隠切支丹(かくれキリシタン)
教会が墓地を求めていた時、早速買い求め、昭和四十七年十二月、十字架の墓標が建てられた。墓地中、第一号であった。ところが一年経っても、二年経っても周りは空き地のままである。その内に墓地の管理も造成会社からお寺に移ったことから、ついに初めの契約は破られ、一般墓地として売り出されてしまった。その後墓地の管理人と話していてその当時の意外な出来事を知って驚いた。それは教会墓地の周囲から売れていったというのである。墓所などどいうものは一度求めればそう場所を変えるものではなく、文字通り累代そこにあって、子々孫々がお参りにやってくる所である。教会の墓地は手狭とはいえ普通の三倍はゆうにあり、したがって向こう三軒両隣りも多い。いったいどんな気持で、そのところを選んだのであろう
大多数の日本人は、キリストについての知識はほとんど持っていない。にもかかわらずキリスト教や、聖書には関心がある。
「キリスト教は、自分とは関係ないけれど、カッコいい宗教だ。」
と思っている。実際に現代の若者の大多数は
「もし自分がどれか一つの宗教を選ぶとすればキリスト教になる。」
と答えている。いやヒョッと、墓地を求めにきた年配の方にも、そのような思いがあったのではなかろうか。
日本人は世間体を非常に気にする。何でも世間体にしておけば間違いがない。又それが一番正しいと考えるくせがついている。そのためにすべてが現実的かつご都合主義になってしまう。自動車を運転する人なら経験することであるが、高速道路などで制限速度80キロのところを100キロ以上のスピードでとばしている。それが全体の流れとなれば、もうこわいものはない。これがこわいのである。全員規則違反をしながら罪の意識は全くない。つかまった者は運が悪かったということになる。
ユダヤの律法では、全員一致の裁決は無効とされる。それは偏見か興奮の結果でしかないとは厳しいが、満場一致を絶対正しいとする日本流とは大分趣きが変わってくる。常にまわりの人間を気にし、世間体を恐れ、世間並から外れないようにと気を遣う余り、ついにはそれが無形の束縛となるのである。
墓地から一山隔てた向こうの谷に隠れキリシタンで有名な寺の里がある。織田信長から、秀吉、家康と続くキリシタン弾圧から逃れた信徒が三百年余も隠れ住んだところである。世は移り変わり為政者と共にキリシタン弾圧のためにつくられた檀家制度も、とうの昔に滅んでしまった。にもかかわらず、この制度は今尚人々の生活の中に深く根を下ろしていて、教会に来たいと思う人の心を止めているのである。西洋文明がキリスト教を土台としていることを知り、信じるならキリスト教と決めながら、世間体という幻影におびえてその思いを隠すのは、まさに現代版「隠切支丹」ではないだろうか。
「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。(マタイの福音書5:14)」
と、イエス・キリストはおっしゃった。
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