2012年8月12日(日)

「聖書が教える平和」

聖書箇所:Ⅱテサロニケ3:16 イザヤ32:15-20

Ⅰ.旧約聖書における平和
イスラエルの国では、「シャローム」と挨拶します。 これは「平安でありますように」と祈りをもって投げかける祝福の言葉なのです。 イスラエル人にとって平和は神さまがつくるものであり(イザヤ45:7)、神こそが平和の根源なのであります。
旧約聖書において、平和は「シャローム」という語が使われています。 この「シャローム」は、戦争に対立する平和として用いられています(申命2:26、Ⅰ列5:12)が、それだけではなく、満たされた状態(何か欠如したり損なわれたりしていない状態)も表しています。 さらに、人生のあらゆる領域にわたって、真に望ましい状態を意味する言葉でもあります。
シャロームとはいったいどのような状態なのでしょうか。それは、無事、安否、平安、健康、繁栄、安心、親和、和解(ヨシュア9:15、Ⅰ列王20:18)などです。 また、私たちが神の意志に基づいて正義を行うことによって、神さまとの契約関係を正しく保つことによって、初めてシャロームは実現します(イザヤ32:17)。 シャロームは、義と切り離すことはできないのです。 神さまとの正しい関係が破れると、平和も破れます。聖書は、義とシャロームの密接な関係について述べています(エレミヤ16:5、29:11、詩篇85:8-10など)。

Ⅱ.新約聖書における平和
新約聖書において、平和は「エイレーネー」というギリシャ語が使われています。 この「エイレーネー」は旧約の「シャローム」の持つ意味を受け継いでいます。 人間は罪のために、このすばらしい真の平和を知らないで、暗闇の中を歩んで来ました(イザヤ59:8-9)。
しかし、イエスさまの誕生は、まさに「平和の君」の到来でした。旧約時代から待ち望まれたメシヤ(救い主)の出現であり、平和がもたらされることでありました(使徒10:36、Ⅱテサ3:16など)。イエス・キリストこそが平和の福音であり、真の平和を作り出す唯一の道です。 敵意を廃棄し、まず神と人との平和を確立させ、そこから人と人との和解、国と国との平和を実現するお方なのです。 パウロはユダヤ人と異邦人はキリストの十字架によってひとつとされ、神の家族とされたと宣言しています(エペソ2:14-19)。 私たちは二度と戦争を行わないと誓いましょう。 またキリスト者として、平和をつくりだす何らかの働きに関わりたいと願います。

【 結 論 】
イザヤ書32章15節~20節は、正義の王(メシヤ)がイスラエルにもたらされることによって、荒涼とした荒野であるイスラエルが神の果樹園として再生し、平和を実現する祝福を描いた預言であります。 1859年にプロテスタント宣教師が横浜に到着したとき、与えられたものだそうです。横浜海岸教会の庭にある記念碑には、このみことばが刻まれています。 荒廃していた日本を平和で豊かな国にするために、聖霊が注がれ、キリストにある平和の福音が宣べ伝えられることである、との意気込みを感じます。