2013年5月5日(日)

「義人は信仰によって生きる」

聖書箇所:ガラテヤ人への手紙 3:1-14

Ⅰ.正しい福音
この3章において注目したいことは正しい福音です。 それは言葉を代えるなら信仰による義ということです。 「義人は信仰によって生きる」(11節)という表現は、2章16節で語られた福音の本質についての教えの繰り返しです。 
私たちがいのちを得る唯一の道は、「ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる」ことです。 ところが、私たちは 「律法の行いによって義と認められる」という教えに戻ってしまう傾向があります。 「割礼を受けなければ救われない」 「すべてのことを堅く守って実行しなければ、誰でもみな、呪われる」「礼拝を守らなければ救われない」「奉仕をしなければ祝福されない」など、行わなければならないという強迫観念にかられるのです。しかし、人は律法の行いによっては義と認められることはありません。

Ⅱ.福音とは何か 
福音とは十字架につけられたキリスト、すなわち、十字架上で完了したキリストのみわざを意味します。 そして福音を宣ベ伝えるということは、キリストを十字架につけられたお方として公に描き出すことであります。 福音は十字架のキリストに関係しているのです。 十字架にかけられたキリストが公然と示されるときだけ、福音が宣ベ伝えられているのです。

Ⅲ.福音がもたらす祝福
この福音は、キリストの十字架にもとづいて大きな祝福を提供します。
8節に 「あなた(アブラハム) によってすべての国民が祝福される」 とあります。 この祝福とはいったいなんでしょうか。第一は「義認」です。 「聖書は、神が異邦人をその信仰によって義と認めてくださる」(8節)と語られている通りです。 第二は 「聖霊の賜物」 です。 信仰をもって聞いた結果、聖霊が与えられたのです(2-5節)。 神がキリストにあるすべての者を祝福されるのは、この二つの賜物によってであります。 神さまは、私たちをご自身の目から見て正しい者として受け入れられることによって私たちを義と認め、私たちの内にご自身の御霊を住まわせられたのであります。

【 結 論 】 
福音の祝福を受けるために、私たちは何もする必要がありません。 ただ、信じさえすればいいのです。 律法に従うのではなく、福音を信じるのです。 信じることは、キリストを私たちの救い主とし、キリストの完了したみわざに信頼することだからです。
そこで使徒パウロは、私たちが信仰によって御霊を受けることと、信仰によって義と認められることとの両方を強調しているのです。 御霊も義認も神からのものであり、人間から出たものではありません。 すべてのものが与えられたもの (賜物) であることを、私たちは知る必要があります。

「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」
 (エペソ2:8)