「聞く耳、見る目、
主がこの両方を造られた。」

(箴言二十章十二節 新共同訳)
 

 
「自分の話を聞いて欲しい!」

 
これは現代人が共通して持っている願望のひとつです。
 
「でも誰も真剣に話を聞いてくれない」
 
も多くの人が感じていることです。
ドイツの作家ミヒャエル・エンデは、彼の有名な作品『モモ』(岩波書店)の中で、
 
「ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです」
 
と語っています。この童話の主人公モモには
「それこそほかには例のないすばらしい才能」
があって、それは
 
「あいての話を聞くこと」
です。
 
この少女に話を聞いてもらうだけで、人々は抱えている悩みや問題の解決を得ることができました。エンデはそのことを次のように書いています。
〈モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えを引き出すようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。彼女はただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。その大きな目は、あいてをじっと見つめています。するとあいてには、じぶんのどこにそんなものがひそんでいたかとおどろくような考えが、すうっとうかびあがってくるのです。〉
 
 
私たちのコミュニケーションがうまくいかない原因のひとつはモモのように相手の話を聞くことができないということです。適切なアドバイスをすることも必要ですが、積極的に聞くことはもっと大切です。
 
 
聖心女子大学教授の鈴木秀子さんは『愛と癒しのコミュニオン』(文春新書)の中で、
 
「本当に聞く=傾聴≠ニいうことが、私たちが日常的に話を聞く∞相談にのる≠ニいうことと、ずいぶん異なっている」
 
ことを指摘しています。また、
「考えを引き出すのでもなく、積極的に質問するのでもなく、ただ話し手に注目し、注意深く耳を傾ける、つまり『傾聴』することで、話し手は自分で解決していく知恵を出すことができる」
という
「アクティブ・リスニング」
の可能性について述べています。私たちのコミュニケーションの中で、この
「ただひたすら聞くこと」
をまず実践していきたいと思います。
 
 
聖書はさらに

「聞く耳」
を造られた「主」、私たちを創造された神に耳を傾けることを教えています。ここで言う
「神に聞く」
ということは何か神秘的な体験をすることを意味するのではありません。
主イエスは
「耳のある者は聞きなさい」
と言われたましたが、耳で聞くだけでなく、心で聞くことを求められました。
 
 
「あなたの耳を傾けて
知恵ある者の言葉を聞き、
かつ、わたしの知識に
あなたの心を用いよ。」

(箴言二十二章十七節 協会訳)
 
この世界の創造主、全知全能の神にこそ究極的な知恵と知識があります。神の言葉に耳を傾ける、それも心を用いて聞くことが私たちには必要なのです。
神の言葉である聖書を通して、私たちは神に聞くことができます。聖書を通して神が私たちに語っておられることをまとめると次のようになります。
 
神は私たちを愛しておられる。尊い、価値ある存在として見て下さっている。そして、私たちの救いのためにイエス・キリストを与えて下さった。私たちはまず、この神の言葉、福音(ゴスペル―良き知らせ)をしっかりと聞かなければなりません。