証:「幾多の苦難を越えて」

 私は青年の時、大学進学のため、沖縄から初めて大阪に行きました。あまりの環境の違いに戸惑いましたが、その反面、色々なものに興味を持ち、何でも見てやろう、何でも聞いてやろうと興味津々の日々を送っておりました。

 生まれて初めてキリスト教の教会に誘われて行ったときも、私にしてみれば社会勉強のつもりでしかありませんでした。当時、土建会社の現場監督として働いていた私にとって、周りの荒々しい人間関係の中におりましたので、クリスチャンというのは「何かに頼らないと生きていけない弱い人達の集まり」という印象を強く持っておりました。その様な中で初めて牧師の話を聞きました。「秋元さん、宗教はね、大別して二通りに分けられるんですよ。一つは天地万物を創造された神を信じるか、もう一つは人間がつくった神(石や木など)を拝むか、どちらかですよ」と、この牧師の言葉は新鮮な響きをもって私の耳に残りました。

 それから約1年程、教会に通い続けたでしょうか。三重県で行われた教会のバイブルキャンプに誘われるままに参加しました。その時、人は生まれながらに罪を持っていることを知り、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れることを告白し、信仰の決心をしました。27才の時でした。

 それからの私の長い人生は、決して平穏なものではありませんでした。むしろ苦難の連続でした。長い間、勤めた会社を辞めて脱サラし、会社を興すなどこれまで経験したことのない苦労の毎日でした。イエス様を信じて歩んでいるから、金儲けが出来るとか、立身出世が出来るというものでは決してありません。しかし、どの様な時にも聖書に記されている御言葉によって慰められ、励まされ、力が与えられていることは何ものにも代え難い大きな財産だと思っています。

 聖書に

「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」(・コリント10章11節)

とあります。事業につまずき途方に暮れていた時も、主を信じる者には、いつも主がともにいて下さり、万事を益として下さるという御言葉があります。どれだけこの事によって生きる力が与えられたことでしょうか。
 また詩篇55篇22節には

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」

とあります。
 なんと感謝な事でしょうか。これからもただ主を信じ、祈って歩んでいきたいと思う毎日です。

H.A兄