「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、
じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたに
この永遠のいのちを伝えます。
すなわち御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。――」 ヨハネの手紙 第一 1章1−2節
「言葉は人となって、私たちの間に住まわれた。」ヨハネによる福音書1章14節
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。(訳すと、神は私たちと共におられるという意味である。)」
マタイによる福音書 1章2−3節
クリスマスの出来事、それは神と共にあるいと高き方、時間からも空間からも自由であられたお方が、私たちの歴史の中に、降りてきてくださったということです。
天地万物を創られた永遠なる神が、この世界においでになった、決定的な瞬間、それがクリスマスです。
人間たちが、神様に背いて、おのおの勝手な生き方をした結果、この世界は腐敗し、傷つけられ損なわれてしまいました。
人間の罪は次の世代にもその次の世代にも傷を残しつづけ、争いと憎しみの絶えない歴史となってしまいました。自然の秩序も破壊され、不安や憎悪の渦巻く世界となってしまいました。
私の姉が最初の子を産んだときのことを、今でもよく覚えています。
当時、私はたいそう悲観的な心で生きていました。こんな先行き真っ暗な世界に生まれてきたところで、いいことないのに・・そう思ってました。
でも、生まれた命の力強さに圧倒されました。いいことがあるからとかで、生きるんじゃない。命はもっと、リアルで存在意義のあるものだと示されました。
家族の病気がありました。なんで人生ってこんなに苦労があるんだろう。悲しみに満ちているんだろう。戦争があり、悲惨な事件があり、環境破壊がありました。
かってにあきらめていたんです。人生なんて、虚しいだけ・・この世界は、価値がないと――、そんな自分に、聖書の言葉が響いてきました。
「神は、そのひとり子を賜ったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠のいのちを得るためである。」 ヨハネによる福音書 3章16節
神様は、この世界をあきらめてない、傷だらけの私たちを見離してない、それどころか、永遠なる方が、人間の罪の歴史の中に、小さくかよわい、存在として、やってきてくださった。私たちに本当の愛と平和を得させるために。