『神を知ることの祝福』
(ヨハネによる福音書3章16節)
●あなたは神を知りましたか?
日本人は一般的に言って、宗教について無頓着であると言われています。ですから、「神」がどのようなお方であるかなどとあまり考えずに何でも神にしてしまう傾向があります。「何事におわしますかは知らねども かたじえなさに 涙こぼるる」という具合で、深山の大木とか渓谷にある奇岩を見るとそこに神が宿っていると考えて、しめ縄を張ったりします。また、人間の中でも何か特別な能力を発揮したり、功績のあった人々を神としてまつったりします。
戦争中に天皇を「現人神(あらひとがみ)」としてたてまつったのもそのような流れの中でのことです。その結果、天皇は日本中の人々を戦争に駆り立てるための手段として利用されました。
宗教は、時として、とんでもない利用のされ方をします。だから、さわらぬ神にたたりなし、と宗教を敬遠しておられる方もあるかもしれません。しかし、本当の「神」を知ることは人間に必要なことであり、祝福となることです。
●人は「神」を知ることができるのか?
これは人類の大きななぞですが、聖書は、私たちが尋ね求めさえするならば、「神」を見出すことができると、教えています。なぜなら、神は被造物の中に、ちょうど芸術家がその作品の中に自分を表現するように、神の力や知恵など、神の偉大さを表現しておられるからです。太陽や月、星は人が拝む対象ではく、拝むべき方を表現しているのです。
神はまた、歴史の中でのお働きを通して自分を表しておられます、特に神の選民の歴史を記録している聖書を読むとそのことが明らかです。
さらに、一番大切なことですが、聖書が記しているイエス・キリストを知ることを通して、体験的・個人的に神を知ることです。
●そのようにして知る神はどのような方か?
神は天地を創造したお方です。ですから、神は唯一です。神は全知全能です。限りなく聖で、正しく、真実で、あわれみに富むお方です。神は私たち人類を愛しておられます。
「神は、実にそのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどにこの世を愛された。それは御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネによる福音書3章16節)
●本当の神を知る祝福とは?
イエス・キリストを通して本当の神を知ることの祝福の第一は、自分の罪が赦されたことによる平安です。イエス・キリストが十字架にかかって死なれたのは、私たちの罪の刑罰が私たちに代わって受けるためだったのです。信じるすべての人はその恩恵に与ることができます。
さらに自分を含む宇宙とその中のすべてのものを創造された偉大な神が、信じるものたちの神、また父となってくださるということです。このように偉大なお方が私たちの味方になってくださるのです。
また、イエス・キリストが十字架にかかられた後に葬られ、そして三日目に復活されたので、信じる者たちには新しい栄光のからだへの復活が約束されているので、死を恐れなくてよくなることです。また、何かの理由で肉体的なハンデキャップを負った人々も新しい強い体の希望に生きることができます。
さらに、神を知ることの祝福として、聖書を通して人類に共通の普遍的な道徳基準を持つことができます。それは、いわゆる十戒に表されていますが、その要約は、「心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」と、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」の二つです。道徳の混乱が見られる今日、このような道徳基準が個人に、家庭に、国家に、世界にあるならば、それは大きな祝福です。
私たちは、教会で聖書を読み、神を礼拝することによって、神を知るための試みを続けています。皆様のご参加をお待ちしています。