Fellowship    78

発行 日本伝道者協力会(EFJ 101-0062千代田区神田駿河台2−1     200611

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 「人と時を用いられる主」  ?詩篇第一篇より? 

                                         EFJ会長 福澤満雄

 クリスチャンとしての最大の喜びのひとつは、主に用いられることでしょう。                1節は、罪の道に歩まず、立たず、座らない人。                                            2節は積極面で、御言葉の光の中を、喜びを持って歩み、立ち、座す人。主はそのような人を用いられます。                                                                                3節は、その結果が記されています。鍵の言葉は「時」です。今は、結果が見えなくても、神の時が来ると必ず実を結びます。主の栄光を拝する日が来るのです。

日本宣教の現実は厳しいものです。プロテスタント宣教150年を迎えようとしているのに、先が見えません。しかし、大切なのは、木の上だけを見るのではなく、土の中を信仰の目を持ってみることです。 山形で伝道していた時、春の訪れをどんなに期待を持って待ったかを思い出します。必ず春が来て、夏が過ぎ、実りの秋がくるのです。農夫が求められたのは、忍耐と希望でした。「時が来ると実がなる」との主の約束を信じて、この年も主に仕えていきましょう。                               (ジャパン・カルバリー・クルセード主幹伝道者)

23回EFJ夏のリトリート・総会報告

                                EFJ 広報   石島弘憲

23回のリトリートは2006年8月28日午後5時より30日正午まで湯河原厚生年金会館にて開かれた。今回は特別な講師を立てることなく参加者の発題と自由な意見交換の場を持った。延べ14名の参加者が与えられ、「戦後の日本宣教の反省と展望」というテーマで活発な懇談の時となった。

福澤会長指導による開会礼拝のあと、参加者の大川従道師(大和カルバリーチャペル)と岸義紘師(JTJ神学校校長)から発題があった。大川師はホーリネスの信仰で育ち、NCC系大学の神学教育も受け、NRA系の恵みの経験の後、バプテスト系のゴールデンゲート神学校でバランス感覚を学んだこと、教派間の違いを認めつつも、「キリスト・イエスにあって一つ」(ガラテヤ3:28)という信仰に立つことの大切さを、摂理の神が現在の祝福に導かれた証しを交えて発題された。岸師はクリスチャンホームに育ったゆえに、戦後のさまざまな宣教運動(アメリカの教会から古着が各教会に贈られたこと、映画伝道、ラクーア伝道、天幕伝道、テモテ・ザオ、ボブ・ピアス、オズワルド・スミスからビリー・グラハムによる伝道会まで)を身近に経験された証しをされ、これらの伝道の実を教会が刈り取ることに必ずしも成功し得なかった事実を指摘された。

二日目の午前は姫井雅夫師が幕末からのキリスト教会史を一般社会史と平行しながら振り返った。特に総動員伝道の立場から戦後の教会の歩みを辿りながら、日本の精神土壌は変わらないが伝えるべき福音は不変であり、1人1人が聖霊の働きを受けて十字架の福音を証しすると共に、伝道における協力の必要を強調された。

午後は総会が開かれた。今回特筆すべきことは共に本田師の指導を受けられ、巡回伝道に活躍中のサマリタン・ゴスペル・クルセードの宮本俊一師と元カネボウ役員の三谷康人氏が新役員に加わったことである。

夜は三谷氏の日本宣教関連の資料に基づく発題があった。圧倒的に友人・知人による誘いによる来会者が多いこと、教会員牧師の老齢化が深刻であること、教会が内向きから外向きに変えられ、教会外の人々のニーズに応える発想の転換が必要であると訴えられた。続いて工藤公敏師より祈りの訓練を受けた神学校時代より鹿児島伝道、網走伝道、そして現在に至るまでの主の恵みの奇跡を証しされた。また高橋敏夫師より、日本宣教の歴史はザビエル、ヴァリリヤーノ、ロイス・フロイス、高山右近の時代から始まっており、彼らの祈りが献げられていることを忘れてはならないことを語られた。

三日目の朝は、福澤師が家族への愛と忍耐が特に必要であることを、ご自身の50年に及ぶ証しを通して語られた。そして各自悔い改めと展望を書いて提出した。それによると、今後の展望としては?.教派教会間の壁を破り主にある一致を保ちたい ?.家族伝道 ?.信徒の育成 ?.キリスト教文化の構築と冠婚葬祭を通しての証し の4点にまとめられた。その具体策として?については交流と対話の時を持つ。祈りによる一致を実現する。?については事例を収集し証し文集を出版したり、セミナーを開く。?については信徒育成のセミナーを開く。またリトリートに信徒の参加を呼びかける。自然に証しのできる信徒の理想像を明確に提示する。?については日本に相応しいキリスト教文化を創造する。文化セミナーを開く。などが話し合われた。各懇談とも時間が短く感ぜられる豊かな内容が与えられ、感謝しつつ散会した。 

                                                        (上板橋キリスト教会牧師)                                                 

 

  

 リトリート参加者の声

          

