邦譯聖書には、この兩節を譯して「�~はその血によりて、イエスを立てて、信ずる者のなだめの供え物としたまえり。そは�~忍びて過ぎこしかたの罪を寛容にしたまいしことにつきて、今その義をあらわさんため、すなわちイエスを信ずる者を義とし、なおみずから義たらんがためなり」としるしてゐる。今これを意譯して、左のごとくにすることができる。

　

　

　實にこの兩節は、ロマ書中、最重要の句と言うべきである。詳細は他日にゆずり、ここには大意を述ぶるだけにとどめたい。

　

　　古來、いかほど多くの人がこの兩節について考えたことであろう。古來、聖書學者にしてこの兩節について詳解を試みた人の數は數えがたい。まして平信徒にしてこれについて幾度か思いをこらし、あるいは疑い、あるいは信じ、あるいは喜び、あるいは悲しみし人の數は、いかほど多くあつたことであろう。これは決して平易な箇處ではない、むずかしと言えばたしかにむずかしい。しかしながら、聖書は萬人の靈魂のために書かれた書であるゆえ、また�~の�ﾍえを説きしるしたものであるゆえ、その中のむずかしきところといえども、その主眼點は普通の平信徒に解し得られる。ただ主要ならぬ部分には解しがたきところあり、種々の解釋ありて、いずれを採るべきか定めがたいところがある。しかしそれはいかに定まつても、全體の上にさしたる影響はない。この兩節のごときも、この意味においてその大意は明らかである。ただしこれは�ｉｹを信ずる者について言うたのである。信ぜざる者にとつては、これは到底不可解のなぞである。ゆえに�ｉｹを信じない者にこれを解き明かすことは到底不可能である。同時に、信者にしてこれを解し得ざるは大なる恥辱である。これを解し得ざる者は、信仰の道においては乳兒である。何となれば、この兩節は實に�ｉｹの根本を説きしものであるからである。

　

　この兩節を見るに、説き方は二四節同樣すこぶる簡潔である。二四節が十二字より成ることは前講において述べたが、さらに二五節を見るに、二十二語より成り、二六節は二十六字より成つてゐる（冠詞を�ﾍえなければ、この數はなお減ずる）。大眞理−−�ｉｹの眞髄−−を説述せしものとしてははなはだしく簡潔である。すなわちこれ眞理の結晶體を並べただけのものであつて、その個々の結晶體については、何らの解説をも加えていないのである。すなわちこれは眞埋の掲示であつて、その説明ではない。ゆえに讀む者はこれに説明を加えて讀むよりほかに道はないのである。

　

　前述せしとおり、この兩節は二四節に出でしあがないの説明である。そしてそのうちまず明瞭なることは左の三事である。

　

一、�~はイエスをもつて、罪人のためのなだめの供え物となしたまいしこと。

二、�~は今までは寛大であつたが、今はいよいよその義をあらわすに至りしこと。

三、そして右の目的は、信ずる者を義とするとともに、また�~御自身が義たらんためであること。

　

委細の點は別として、この三つだけは、この兩節を讀みてただちに了知し得ることである。かくまず明らかなことを先にみとめておくことは、全體を理解する上に大いに役立つのである。

　次ぎに、上掲せしこの兩節の意譯の大意を述べたい。この全體を即坐に了得することは、多くの人にとつては多分困難であると思う。かかる人はまずその始めと終りだけに注意を向けるを便とする。すなわち「�~はイエスを立てて、なだめの供え物となしたまえり」という最初の句についてまず考え、次ぎに最後の「これ�~みずから義たり、而して同時にまたイエスを信ずる者を義とせんがためなり」の句について考えるのである。この二つの意味がわかり、そしてその聯絡がわかれば、その中間の語の意味もほぼわかつてくるのである。

