ルツ記1

 

夫や息子たちを失ったナオミにとって、二人の嫁の存在は大きな支えであったでしょう。

故国のユダに帰る決断をしたときも、二人はついてきてくれました。

 

ナオミとエリメレクがモアブでユダヤ人としてどのような暮らしをしていたのか、人々とどんなふうに接してきたのか、詳しいことは書かれておりません。

 

 しかし、遺された嫁二人が義理の母であるナオミを心から慕っている態度をみれば、誠実さと愛情をもって生活してきたのだと伝わってまいります。

 

 そうしたナオミの人柄は、二人の嫁への配慮にも見て取れます。

8節>「自分の里に帰りなさい。――」

 現実を見据えて、去らせたほうが、二人のためだ。という判断です。オルパもルツもまだ若い。自分たちの土地に残るほうが、幸せな道が残されていることだろう。

こうして、嫁姑の関係を解いてあげたわけですね。

神の祝福を祈って、別れを告げます。

 

それでも二人は離れようとしませんでした。ナオミは言葉を重ねて、説明します。

11節>「わたしたちの娘よ、帰りなさい。どうしてついてくるのですか。――」

現実を見なさい、私はもうあなたたちの夫を産めないでしょう。

わたしの娘たちよ、あなたたちには、未来があるのだから、それを放棄してはいけない、辛いけど、しかたがないのです。主が私に下されたことなのですから、

14節>

二人は声をあげて泣いた

オルパは姑の言葉に従い、現実を受け入れ、去っていった。

 

しかし、ルツは、残りました。

 

「あなたの民は私の民。あなたの神は私の神。」と告白して、ナオミのそばを離れませんでした。

 

死が分かつまであなたとご一緒します。そのほかのことで、あなたを離れることがあれば、主よ、私を幾重にも罰してください。

 

これ以上ない強い意志を示しました。

 

いったい、このルツは何を見ていたのでしょうか?ナオミについていくことで、何をもらえるわけでもない。

神様を信じていれば、祝福をいただけるという期待でしょうか?

ナオミや自分の夫に関するかぎり、地上の生活における祝福とは反対に、苦悩ばかりでした。20節で、ナオミ自身、全能者が私をひどい目にあわせた、と語っていますように。

 

何か打算があったりして、ナオミに従ったのではありませんし、単なるナオミへの同情や愛着が動機だったのでもありません。モアブの女ルツが神様への信仰をどれほど明確にもっていたかはわかりません。

 

 ただ、ひとつ確かに言えるのは、ルツには、信念があり、誠実さがあった、ということです。ナオミに誠実を尽くすことが、自分の生きる道だと信じ、ナオミの信じる神こそ私の神と信じることへと導かれていた。

 これは不思議なことですね。生活苦のあげく、夫にも子どもたちにも先立たれた、不幸の連続に苦しみあえぐナオミを通して、一人の外国人が救われてるわけですから。

 

 ナオミは全能者への祈りを、最後まで止めなかった人ですね。苦しい時、助けが必要な時、助けが与えられた時、願いどおりにならない時でも、いつも祈り、神様につながって生きていた。

 そんなナオミの見えざる神への信頼を通して、ルツはゆるぎない信仰を得られたのだと思います。

 

22節>「ナオミはこうして、モアブ生まれの嫁ルツを連れてモアブの野を去り、帰ってきた。二人がベツレヘムに着いたのは、大麦の刈り入れの始まる頃だった。」

 困難の中にあっても、神様につながり続けたナオミ。固い信念をもって行動したルツ。そんな二人を、大きな祝福が迎えて待っていました。「ベツレヘム」「大麦の刈り入れの頃」・・劇的に展開する祝福の始まりの言葉です。

 

モアブの未亡人ルツが、ボアズとの結婚に導かれ、その子オベド、エッサイ、ダビデ・・イエス・キリストへと至る家系へと組み込まれていく。

信仰と誠実さをもって、未知の土地へ入っていったルツに、神様は大きな祝福をもって応えてくださったのです。

 

祈り:私たちが弱さ・貧しさの中にあっても、あなたにつながり続け、誠実さをもって人と関わるならば、宣教は前進するのだと示されます。私たちも、全能者であるあなたに信頼し、あなたの御業を信じて歩むことができますように、お導きください。