「反省」と「展望」のリトリート                  春日部福音自由教会 小野信一

三回目のリトリートに参加させていただいた。
 一日目に、大川先生がプロテスタントの三つの流れを整理してくださった。ホーリネスの牧師の子として生まれて牧師となり、NCC系の青山学院で学び直し、体験を通して聖霊の働きを重んじるようになったこと、そして現在のご自分の立場を話してくださった。
 岸先生が、戦後約20年の日本における伝道の働きを整理してくださった。どれだけアメリカはじめ外国の宣教師や教会に助けられ、また頼ってきたかをあらためて感じさせられた。アメリカの教会は私たちの親なのだ、という声があったのが(そのような感覚のない)私には印象的だった。
 ちょうど教会の平和ツアーで長崎を訪れた直後であった。長崎では、16世紀から21世紀までの時の流れを肌で感じることができた。
 16世紀、ザビエルに続いて来日した宣教師たちの宣教。しかし最初の殉教が起きる。
 17世紀、『沈黙』に書かれた時代。迫害・踏み絵・拷問・棄教あるいは潜伏の時代。
 18世紀、鎖国が続く。出島が日本の窓だった時代。
 19世紀、開国から維新へ。宣教師も商人も来日。フルベッキ、グラバー・・・。プチジャン神父と信徒発見。浦上四番崩れ。再び迫害と殉教。
 20世紀、原爆投下。それを浦上五番崩れとも呼ぶそうだ。
 土佐人の夢を継いだ三菱が長崎に造船所を作る。そこを狙って原爆が落とされる。
21世紀の今日、61年後、今も長崎の港のドックでは軍艦が造られている。私は幅が狭かったな、と思った。
 見てきた範囲の幅が狭かった。身近ないわゆる福音派の動きにしか触れてこなかった。しかも自分の教派以外との接点が少なかった。それはひとつの反省である。
 見てきた時代の幅が狭かった。私たちの教派は日本に来て五十数年で、その流れの中での自分と教会というふうにしか捉えていなかった。戦中や戦前の苦闘もあれば、明治の宣教師の働きもある。ザビエル以来のカトリックの宣教と忍耐、殉教の歴史もある。神の視点はそのすべてを貫いているが、私の目は貫いてはいなかった。私はそれらを見てはこなかった。これもひとつの反省である。
 「反省と展望」というテーマはよかった。参加者それぞれが、ご自分の反省を語ってくださった。福澤先生の開拓伝道とご家族のお話も心に残った。深く反省し、それが心からのものになる時、人は変われる(行動を変えられる)のだと思った。これから、色々な教派の兄弟たち先生方と、交わりを持っていきたい。それぞれの立場から、自分にないものを学びたい。
 そう思ったところに、教団の方たちによる「伝道シンポジウム」の案内が届いた。キリスト教学校の校長や、カトリックの神父の方もお話しされると聞き、出かけていこうと、いま銀座に向かう地下鉄の中でこの原稿を書いている。

 

     

        自由な発言の場を共有できた感謝                                  三谷康人

福澤先生からフアックスを頂き、予定を変更して妻に任せ、湯河原のリトリートへ初参加しました。
何も知らず出席し素晴らしいメンバーなのに驚きました。最初の日に、大川先生のプロテスタント教界の教派教団の歴史的分類から、違いが分っても一緒に出来る.違いを楽しむ。本質以外では寛容であれ等の話には強い共感を覚えました。それが言える場が伝道者協力者会だと知りました。その後、岸先生からは終戦後の伝道の流れを聞き、考えさせられました。終戦後、人々が教会に押しかけて来ていたのに、どうして教会に人々が来なくなったのか? 福音を聞いてくれる前に人々の心を開かせないといけない事。アメリカの宣教の迷信から抜け出す事の必要性等、教えられる事が多くありました。それから仏教哲学を学ばれ た渡辺先生の話も新鮮で興味を惹きました。東洋伝道の3つのアプローチ法、日本の宗教の特徴等は日本で伝道します我々としては今一度、日本人の文化と宗教観を理解して伝道をする必要を感じました。 工藤先生の証から、何時も鋭い切り込みをされ、深く掘り下げるきっかけを作リ、リードされた高橋先生の発言等、初めて出席し多くの事を学ぶ事が出来ました。
 特に感じました事は、教派教団の枠を超えて広い視点から自由に発言がされた事です。ともすると教団教派を意識し本音で発言がしにくい場合が多いのですが、この場では日本の宣教の為に何が問題であり、何をすべきかと言う事が裸になり率直に話合えた事です。 それは、全国を回られよく日本のキリスト教界の現状を肌で感じ、危機感を持っておられるからだと思いました。その点で、少人数ですが日本のキリスト教界の改革前進にとって貴重な話し合いの場だと感 じました。その様な場に参加出来た事は深い喜びと同時に使命を覚えました。
それから参加者の意見の集約として出ました検討事項、1)教派教団の壁を破り一致する。 2)信仰の継承  3)信徒の育成  4)日本文化への融 合化等の4項目が決まった事も力強い前進だったと思います。 最後の福澤先生の証を交えての結びの話は、強く心を打ち、示唆に富むものとなりました。

 有り難うございました。                                                                     

独立伝道者)        

