文化論

 
 文化人、文化勲章、文化映画、文化国家に文化の日。文化住宅から、文化包丁、文化鍋にいたるまで、どちらを向いてもまるで文化花盛りといったところ。いつも使っているので何とはなく判っているつもりだったが、はて?、一体「文化」とはどういう意味があるのか、その定義を知りたくなった。どうも人間の知性は、単に色々なことを知るだけでは満足しないで、断片的な知識を統一して、組織化を求めるものらしい。
 
「文化」(名)
1、世の中が開け進むこと。文明開化。
2、権力・刑罰を用いずに、教え導くこと。
3、人間が一定の目的に従って自然に働きかけ、生活を充実、発展させること。またその過程で作り出されたもの、ことに学問・芸術・道徳・宗教など、精神的方面をいう場合が多い。(広辞林)

 
 辞書にはこのように書いてあった。なるほど、でも少し難しいな、と思っていた時、たまたまスイッチを入れたラジオの「文化講演」で、講師がこのような話しをしていた。
「フグを食った一人の男が死にかかった。もうろうと薄れ行く意識の中で、男は『わしの喰ったあのおちょぼ口の魚に毒があったようだ。』と言い残して死んでいった。この言葉のお陰で、以来多くの人命がフグの毒から守られた。これが文化である。」と。
 これは判りやすい。死にかけでも人助けが出来る。まして生き返ったクリスチャンならその体験を明かして、同時代と後の世の生命を救うのだ。これが本当の文化人だと、一人悦にいっていた昨年の暮のこと、永井先生から、教会の週報に「あかし」を書いてみては、とのことで、この「長老ひとりごと」は始まった。私は生来直情径行型で、考えるより先に口が語ってしまう傾向がある。ちょうど一番弟子のペテロが、イエスさまにむかって、
「たとい全部の者がつまずいても私は決してつまずきません。」「私に水の上を歩いてここまで来い。とお命じになってください。」と言った直後につまずき、溺れかけたりする。またそういう性格であったからこそ、イエスさまは彼を用いたのかも知れない。
 田舎の中学をどうにか卒業して後、勉強らしい勉強は何もしていなかったと気がついた時はもう水の上であった。三ヶ月を経てもうあとにも引けず、「イエスさま、お助けください。」と祈りつつこれを書いているようなわけだ。
 
 そんな私の心を知ってか知らずか、女房の批判は辛辣をきわめる。
「あなた、『長老ひとりごと』いつまで続くの?信徒の皆さんは、また長老先生のひとりごとだと思って我慢して聞き流しておられるけど、もっと聖書的なこと書かないと。」
「そんなこと言われなくたって自分が一番よく分かっています。この欄は、他ページの説教、神学という大御馳走のあとの一服のお茶のようなところで、わざとあっさりとさせてあるのです。」冷や汗を流しながらの弁明ではある。
 
 それにしても教会くらい、あらゆる層の人々の集まってくる場所を私は他に知らない。老若男女を一口に言っても上は90歳近くの老人から下は日曜学校(教会学校)の生徒まで、一緒に出席している集まりで、みんなに解るお話を毎週準備される牧師先生は偉い。イエスさまの周りにも、このように多くの人が集まったのであろう。一度聞いてみたかったなー。
 
 いずれにしてもこの欄に書く文を通して、私を救ってくださったイエスさまのことを伝えたいと立ち上がった貧しき長老に、ご祷援をお願いする次第である。