「信仰と観光」
少し暖かくなると、四国路は白装束に身を固めた四国へんろで賑わう。四国八十八ヶ所の霊場巡りも、戦後までは全行程を歩いて廻った。はんてんにも杖にも肩に振り分けた荷物にも「同行二人」(どうぎょうににん)と書き込んで、一人でもお大師(おだいし)さま(真言宗開祖・弘法大師)と二人で歩いている心境で旅をしたものだった。この辺りまでは、信仰とは行かないまでも、まだ信心の香りがする。
ところが昨今では、大分様子が変わってきた。
バス・ツアーによる、団体の霊場巡りが大流行で、観光バス会社にとっては、まさにドル箱の感がする。いつか見かけた宣伝ポスターに語呂合わせのつもりか「信仰と観光の四国八十八ヶ所」と印刷してあったが、案外、この辺りに、日本人の持つ宗教意識を垣間見る思いがした。
私の勤めていた会社でも、毎年秋十月に慰安旅行というものがあった。もうかなり前だが、その年は石川県の山中温泉と東尋坊見学に決った。
しかし旅行日は例によって土曜、日曜だったので不参加を申し出た。
入社以来数年、私は一度もこの慰安旅行に参加していなかった。ちなみに私は入社の際、クリスチャンは聖日礼拝に出席するため、日曜日には出勤しないという一札を入れてある。
その年、そのようなことを知らない工場長が就任し、慰安旅行は一人でも欠けると面白くないので不参加は認めない、と云ってきかない。結局、土曜日のみ参加することにして、退社時刻の五時から、帰りの列車の手順もととのった。その時の幹事さんには大変面倒をおかけした。
その日、会社を朝出発して加賀路に入り、昼頃、那谷寺という名刹を訪れた。あいにくの大雨で、傘の用意もない一行は雨に濡れながらの山寺見物となった。そのうち一人が、
「こんなところで濡れていないで、はやく温泉につかって酒でも飲もうや。」
と云いだした。
その時、工場長の口から出た言葉に、私は驚きあわてた。
「まあみんな、もう少し辛抱せー。わしもそうしたいのは山々だが、ここに来たのは、今日一日だけしか参加出来ない谷後君のためなんだから・・・・・・・。」
「チョッ、ちょっと待ってください工場長、なんで古寺見物が私のためなんです?」
「だって君は信仰家だろ、きっと喜んでもらえると思った。」
ミソもクソも一緒とはこのことである。大学出で取締役工場長、この世の常識を一応わきまえた人にしてこの認識。私は愕然とした。
小松市にある那谷寺は真言宗の寺である。開祖、弘法大師が留学僧として唐の都長安を訪れたのは、今より約千二百年前の西暦804年のことであった。キリストの一弟子であるトマスのインド伝道により、キリストの福音は、シルクロードを経て東へと進み、景教と姿を変えてそこに見事に開花していた。そこで空海(弘法大師)が出会ったのは仏陀ではなく、生きているキリストであった。(当時の彼の日記、まんだらに明らかである。)
帰国した空海は、その教えを、天皇を中心とした公家や上流だけのものとせず、野に下って日本全土を行き巡り、密教の加持祈祷によって病いと災いを払い、農民の難儀を見れば、治山、治水にまで力を貸した。これはどう見ても、かの地で出合った復活の主イエス・キリストと「同行二人」となって初めて出来たわざである。従来の慣行に随って、「信仰と観光」をセットにしている内は、決して本物の信仰は生まれまい。
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