2012年4月1日(日)

「愛の実践(2)」

聖書箇所:Ⅰヨハネ4:12

教会は互いに愛し合うことを願っていますが、それを実践することはむずかしいです。これが私たちの現実の姿です。

Ⅰ.愛することの難しさ
イエス・キリストを信じていない人々が互いに愛し合うことができないのは当然です。
これらの人々は、今も地上の権威者であるサタンの支配下にあり、罪の奴隷として歩んでいるからです。 これに対してキリスト者が愛し合うことはとても自然です。イエス・キリストを救い主であると信じる人々は、罪から解放され、神の子とされています。神を愛する者、人を愛する者と変えられた人々です。 キリスト者の集り、つまり教会は神に愛されている神の民です。
しかし、キリスト者であっても愛することはそれほど簡単ではありません。  この地上においては罪との戦いがあり、自我との戦いがあるからです。この地上はサタンが支配するところであり、いまだに多くの罪が満ちているところです。 この状態は世の終わる時(再臨)まで続きます。
肉体をもっている私たちは信仰によって救われてはいますが、まだ罪の影響を受けています。召されて神さまの御許に行くまで、私たちは罪との戦いを続けなければなりません。この地上にある限り、キリスト者であっても完全ではなく、罪との戦いを強いられ、罪や悪に染まることもあり得るのです。私たちが信仰によって神に従わない限り、神を愛することも人を愛することもむずかしいのです。できないからこそ、イエスさまは弟子たちに向かって「互いに愛し合いなさい」と命じているのではないでしょうか。

Ⅱ.神は私たちのうちにおられる
ヨハネは、私たちが「互いに愛し合う」ことによってもたらされる祝福を次のように語っています。
「いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(Ⅰヨハネ4:12)

Ⅲ.愛の実践 
1月1日の礼拝で「愛の実践」について語りました。 イエスさまはいつも私たちと共におられ、私たちを愛していてくださいます。 私たちも一緒にいたり、寄り添うことによって愛を行うことができるのです。 皆さん、愛することは与えることです。 あなたが持っているものを他の人々に分け与えてください。

【 結 論 】 
ルターは「残された模範」というメッセージの中で「あなたがたの心が、刑罰に対する恐れからではなく、愛から罪に対するようになり、キリストにある確信を強めるとき、キリストの苦しみはあなたの全生涯の模範となります。そして、苦しみに対する見方が違ってきます。」と語られました。
このときに主の受難を覚えつつ、刑罰を恐れて罪を犯さないというのではなく、イエス・キリストを愛する故に罪を犯さない者となることのすばらしさを味わいたいものです。