　「�~はイエスを立てて、なだめの供え物となしたまえり」とは、何を意味する語であろうか。「なだめ」とは誰が誰をなだめることを意味するのであるか。�~が人をなだめることを意味するのでないことは明らかである。何となれば、これをこの世の親子の關係において見るとき、子が惡をなして、しかも怒りし場合、親より子をなだめるということはできないからである（はなはだしく愚かな親でなくしては、かかる無思慮のことは決してなさぬ）。�~と人の間に距離ができたからとて、しかもそれは人の罪に根原をおくものであれば、到底�~より人をなだめるということのあり得るはずはない。

　然らば、人より�~をなだめるのであるに相違ない。然らば、�~はなだめられて初めて人の罪をゆるすものであるか。もしこのなだめが無いとすれば、�~は永久に人をゆるし得ないのか。然るときは、�~をもつて愛の�~と稱し得ようか。なだめられて初めてゆるすごとき�~は、惨虐なる暴君のごときものでないか。なだめの供え物などは無くとも、自由に人の罪をゆるし、義ならざる人を義とし得てこそ、�~は愛の�~である。然るに、なだめを要するとは何ゆえかと、疑問は強く起らざるを得ない。さあれ古來多くの優秀なるクリスチャンが、主の十字架を「なだめの供え物」として見たるは事實である。ルーテル然り、カルビン然り、クロムウェル然り、ミルトン然り、バンヤン然り。その他、彼らと處信をひとしゆうせし者は無數である。彼らは一樣に、キリストの十字架なくば罪の赦免あるはずなしと信じたのである。

　このことについて、ここにすこしく考えてみたい。子が親に對して罪を犯したる場合に、子が謝罪したとて親はただちにゆるすべきものであろうか。この際、親がただちに、そしてやすやすとゆるしたならば、子はそれに甘えて、そののちは平氣で罪を犯すことになる。すなわち、一言謝罪しさえすればかならずゆるさるると、子が親の心を讀むに至るときは、子は平氣で罪を犯し、そして悔ゐることなくして、ただ口先で謝罪することになるであろう。もしこの際、親は子の罪のために大なる苦しみを受け、この苦しみありてのち初めてゆるし得るということであれば、子は我が罪の恐しきをさとりて、眞の悔い改めをなし、以後は決して罪を犯さじとの決心を起すに相違ない。然らば親は愛のためにかえつて輕々しく子をゆるすことはできない。子のために計る親としては、子のますます惡に沈むような道を取ることはできない。子がふたたび惡におちいらぬような道を取るは、親としては當然のことである。これ言うまでもないことである。

　これを國家のことにおいて見るも、すべての犯罪者を、ただ悔いたという一事のみでゆるしたならば如何。彼らはますます安んじて惡をなし、そしてそのたびごとに口先きの悔い改めをしてすますであろう。かくては國家の秩序は失せ、惡人横行の世と化すること必然である。ここに殺人者ありとせよ。彼は犯行ののち多分悔ゆるであろう。しかし悔いたという一事のみをもつてただちにこの殺人者をゆるしたならば、その結果は如何。主権者の威厳は失せ、國法の権威は落ち、犯罪は全國に充ちて、國を擧げて無秩序の状態におちゐるであろう。のみならず、かくやすやすとゆるさるることは、犯罪者彼自身にとつて大なる不幸である。かくては到底眞の改悛は起らない。そしてさらに惡をかさぬることになりやすい。ここにぜひとも刑罰の必要がある。これ彼の眞の改悛のために必要である。否な、殺人者にして眞に改悛したならば、その犯せし罪の恐しさにふるえて、むしろみずから死を願い、以てその犯行の申しわけをするとともに、この場合において國法のかたく維持せられんことをあくまで望むこと必定である。

