストーリー展開で、サスペンスの謎が解かれて行くワクワク感も楽しみました。
この小説の中で印象的な言葉の一つに、職人親方の強さについて「たとえば怒り、たとえば嘆き、たとえば悔恨−−それらをすべて受け止められたとき、人は強くなれるように思う」という登場人物の発言があります。そうかも知れないとは思いつつ、私は使徒パウロのことを思うと、かつて迫害者だった彼が、様々な艱難辛苦をも越えていった福音伝道者に変えられたのは、罪赦された“喜び”と、その上に異邦人伝道の使命までも与えられ生かされているという“尽きぬ感謝”だったと思うのです。「もうあの失敗をくり返したくない」という消極的な思いだけでなく、喜びと感謝という積極的な理由が本当の強さにはあると考えます。そしてそれは吉岡さんの中にもあると、私は見る思いがするのです。
さて、先日『親鸞とパウロ』真木由香子著(教文館、1988)という古本を見つけて買ってきました。読み始めたところに、吉岡さんからの手紙が届き「歎異抄は獄中で皆の愛読書」とあって興味深く思いました。著者は日本基督教団の牧師ですが、仏教大学の講師でもあるそうで、親鸞と浄土宗についても相当な造詣の深さが窺われます。仏教をあまり知らない私にとって、はっきり言って難解書です。でも、ちょっと面白いところがあったので紹介します:(以下引用)
日本仏教史の中で、法然の彼岸往生と平等の思想は、はじめて当時の最高の仏教学者によって教学として確立された。庶民のために説かれた教えである。法然は「おほよそ諸宗の法門、深浅あり広狭あり、…この浄土宗はせば(狭)くあさ(浅)し」と教判している。己れ一人の解脱を求めるなら、力量備わった者の誰が「せばくあさし」という法門を選ぼうか。「ただこの浄土一宗のみ、機と相応せ」り、という「機」は、法然の表白にもかかわらず彼自身ではなく、一般民衆の機であり、その教判は時代を凝視し民衆の苦悩を洞察した上での判断なのだ、と思わざるを得ない。それは法を重くするというよりはむしろ人を重くする人の情に傾く。その人情は、阿弥陀教典そのものから響いてくる仏の慈悲に、法然の慈悲心が深く呼応したものに相違ない。だが人間が、永劫不変の法よりも時代の民衆を重くすることは、「依法而不依人」という仏道からは、なんといっても逸脱することであり、明恵や道元など当時の有眼の仏教学者が念仏を批判する理由の一班もそこにあろう。
私が興味深いと思ったのは、法然が自宗を「狭く浅い」と言ったことです。主イエスの言と通じるものを見るからです:「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです」(マタイ7:13,14)。救いが苦行・修行や積善行によるならばそれは自尊心を満足させるカッコイイ信仰かも知れません。それに対して十字架信仰が「狭い」のは“カッコ悪い”からです。またそれが「広い」のは、信じるだけで救われるということが余りに安易に思われるからです。しかし、自分の罪業に絶望するしかない者にとって、主イエスの十字架は残された唯一の救いの道です。
浄土宗については思い出があります。神学校で神学の時間に、教授が「日本には浄土宗という仏教があります」と語り始めました。その頃は渡米して間もなく、英語の授業理解がまだ覚束ない時でしたが、突然に「日本」が出てきたので驚き、必至に集中して聴きました。「信仰のみによって救われるという、仏教の最高発展形態と言えます。しかし、浄土宗には十字架と復活がないのです。」というのが結論でした。「善人なおもて往生を遂ぐ。況んや悪人をや」という悪人正機説は有名であり、そこには阿弥陀の本願である慈悲への信仰があります。しかし、主イエスは「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは何をしているのか分からないでいるのです」と祈られただけでなく、ご自分の命を捧げ出して私たちの罪を贖って下さり、愛の神の預言通り、またご自身の予告通り、三日目に甦られました。私たちの信仰の土台はこの歴史的事実にあります。まだ読み始めなので、これからどんな事が論じられるのかが楽しみです。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、仙台もようやく朝晩が涼しくなってきました。庭の果樹からの収穫が楽しみです。子どもたちへの飴まきも続けています。最近「御言カード」も一緒に配っており、御言の種が子どもたちの心に根付けばいいなぁと祈っています。吉岡さんもどうぞお元気で!
2024年9月20日
主にありて
千田俊昭