交通安全

 
「交通安全」についてのクリスチャン式実践法を紹介してみたい。近頃の自動車運転免許教習所のことはよく知らないが、昭和35年頃の教習所では練習中、踏み切りで一旦停止した際、左右の安全を確認したあと「左右安全」と声を出してから発車するよう教えられた。
三週間が過ぎるといよいよ実技試験がある。
 その朝集まってきた顔はやはりみな緊張している。試験官が現れて試験に臨む前の注意をしたあとで、一同の緊張を解くつもりか、こんな話しをした。
「先週の試験日に、踏み切り一時停止のところで、『左右安全』を『家内安全』といった者がいた。この期に及んで家族のことを思うくらいだから無謀運転はしないだろうと減点にはしなかった。」
 まだその頃は道を走っていても、かの試験官と同じようにゆとりがあった。
最近、高速道路を長時間運転して帰った時など、よくぞ生きて帰ることが出来たとホッとする。ドライブも命がけの時代となってきた。
 
 ある時、大阪中央環状線を車で走っていて、急用の出来た警官に便乗を頼まれたことがあった。助手席に制服の警官を乗せたのは初めてで、なんだか試験日のような気分であった。話がはずんで交通安全に及び、目下警察では、飲酒運転、スピード違反、無免許運転の検挙に全力を上げているとのことであった。ついては、毎日車を運転しておられるドライバ−の皆さんの側から、何か良いアドバイスがあれば、・・・・・・というので、大体次のような話をしたことを覚えている。
 
 私はクリスチャンで、聖書の言葉を生活の土台にしています。特に
「交通安全」用というのではありませんが、世界中のどの国の人でもこれ一つを守れば法律が要らなくなる言葉があります。
それは
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。』
というのです。
”黄金律”と呼ばれている有名な聖書の言葉です。交通規則もそうですが、私たちのまわりはいろいろの法律でとり囲まれていて、知らないものもたくさんあります。でも出来た以上知る義務は国民の側にあり、守るのが当り前で、もし違反すれば直ちに罰を受けます。さいわいドライバーにだけは、申請すれば交通安全協会から
「優良運転者」の表彰があるにはありますが、・・・・・。
 
あれをしてはならない、これをするべからずの戒めの中からは積極的な行為は生まれません。その点聖書の言葉は、せよ。せよと積極的です。さきほど紹介した
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。』
の言葉を、聖書はこれを説明して、
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるななど、他にどんな戒めがあっても、結局は自分を愛するように隣り人を愛することでそれを完成する。なぜなら愛は隣り人に害を加えることがないからだ。」
と教えています。少し説明が長くなりましたが、先ほどお聞きした飲酒、スピードオーバー、無免許運転といった、一歩間違えば隣人に危害を加えるようなことをクリスチャンはしません。
 
 愛の律法を守ることで、心に与えられる平安と喜びの味をしめれば、違反を侵して心を騒がすこれらの無謀運転など、割りが会わないので止めてしまいます。いかがですか。
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。』
の横断幕をあの歩道橋に掲げてみませんか。
標語にして全国で使うといいですね。
短い言葉ですからすぐに覚えられるし、案外、いやきっといい効果が現れると思いますよ。