　�~は輕々しく罪ある者をゆるし得ない。彼もし罪人を無條件にてゆるすならば、彼の威厳は失せ、彼の公義の権威は落ち、彼の宇宙の秩序は破るるに至る。すなわち�~は�~ならぬものとなつてしまうのである。�~の威厳はぜひとも保たれねばならぬ。彼の公義の権威はぜひとも保たれねばならぬ。彼の宇宙の秩序はぜひとも保たれねばならぬ。�~はぜひとも�~でなくてはならぬ。ゆえに「罰」はぜひともなくてはならぬ。公義はぜひとも維持せられねばならぬ。公義は厳として立つ。�~といえども公義を宇宙の外に排逐し去ることはできない。ゆえに公義は�~をさえ束縛するのである。彼は公義をみずから立てて、その公義にしばらるるのである。あたかも一國の主権者が、みずから憲法を立ててその憲法にしばらるるごときものである。この公義ある以上、�~はただ罪をゆるすことを得ない。罰は當然ともなわねばならぬ。換言すれば、�~は義をもつて人の罪をゆるすほかはない。のみならず、輕々しく罪のゆるさるることは罪人自身にとつて不幸である。彼はこのために罪を輕視し、安んじて罪を犯すに至り、ますます罪の樂しみにふけるに至る惡結果を生む。されば�~は罪人をただゆるすことはできない。これは�~が�~たるため、公義維持のため、また罪人自身のために、きわめて必要なることである。

　

　�~は罪人をゆるさんと欲す、しかし罰なしにはゆるし得られない。もし罪人に對して正當なる罰をもつて臨まんか、人類は誰一人として滅亡の悲運をまぬかるるを得ない、しかしながら、これ�~の、人に對する愛の、忍びがたきところである。義のためには罰せねばならぬ。愛のためにはゆるしたしと思う。滅ぼすべきか、生かすべきか。永遠の死か、永遠の生か。永遠の否定か、永遠の肯定か。永遠の暗黒か、永遠の光明か。永遠の呪詛か、永遠の祝�ｂｩ。永遠の悲哀か、永遠の歡喜か。永遠の絶望か、永遠の希望か。−−いずれを選ぶべきか、事はすこぶる至難である。一を選ぶときは他を捨てねばならぬあたかも火と水とを抱いて兩者のともに全きを計る類である。これ人には到底できぬことである。然るに「人のなし得ざるところは�~のなし得るところ」（ルカ傳十八章二七節）である。�~は「その生みたまえる獨り子」を世につかわし、彼を十字架につけ、彼にありて人類のすべての罪をとこしえに處分し、以て人の罪のゆるさるる道を開き、我ら彼を信ずる者は、彼にありて罪を罰せられ、彼にありて義とせられ、彼にありて復活し得るに至つたのである。げに人の思いに過ぐる偉大なる智慧よ！　ああ�~の智と識の富は深いかな。彼はこの至難なる疑問を、その獨り子の降世と受難とをもつて見事に解きたもうたのである。ために義も立ち、また愛も行わる。罪は罰せられ、そしてゆるさる。人は亡ぼされ、そしてまたとこしえに生くる。人はキリストにありて永遠に亡ぼされ、そしてキリストにありて永遠に生くるのである。

　

　このことをみとめし上において、上掲の意譯の最後の句なる「これ�~みずから義たり、而して同時にまたイエスを信ずる者を義とせんがためなり」に對するときは、その意味は明瞭となる。すなわち�~はイエスを立てて、なだめの供え物となしたもうた。彼を十字架につけ、以て彼にありて人を罰するとともに、また人を義としたもうた。すなわち彼は自己の義をあらわして人類を罰するとともに、人類の罪をゆるしてこれを義とする道を開きたもうた。罰すると、ゆるすと、罪に定むると、義とすると、二つのことを、キリストの十字架をもつて同時におこなつた。すなわち「�~みずから義たり、而して同時にまたイエスを信ずる者を義とせんがため」である。自己の義を顯揚するとともにまた人を義とするのである。しかし何ゆえに「人類全體」と言わずして、ただ「イエスを信ずる者」とかぎつたのか。勿論原理としては、萬人が十字架において義とせられた。しかし原理は個々の場合に適用せられて初めてその値いを生ずる。すなわちキリストを信ずる個々の人が事實上義とせらるるのである。すなわち罪を悔いて�~に服歸し、主イエス・キリストに信從するに至つてのみ、人は初めて�~に義とせられるのである。信仰によつてのみ、この特殊の義−−すなわち義ならざるに受くる義−−を、わがものとするを得るのである。

