2013年8月4日(日)

「憐れんでくださる神様による」

聖書箇所:ローマ 9:1-13

Ⅰ.心の痛み
パウロは熱心なユダヤ教徒であり、キリスト者を迫害する中心人物でありました。 そんな彼がキリストに出会い信じ従う者に変えられました。 彼は異邦人の使徒として召され、ユダヤ人から激しい迫害を受けながらも、キリストにある豊かないのちの恵みを味わい知ったのです。 ユダヤ人がイエスさまをメシヤとして受け入れなかったことは、彼らにとって計り知れない損失であると深く嘆いてこの手紙を書きました。
4節、5節には、神の救いの歴史におけるイスラエル(ユダヤ人)の特権が数え上げられています。 キリストに敵対しているユダヤ人も、神の民であります。 彼らはアブラハムの子孫です。 また、シナイ山において神と厳かな契約を結んだ聖なる民なのです。

Ⅱ.イスラエル=イサクから出る者 
6節の「神のみことば」は 「神がイスラエルに与えられた具体的な約束のことば」 を指しています。 神の約束によれば、イスラエルということばは血統上の子孫という意味では用いられていません。 ですから、血統上のイスラエルが全部イスラエルなのではありません。 神の約束は、真のイスラエルに対してだけ与えられました。 『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる』 と言われているとおりです。

Ⅲ.神の主権による選び
10節~13節には、イサクに生まれたふたごの兄弟が例として取り上げられています。イサクの妻リベカはエサウとヤコブを同時に 胎内に宿しました。 夫イサクはアブラハムの正統な相続人であり、リベカはイサクのただひとりの妻であります。 従って、エサウとヤコブを区別するものは何一つありません。 ところが神は、ふたりが生まれる前に一方を選ばれました。 その選びは当然のことながら 「行いによらない」 と言われるべきものであります。 この選びは、まったく神の主権のうちになされたことであり、一方が他方より善良であり、信仰が深かったからというのではありません。
創世記25章23節の 「兄は弟に仕える」 いうことばは、エサウが長子の権を失ってヤコブの下につくということによって実現しました。 また13節の 「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」 (マラキ書1:2-3節)は、選びにおける神の主権性と自由を示しているだけではありません。 私たちは厳格な選びの教え (予定論)をここから知ることができます。イサクの誕生が神の超自然的な力によったように、ヤコブの選びは神の自由な恩恵によったのであります。

【 結 論 】
選び、救いは私たち人間の側の「行い」、「賜物や能力」、などの努力や勲(いさおし)に影響されません。   選び、救いは神の主権にあることを心に留めましょう。
「したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」 (16節)