伝道者へのステップ 11

 招きについて 続 聖会の招き                                   福澤満雄

 聖会は信徒の方々が中心ですので、伝道集会の招きとはだいぶ違います。しかし、中には求道者や新来会者の方々もいますので、配慮が必要です。「他の人の徳を高める」(コリント14.17)ことを忘れてはいけません。

 招きの内容は、罪の悔い改め、聖霊の満たし、聖霊のバプテスマ、きよめ、献身、再献身、心と体の癒し、等多様にわたりますので恵みの座に出てきた一人ひとりを、取り扱う必要があります。出来る事なら、一人ひとりに、前に出てこられた動機を聞いてから、按手してお祈りをしてあげる事が大切です。

 時には、大声で叫んだり、転げ回ったり、異言で祈ったり、倒れたりする人がいますが、このような教会や、聖会では出来る事なら、他の部屋を用意して、そこで按手の祈祷をする方がいいと思います。また、病気の人の癒しの為に按手して祈るときには、病めるところに手を当てますが、胸や下半身には手を置くべきではありません。特に異性には気をつけなければいけません。

 また、現代は癒しを求めて恵みの座に出られる人が、多くなりました。特に気をつけなければいけないのは、心の病を持っている方々の取り扱い方です。全ての病気の原因を悪魔のせいにして、悪霊追い出しをする人々がいますが、とても危険です。霊を見わける賜物が必要です。「サタンよ、退け」と一括して、後は信仰によって立って歩け、と命じ、祈られた人は癒されたと信じて、薬も医者がよいも止めてしまい、病気がさらに進んでしまうケースがしばしば見られます。薬も医者も神様の備えてくださった恵みの手段である事を牧師や伝道者は忘れてはいけません。

伝道者往来      2006年不思議な奇跡・台湾夏期伝道チーム来日
                  サマリタン・ゴスペル・クルセード巡回伝道者 宮本俊一

ルカの福音書19章40節  イエスは答えて言われた。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」

 

今回は巡回伝道レポートではなく、この夏に起きた私達の町における伝道を報告します。

昨年に引き続き、8月18日に、台湾カベナント教会から7名が夏期伝道チームとして派遣され来日した。 台湾カベナント教会は賛美と聖霊の力強い働きによりリバイバルがついに始まりました。台北のカベナント教会に行くと水曜祈祷会だけで1000人以上集まっています。そのような背景から2年続けて日本のために夏期伝道チームが送られて来ました。

日本は未だ大きなリバイバルは訪れてはいませんが、沈黙の日本の教会ではなく、一般市民から渇望の兆しが現れ始めています。

成田空港に夜9時頃、到着すると、急いで東京に全員向かった。なぜなら熱烈歓迎会を東京都北区の街の人々が設けて待っているからです。昨年の台湾カベナント教会の人々が北区十条商店街で行った野外伝道賛美が好評で、不思議に街の人々の話題になり、今年は期待を持ってレストランを貸切っての接待役をしてくれたのです。本当に神様の業は人知をはるかに超えた御業を起こします。夜10時30分に一行7名が着くと、一人一人に花束を渡され、席に着くと、何と街の人々の音楽バンドが賛美歌を演奏し始めたのです。昨年は台湾の賛美歌を商店街に天高く届け、今年は街の人々による賛美歌で迎えたのです。
 さらに、翌日からチームは、街の人々と一体となった不思議な伝道活動が繰り広げられた。北区十条の地域特徴とし一人暮らしの老人が多い。その中には孤独死をする場合もある。独居老人訪問伝道を商店街の人々が提案してくれたのです。前もって商店街から指定された一人暮らしの老人宅に台湾料理を持って、一緒に夕食を食べるという。私達、教会関係者では考えもつかない大胆な発想です。訪問先は限られましたが、どんなにか老人が寂しく孤独な生活をし、身内も訪問されない状態かが判りました。台湾のように、温かく父母老人を敬う習慣は日本の家庭には失われていました。やさしい愛のこもった夕食と老人と交わりは驚くべき光景でした。台湾の賛美歌を歌い終わると、老人は言いました。「何と清い人々なのだろうか」と、久しぶりに老人に笑顔が戻ってきました。また街の家電会社にも入り込み、社長夫人をはじめ社員一同のための台湾夕食会を設け、社内で証しと、賛美の時がもたれ、大胆な伝道になりました。
8月25日は教会で台湾ナイトを開きました。ここでもしるしは現れ、街の人々が教会に行くように宣伝してくれ、大学教授、行政書士、会社経営者等、タクシーで来る程の不思議な光景でした。チラシ印刷を商店街で行い、宣伝も街の人々が行う、かつてこの様なしるしはありませんでした。今回の台湾伝道チームは高齢者が多く体力的に不安を覚えましたが、体力も霊的力も満ちていて、不思議な奇跡をこの夏も残し、一行は8月28日に帰国しました。彼らのもたらしたしるしは、なおも続き、10月21日に板橋区民フェステェバル、11月4日北区十条商店街フェステェバルで、教会と一体になって寿司の露天店を出店して、全売り上げを教会に寄付することに決定しました。