2012年10月7日(日)

「天の御国の価値観」

聖書箇所:マタイ20:1-16

私たちは、多くの敬愛する方々を、すでに天の御国にお送りしました。
今朝は召された方々を偲びつつ、天の御国の真理を教えられたいと思います。 たとえには、ぶどう園を経営している主人が登場します。 イエスさまは、この主人を神さま御自身にたとえています。 この主人が自分のぶどう園で働かせるために、朝早く、日雇いの労務者を探しに行きます。 そして、労務者Aを見つけて、「一日働いたら一デナリ払うよ」と約束します。一デナリは一日の日当で、日本円に換算して一万円くらいと考えてください。 もう少し経ってから、また労務者のたまり場に行くと、仕事にありつけないでいる労務者Bも雇います。さらに昼頃にも、仕事のない労務者Cがいたので雇います。 三時頃にも、労務者Dを雇っています。 夕方になっても、まだ働き場のない労働者Eがいたので、この人も雇います。

さて、一日の労働を終えて、日当を支払う場面です。 労務者の中には、Aさんのように早朝から働いていた者もいれば、Eさんのように最後の一時間くらいしか働いていない者もいます。 普通(常識的)に考えるなら、賃金に差がつくのが当然です。 ところが、主人はどの人に対しても、同じ一デナリ(約一万円)を支払いました。 当然Aさんは抗議します(12節)。しかし、主人はAさんに答えて言いました。 『友よ。私はあなたに何も不当なことはしていない。 あなたは私と一デナリの約束をしたではありませんか。 自分の分を取って帰りなさい。ただ私としては、この最後の人にも、あなたと同じだけ上げたいのです。 自分のものを自分の思うようにしてはならないという法がありますか。 それとも、私が気前がいいので、あなたの目にはねたましく思われるのですか(13-15節)。』

Aさんが文句を言うのは当然ではないかと私は思います。 ところがぶどう園の主人は、Aさんに対して何の約束違反も、不法も犯してはいない。 約束したとおりに、一日の日当をきちんと支払ったと主張して譲りませんでした。 たった一時間しか働かない人々に対しても、神さまはあふれるほど豊かな恵みを注いでくださるお方であることを示しています。子どもの頃から教会学校に出席しイエスさまを信じている人、大人になってからイエス・キリストを信じ洗礼を受けた人、晩年になって病床洗礼を受けた人。 この中で天の御国に入れるのは、いったい誰でしょうか。

【 結 論 】
イエスさまは、幼い時から教会に来ていた人はもちろん、死の直前に駆け込むようにして洗礼を受けた人も、天の御国の一員にしてあげたい。 たとえ、地上で何の奉仕もしなかったけれども、小さいときから神様に仕えてきたクリスチャンたちと同じ祝福にあずからせてあげたい。 これが今日のたとえの主旨ではないでしょうか。

当教会に関係する召天者 (教会員、教会員の家族、教会に馴染みある方々) は、34名(2012年10月7日現在) になります。 これから召天者のお名前をご紹介させていただき(省略)、その後に、みことばをお読みして終わります。