　

　されば主の十字架は、天地の隔てを除く唯一の道である。十字架は地に立ちて、その頂きは天の高きにまでとどいてゐるのである。十字架あるがゆえに、�~は自由に人をゆるし人を義とし得るに至る。そして人は、罪の消除のために、�~より我を隔つるものを除かれて、恐怖を去り、はばからずして思惑の座にのぼり得るに至る。すなわち�~と人との間の隔離は十字架をもつて除かれたのである。そのために、�~と人とは公々然として近づき得るに至つたのである。げに罪はおそろしきものである。これありては、�~は人とははなれざらんとするも能わない。この罪が消除せられてのみ、�~と人のあいだに平和は生れる。そして人は、その罪が�~の獨り子の死に値いするほど重大なるものなるを知りて、以後は罪を犯さざらんとつとむるに至る。恩惠になれず、かえつて平和と希望と光明との與うる歡喜のゆえに、感恩のささげものをささぐる生涯を送らんとするに至る。げに祝すべきは主の十字架なるかな。

　

　今や人は往々にして言う、�~は愛なるゆえに、悔改する者はただちにゆるさる、何ら十字架の贖罪を要さないと。しかしこの種の言はただもつともらしき理窟であるというにとどまつて、何ら活ける生命の事質に觸れぬものである。かかる淺き理屈をもつてせる安心のごときは、口舌の遊戯たる類であるにすぎない。人の罪とはまことに底ふかきものである。そのためにはぜひともあがないがなくてはならぬ。これ�~の公義の求むるところ、また人類の本能性の要求するところである。キリストの贖罪あるがゆえに、�~はみずから義たり得、また同時にキリストを信ずる者を義とし得るのである。「�~はイエスを立てて、なだめの供え物となしたまえり」と、深きかな、貴きかな、この事！

　以上のごとく二五節、二六節の始めと終りを知るときは、そのあいだにはさまれし一觀念の意味はおのずから明らかとなるのである。「これ一には�~の忍耐の中に過ぎこしかたの罪を見のがしたまいしことにつきて、その義をあらわさんため」である。キリスト以前の人類のあいだにも、�~の刑罰はある程度まで行われていた。しかしその罰はその罪に比すればいと輕くあつた。もし�~が人類に向つて、その罪に相當する罰をもつてするならば、即坐に全人類の滅亡あるのみであつた。然るにこのことなくて、罰は輕く、恩惠は重くあつた。然るに、�~を知らざる彼らは、�~のこの寛恕をさとらずして、罪をもつて、死に當るごとき恐るべきものとは思わずして、ますますこれにふけるの有樣を呈した。今日、人が�~の罰なる語を聞くも、ふかく意に留めざるは、すなわちこの�拐~とひとしきものである。しかしながら、これこの上なき大謬想である。罪の價いは死である。罪あるところ、死はかならずあるべきである。然らば何ゆえ人類は早くすでに滅亡せざりしぞ。答えて言う、これ�~の寛恕によると。すなわち「忍耐の中に過ぎこしかたの罪を見のがしたも」うたのである。そしてこの寛恕は、他の道をもつて人類を罰せんとしたまいつつありしためである。すなわち時來るや、彼はその獨り子を人の形をもつて降し、その十字架の死をもつて、人類の深罪を處分したもうたのである。すなわち「その義をあらわさんため」である。

　

　また「今の時にその義をあらわさんため」である。いよいよ時來つてキリストの降世となり、その十字架の死となつて、ここに�~の義があらわされたのである。ゆえに人はみなただキリストを信ずる信仰のみによつて義とせられて生くるに至つたのである。かくして義と愛とが共存するを得た。�~は十字架のゆえをもつて、罰し、かつゆるし、滅ぼし、かつ救い得るのである。義の範圍においてあわれみをほどこすは、父なる�~の明らかなる特徴である。