2010.9.2 ルカ10章38-42 11章1-13

38~42:女性は客人をもてなすことが仕事であったが、学ぶことも大切であるというルカの立場から記されている。イエスはマルタを否定していない。心づかいのある者としてほめている。

1~13:イエスが示した主の祈りは、言葉ではなく、また主に求めることでもなく、神はどういう方かを解って、そして祈ることを示している。

①父よは、我々の父で一人の父ではない。当時神への呼びかけは父ではなかった。②御名があがめられますように。は自分の問題から神に目を向けあがめると引き上げられ、見方(視点)が変わる。高みから見ると自分の立場が変わり、地平(希望・信仰)が見えてくる。③御国がこの世に来ますように。は神の支配がこの世に現されますようにであり、神の国は個人の問題解決だけではなく、それを通して自分が神の国の働きに加わることができ、あなたがあがめられる結果になりますように。の理解で祈る。④毎日の糧を与えてください。神の御国のために働く今日のこの仕事、神の働きをする時、今日のパンが与えられる。⑤私たちの罪(毎日の複数の罪)をお赦し下さい。みな赦します。赦し(他人の罪を赦す)と悔い改め(自分を赦す信仰告白)の方向は正反対のもの。これは義人に変えるスタート。今やっていることが変わるという意味。⑥私たちを試み(誘惑を含む)に合わせないでください、は、神から離れることがないように。神との関係、隣人との関係が正しくありますように、の祈り。

神以外に罪を赦さない。であるが、私たちはキリストの贖いにより、互いに赦されているから、人は赦しあえる。主の再臨の日に主は裁かれる。神の愛を受ける今日、お互いに赦し合いなさい。裁きの日の扉が締められた後にはもう遅い。又、神の国の自由は、神を汚す罪を犯す自由ではない。

マーク・マグヌソン