赦す心

 
 東京都知事の石原さんは作家出身だけに弁が立ちます。少し前には「第三国人」呼ばわりで物議をかもし、今回又、著名な月刊誌の6月号で中国の反日デモを取り上げ、「北京五輪を断固ボイコットせよ」と快気炎をブチ上げています。自分が言わねばとの気負いは伝わりますが、日本の人口の一割が住む首都を代表する人間の発言としてはいささか過激と言わざるを得ません。
 
 いったん民族の間に生じた軋轢というものは簡単に解決されるものではありません。昨年韓流ブームが起こり、多くの人が、韓国を訪れました。しかしその一方で、北も含めて今日、朝鮮半島に住む人々にとって、日本は決して赦すことが出来ない国でもあるのです。ほとんどの日本人は戦争は60年前に終わったと考えています。しかし韓国だけで11万件の被害届が日本国に対して出されており、更に増加の傾向にあることも忘れてはならない事実です。
 
 
 今から約35年前、第一次韓流ブームがありました。それはキリスト教界での出来事でしたが日本の教会の牧師がこぞって、韓国の教会を訪れたのです。5月20日の産経新聞に、米
「ファミリー・オブ・マン賞」を韓国の趙牧師が受賞。過去にケネディー、ニクソン、アイゼンハワーに与えられたもので、今回は20年ぶり、と報じられていました。この趙牧師は当時35歳で、「ヨイド純福音教会」の牧師でその時、一万人収容の大会堂の建設に取りかかっていました。信徒であった私もそこを訪れ、趙牧師夫人の母である雀先生のお宅で一週間泊めていただき、つぶさに韓国のリバイバルを見学する機会を得ました。
 
 日本の著名な牧師先生が招かれ、韓国各地の大教会で説教する機会が与えられましたが、講壇に登った牧師先生方は著名であればある程説教の前に、土下座して、過去の日本軍(日本人ではない)の犯した戦争犯罪を詫びたのでした。そうしないと説教出来ないような空気がそこにはあったのです。
 
 それから20年の歳月が流れ、私も53歳で神学校を卒業し、東北の聖書学院に奉職した直後のことです。同じく韓国の神学校の校長先生が学生を伴なって来院されたのですが、この校長先生の言葉は、私の心を大きく揺さぶりました。
 
 講壇に立たれた先生は、何とそこに土下座して、
 
「これまで韓国人、いや韓国のキリスト教会までもが日本人に対して、謝罪を求め続けてきました。人が人を裁いていたのです。今回日本の東北の地に来て、東北、又、日本各地のキリシタン迫害の歴史を知り、私達民族の血が流される前に多くの日本人の血が流されていたことを知りました。戦国の武将も、禁制の前にはそれをしなければ自分が殺されたのです。私は今、一人のクリスチャンとしてこれまで日本人と日本人を裁いてきた私と韓国の教会の罪を赦して下さい。」
と詫びる先生の姿を見たのです。
 
赦さなければ赦されることなく、戦争は永遠に続くことは今も紛争の中にある国々を見て判ります。
 
 靖国問題では間違った愛国心からこれを固持する小泉首相、それにヒステリックに反応する中国側の要人達、どちらをとっても大人気が無さ過ぎると私は思うのです。
 
 
 赦す心が、すべての問題解決のキーワードです。
 
「ひとりごと」にはタテマエはありません。
 

                                 2005.6.5